第31節 図書館ではお静かに
こちら、ジオとアイリーン。二人は室内に設置してあるテーブルにつき、楽しくおしゃべりを……しているようには見えない。二人して相手を意識して落ち着かない様子で、まるでお見合いでもしているみたいだ。
『あ、あの……』
勇気を出して言おうとしたらハモッてしまった。その後の『あ、お先にどうぞ』『いえいえ、そちらが先に……』まで異口同音で、おかしくてアイリーンはくすっと笑った。
アイリーンの笑顔は、可憐な白百合の花のようで、ジオは思わずポエムをさえずりたい程ドキッとした。
「……あの……あたしの顔に、なにかついていますか?」
突然ぽーっとしたジオに戸惑いながらアイリーンがおずおずと問いかけた。
「いや、な、なんでもない。それよりもえ〜と、ほら、ここすごいだろう。ここの蔵書数は近隣の国々でも群を抜いているのだ!」
「ほんと、すごいですね。前に故郷の近くの街で図書館を覗いてみた事がありますけど……桁違いです」
まだ多少ぎくしゃくとはしているが、段々と会話が続くようになってきている。しかし、傍から見て本当やきもきさせられるペアだ。
「ん〜と、あれ、悪い。出身ってどこだっけ?」
「あ……オルゴン山脈の……近くのコロイドです」
「オルゴン山脈? コロイド?」
オルゴン山脈といったらエルファームから北西に数十キロ離れた砂漠に隣接する険しい山脈だ。近くに特に栄える都市もない辺鄙なところで、もちろんそこの近くにあるコロイドなんて街なんざ、仮にも学士院高等部生徒のジオでも聞いた事も言った事もなかった。
「あー、悪いけど知らない。ごめん」
「いえ……無理ないです。目立たないところですから……」
と、言いつつアイリーンは内心ほっとしていた。自分たちの正体がなんなのか、まだ知られるわけにはいかない。
「……そんな事よりも、ジオさんの事も聞かせて下さい」
「え? オレ? ああ、いいとも!」
「ねぇ、ルルちゃん。一昨日、『キメラの生態』シリーズの最新刊が入ったのよ。読みにいこう。ほら、こっちこっち」
ズリズリズリズリ。
「……ルル君。あちらの本はなんの本ですか? 説明して下さい。ほら、あっちです。あっち」
ズリズリズリズリズリズリ。
「い、痛いよ〜」
今にも泣き出しそうな、小動物のような可愛らしい悲鳴が上がった。
二人の少女に交互に引きずられて翻弄されて、女の子に取り合われるなどうらやましい限りであるのだが、生憎とルルの男としての精神構造は未発達で、おまけに交互に引きずられるこの行為は結構痛かった。
コリーとシュリーが視線を激突させて一歩も退かずに、
「ルルちゃんが痛がってるでしょ! その手離しなさいよ!」
「……それはそれは面妖な事を。貴女が離せばみんなまるく収まる。……これ、宇宙の真理なんですよ……」
「また意味不明な事を!」
二人は罵り合い、ルルちゃんを引っ張り合い、その時間実に数分。ルルもこれじゃ拷問と変わらない。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いってば〜〜〜〜! 誰か助けて〜!」
(はうっ! 私はなにをしているの? こんなにルルちゃんが苦しんでいるのに……)
コリーは、はっと我に返った。
そういえば昔話の一つにこんな話がある。
なんの因果か事情があったのかは知らないが、一人息子を取り合う母親が二人いた。その母親たちは互いに息子の腕をつかんで自分が本当の母親だと一歩も譲らなかった。んで、今のこの状況のように引っ張り合っていたんだけど、片方の母親が、息子が苦しんでいるのを見て、可哀想になって思わず離してしまったのね。そして結局どうなったのかと言うと、子供の事を想って手を離してしまった方が本当の母親になれた、という話なのである。
まぁ、つまりそういう事ね。じゃ、やってみよう♪
コリーがいきなりパッと手を離すと、急に抵抗の無くなったシュリーはコリーの都合の良い思惑を外れてルルごと本棚に突っ込んでしまった。
ドッシャァン。
バラバラと本が落ちてきた。
「……あ……ごめん」
「……こめんですめば裁判所もテロリストも必殺仕事人もいらない…」
シュリーが怒っているんだか、なに考えているんだかわからない様子でよろよろと立ち上がろうとした時、
「あ、危ない!」
ルルがシュリーを抱きかかえるようにして押し倒した。間一髪、シュリーが立っていたところを分厚い紋章広辞苑が襲った。
高いところからの落下物は大きかれ小さかれ大変危険な物である。実に危ういところであった。
「ルル君。ありがとう」
腕の中でシュリーが言う。仮面は今の騒動で外れていて、初めて素顔が露になっていた。なんだか、印象が全然違う。
「どういたしまして。怪我はない?」
「ううん。大丈夫。ルル君て、格好良いねっ☆」
「えっ! そ、そんな事ないよ……」
仮面の外れたシュリーはいつもの無愛想な雰囲気も一緒に外して、快活で、人好きの良い、男だったらついついつられて一緒に笑ってしまいそうな、魅惑的な笑顔を見せた。
ルルが今、微笑んだのは、友だちが無事だったのと、「格好良い」って、滅多な事では「可愛い」に取って変わられてしまう褒め言葉を言われたからであるのだが、コリーは漠然とした不安を感じずにはいられなかった。
「……というわけで、オレの夢はいつか偉大な父のように! 紋章術士として一花咲かせる事なのだぁ!」
馬鹿でかい声をふりまいて、いつしかいつもの調子を取り戻したジオはいつものごとく 熱血振り満々の話振りだ。アイリーンは人目を気にして恥ずかしそうに相槌をうっている。 周りの連中はいつもの事なので、あんまり気にしていないみたいだが。
「そのためには! ここ、学士院にて修練し! 学士院の総本山まで登り詰めねばならない! オレは必ずやこの手で紋章術を極め! うはうはの左うちわ人生……もとい、栄光の背番号五五番……でもなくて、学士院の紫の外套を手に入れるのだ!」
紫の外套とは学士院階級別第二位の術士に与えられる、階級を証明するものだ。真に優秀と言われる者だけが得、生半可な者では夢のまた夢の中の代物。今のジオにはちょっととは言わず、無理がある。
アイリーンはえっ、と驚きの声を漏らした。
「ん? オレなんか変な事言った?」
「……い、いえ……」
(夢……あるんだ……)
アイリーンは出発の前に長老から言われた言葉を思い出した。
『夢を持つ者は選ぶな。我らの欲するは我らと共に生きる者。夢に生き、和を妨げる者にあらず』
(でも……なにか方法はないかな……)
「あ〜、本でも読もう!」
何気ない言葉の中にとてつもなく不機嫌さのこもった声を上げつつ、コリーは突然二人のテーブルに着いた。
難解な理論書を読み始めた彼女にジオはあっけらかんと聞く。
「ん? ルルとシュリーはどうした?」
「ルルちゃんが怪我したから二人で治療術室だって!」
荒げた声にアイリーンとジオはきょとんと目を合わせた。