第35節 障害だらけのデートコース
その日、二人は街を一緒に歩く約束をしていた。
いきなりだが、こちらはジオとアイリーンの話だ。決してルルたちが倫理委員会に引っ掛かって未成年は読んじゃいけないから後はご想像にお任せします、という展開に陥って時間軸を数日後に飛ばしたわけではない。残念な事に。
時刻はルルがシュリーを連れて家に向かっている頃。
学士院近くの果物屋の軒先にアイリーンがそわそわした落ち着かない様子で立っていた。ジオの姿はない。待ち合わせの時間にはまだ少しあるが、遅れちゃいけないと思って早く出てきたのだ。
(なにか、変なところないよね……?)
不安げに、あちこち服装と髪型とを確認する。今日はジオと二人きりという約束なので目一杯おしゃれをしてきたのだ。
丈の長い上品なフレアスカートにシルクのブラウス。普段付けているヘアバンドの代わりに可愛らしいリボンを結び、シュリーに頼んで軽く紅をさしてもらった。戦闘準備は万全である。
是非にもジオさんに振り向いてもらって、部族に来てもらうんだ。
決意を胸に抱いてひたすら待つ少女に声がかけられた。喜び勇んで振り返ってがっかり。声をかけてきたのは見知らぬ男の二人組だった。いかにも性格の軽そうな面をしている。
「ねぇねぇ、お嬢ちゃん一人? ヒマ? 俺たちと一緒にひたすらランデブらない? ベイベー。ハラショー」
アイリーンは恐怖した。それは男の言葉遣いが変だったからではなく、男たちの視線になにか悪感情を感じたからだ。アイリーンが内気になった理由に相手の感情を半ば無意識に察する事ができるというのがある。
他人の自分への悪意から遠ざかるために自然と臆病になっていったのだ。彼女に悪意を向けずに友たちとして接してくれたのはシュリーが最初だった。
アイリーンがジオに惹かれるのもあるいはそのまっすぐな気性にあるのかもしれない。
ともかく、今のアイリーンはピンチだ。見知らぬ男たちにこれ以上言い寄られたら恐怖と緊張とで失神しかねない。失神したら、即テイクアウトだ。それは果てしなく嫌だ。
(助けて……ジオさん……)
そう願った時だった。この物語は全編御都合主義で構成されている。だから当然奴がきたのだ。
「必殺! ジオライトバイオレンス!!」
ジオの蹴りが男の大事なところを蹴り潰した。「のおぅ!」と男は悶絶して転げ回る。
「ふっ、無様だな!」
「ジオさん!」
アイリーンは感激した。まるで『運命の恋人』の話に出てくる勇者アレクサンドロス二八世みたいだ。
「アイちゃん。待たせてごめんな。……怖かった?」
「いえ……大丈夫です。ジオさんが来てくれたから……」
「アイちゃんにもしもの事があったら、オレは、きっと自分の事を許せなかった。オレがもし、もう少し遅くなっていたら……すまない。そして、無事でいてくれてありがとう、アイちゃん」
「そんな……ジオさんは私の危難を救って下さいました。私はここに、ジオさんの傍にいます。だから……お願いだからもし、なんて言わないで……」
「アイちゃん……」
「ジオさん……」
「てめぇら、勝手にラヴラヴするなぁ!」
見つめ合う二人の大切な一時を邪魔したのはもう片方の男だった。モテないひがみか、かなり怒っている。
「よくもやりやがったな、てめえ。ジュテーム。俺たちにケンカ売ってただで済むと思うなよ。ボンジュール」
「ただじゃすまない? 金ならないぞ。生憎と今月は物入りなのだ」
「所帯じみたセリフを言うんじゃねぇ! ウォンチュ! マジ怒ったぜ、俺はよ!」
男は腰から大きなマサカリを取り出すと構えた。マサカリとは長い柄の付いた片刃斧のような形状のもの。んなもん、まともに食らったら当然ながら即死だ。
「……あんな大きいもの、一体どこに持っていたんでしょう?」
「それは言いっこなしだぜ、ナイストゥミーチュー。さぁ、泣いて謝るんなら今のうちだぜ?」
いつのまにか復活した金的陥没男も股間を抑えて一緒にふっふっふと不敵に笑う。ジオは決然として言った。
「誰が謝るか! 馬鹿野郎! オレは悪には断固として戦う!」
「ジオさん……」
言い切るジオの勇姿に男たちは気圧されたようだ。まごつく二人。ジオの鍛え抜かれた動体視力がその隙を逃すはずがない。
「今だ! 全開! スペリオルダァァァッシュ!」
ジオはアイリーンを抱えるようにして踵を返して猛ダッシュ。
残された二人はポカ〜ンと間の抜けた顔して、
「……はっ!? 逃げた!?」
気付いた頃には二人の姿は米粒みたいにとっても小さくなっていた。
軽く二キロ程走って、もういいかな、とジオは立ち止まって後ろを見た。
男たちは追ってきていない。安堵して抱いたアイリーンをおろそうとしたら、なんだかぐったりしていた。どうやら目を回したらしい。ジオは都合良く近くにあったベンチにアイリーンを横たえた。
ジオもそのベンチの端に座るが別段疲れているわけではなかった。むしろ、軽く走って調子が良いくらいだ。息はちっとも乱れていない。ジオの持久力と肺活量とはまったく驚きに値する。
それにしても、とジオは思った。
アイリーンはやたらに気絶している姿が良く似合っていた。
う、う〜ん。アイリーンは目を醒ました。
(ここはどこ……? 私は……ダリ?)
そこで状況を思い出してアイリーンは上体を起こした。傍に、ジオが座っていた。
アイリーンは慌ててなにかを言おうとしたが、上手く言葉が出ない。ジオは頼もしい笑みを浮かべて、
「もう大丈夫だ」
と、言った。
「あ、あれからどうしたんです? あの、男の人たちは?」
「上手くまいた。追っては来ないぞ」
「逃げ……たんですか?」
アイリーンは軽い失望を覚えた。部族の勇者は大敵に対して決して背を見せない。数の少ない部族の女子供を守るため進んで前に出るのだ。部族で育ったアイリーンにとっての、それが勇者像だった。
だが、ジオは悪びれず、むしろ熱を帯びて言った。
「ああ、逃げた! 戦略的撤退だ!」
「でも、逃げるという事は……少し卑怯です。戦える男性は……その……敵に立ち向かっていかなくてはならないんじゃないんでしょうか? 決して背中は見せない。それが……勇気というものではないんでしょうか?」
「そういう事もある! だが! しかし! さっきは卑怯とかなんとかよりもアイちゃんが大事だった! それがオレの勇気だった! だからオレは! 全力で逃げた!!」
ジオは力の限り宣言した。まるで後ろめたいことなどなに一つないといったような堂の入った雄々しさだった。
アイリーンは感動した。勢いに呑まれただけなのかもしれないが、ともかく感激した。顔は真っ赤に染まり、喜びで胸がしめつけられて、
「……あ、ありがとう……ございます……」
その言葉だけで精一杯だった。ジオもちょっとばっかし言って照れたのかもしれない。ばつの悪そうに顔を逸らした。
「見〜た〜ぞ〜」
ムードをぶち壊しにする声が不意を突いてきたのはその時だった。
ジオには聞き覚えのある、記憶の中で最悪な声だった。天敵の声だった。こんな時に、一番聞きたくないこの声の持ち主。それは近所に住む、けったいな白髪頭の親父。
フブキ・ビクトレガーの登場である。
ちなみに彼。街の人に聞きましたエルファームランキング『関わり合いになりたくない人』部門、堂々ナンバー一である。
「なんでお前がここに!?」
「ふん。服役代わりの清掃のボランティアだ! 文句あるか小僧! つーか、それよりも、よくも胸くそ悪い一場面見せやがったなー! ガキが一人前に色気づきおってからに!」
「んなの勝手だろうが!」
ジオはアイリーンを背中に匿いながら言った。
「いーや、勝手ではない! お前がそんなだから私の可愛いツララが最近父親である私に向かって、構わないで、だの、邪魔、だの、お風呂に入ってこないで、だの言うんじゃ! お前が元凶じゃー! てやんでぃばらっしょい!」
「それはお前自身に問題があるんだろう!」
「んな事はない! 私は親としての役割をごく普通に果たしているだけだ! やましい事は一切ない!」
「……例えば、最近、どんな事をしたんですか……?」
興味を覚えてアイリーンが口を挟んだ。内気な彼女にしては珍しい事だ。
「例えば? んーと、部屋漁って日記のぞいたり、男からの手紙全部処分したり、剣術通い辞めさせようともしたし、家に来た男虫共をぶっとば……追っ払ったり、それから……」
指折り数えるフブキに、二人は呆れて、
「そりゃあ、嫌になるに決まってるだろうが、なぁ?」
「は、はい……そうですね」
「んだとぉ?」
フブキの目に剣呑な輝きが宿る。彼は怒るとなにするかわからない危険人物だ。既知のジオは勿論、初対面のアイリーンをも「こいつカルシウム足りねぇ」と戦慄させた。
そして、その直感通り、フブキは、
「他人にどうこう言われる筋合はねえってんだよ! 喰らえ、他人の親の制裁!」
黒光りするナイフを飛燕の速さで投げつけてきた。ジオは咄嗟の反射神経でからくも避けた。
「こら! 避けるんじゃない! 直立不動を命じる!」
「誰がするかぁぁぁ!!」
ジオは再びアイリーンを抱えて逃げ出した。