第30節 学校案内
薄暗い室内。窓も閉め切ったこの部屋の光源は重々しく台座に置かれた水晶球だ。
淡く輝く水晶の内側には、朧げにシェリーの顔が映し出されている。ローブを目深に被った老婆はボケたのか、誰もいないこの部屋で誰かに話しかけていた。
「……で、首尾はどうじゃ?」
『順調です』
なんと、ここにはいないはずのシュリーの声が水晶から発せられた。そう、実はこの水晶球は対になっているもう一つの水晶球の持ち主と通信会話できるという魔法の品物なのだ。
しかも、通信料は無料。一家に一台欲しい代物である。
『アイリーンの方はジオライト・サーバインという十七歳の男性。私の方はルル・アリアンロッドという十三歳です』
『……え、あの子……男の子だったの?』
突然アイリーンの声が聞こえた。姿は見えないがどうやら近くにいるらしい。
「なんじゃと……そのルルというのは本当に男なんじゃろうな。我らに失敗は許されんぞ」
『大丈夫です……』
シュリーは確かな口調で言った。
『確かめましたから……うふふ』
なにやら薄ら寒いものを感じて老婆もアイリーンも沈黙した。
老婆はせき払いを一つして仕切り直し、
「……ん、まぁ、なんだ。なにはともあれ、頑張るのじゃぞ。わしは大いに期待している、娘らよ。なにせ我らハルビュイアの未来は……」
『おや、彼らが向こうで呼んでいる。それでは、切ります。長老殿』
プツン。
ツーツーツー。
接続の切れた音がやけに物悲しかった。
「……で、ここが治療術室。回復術の講義や、怪我をした時はここに来るんだよ」
ルルは背後に続く四人に振り返りながら言った。もっとも、ちゃんと聞いているのは一人だけで、内二人はもう既に知っているし、一人は今にも失神しそうでそれどころではなく、また、静かに聞いていると思われる残り一人も仮面のお陰で表情は見えない。
放課後の院内の説明巡り。
マン・ツー・マンという事になっていたはずではあるのだが、ジオが無理にルルに頼み込んだか、脅したかして結局共同で行動する事になってしまったのだ。おまけにコリーは誘いもしないのに勝手についてきた。
「なぁに? このカルガモの団体は」
「……で、こちらが治療術室長のモニカ・ハーモニー導師」
ルルはさらりと説明した。茶っぽい髪のグラマラスなお姉さんはちょっと不機嫌そうな顔して、パイプをくわえていた。
「ああ、噂の転入生って奴ね。あたしの事は気楽にモニカで良いわよ。短い間だろうけど、よろしくね」
「ア、アイリーン・ロココクロスです……。よ……よろしく……お願いします」
「あらら、そんなに赤くなっちゃって、大丈夫? 熱でもあるの?」
モニカは体温を測ろうとアイリーンのおでこに手を当てた。触れた途端に、アイリーンはきゃっと小さな悲鳴を上げて卒倒した。ジオが慌てて支えると、それに気付いたアイリーンは顔を本当に真っ赤にして硬直。
「あらあら、可愛いのね〜、初々しいわぁ」
「……失礼ですが、モニカ導師は変態性の少女嗜好かなにかで?」
「……ルルちゃん。この不躾な仮面女、誰?」
「同じく転入生のシュリー・ハイディさんです」
ルルが冷や汗を垂らしながら言った。
その後ろでは、この女の紹介なんかいいのに、とコリーが不満を露にしていた。
「……貴女もう帰ってもいいですよ。案内はこちらの二人にお願いしますから」
「な、なんですって!? 失礼な人ね!」
どうやらこの二人、シュリーとコリーは初対面の印象が悪かったか、はたまた相性が極端に悪いらしい。さっきっから小さな衝突を繰り返している。ルルが双方をなだめて、なんとかなっているが、でもなければ喧嘩でも始めていそうだ。
ちなみに、ジオはがらにもなく照れて隣を歩くアイリーンを、そっぽを向く振りしてちらちらと見ている。アイリーンはその視線に気付いているのか、色白の肌を真っ赤にしてうつむいて歩いている。
まるっきり二人の世界だ。シュリーとコリーの争いも知覚してはいないらしい。
「まあまあ、仲良くしようよ。仲良く。ね。……あ、ほら見えたよ。あれが図書室」
図書資料室。紋章術の理論書から民間伝承、果ては観光地情報、毎日のおかずまで幅広い知識が集められている大規模な書庫だ。蔵書数は裕に数十万を数え、さすがに大陸一と言われる学士院総本山の大書庫には及ばないものの、なかなか充実したラインナップである。休日には一部限定して一般開放もしている。
ちなみに室長兼司書はルーチン・ワイルゲン導師。お茶目な白髭のお爺ちゃんである。
ルルたちはひとまず図書室内を自由に閲覧しようという事でふた手に別れた。振り分けは二人と三人。それぞれ誰らと誰らなのかは言うまでもない。