第26節 早朝の広場の出会い
憂鬱な曇り空の下。エルファーム中央にあるシエルジア広場の噴水の縁に腰掛ける1人の人物がいた。学士院エルファーム支部紋章学部所属ジオライト・サーバインである。
時刻は朝。いつもなら町中を脳天気に走り回っている頃だが、今日の彼は気分も落ち込んでとても元気がなさそうに思える。はっきり言って彼らしくない。
その原因はというと。
先日の一件であれこれ騒いだ挙句、結局探し物を見つけられなかったジオであったが、その次の日、彼が求めてやまなかった彼自身の秘密のポエム帳を、近所のツララさんにしんみりと、しかもちょっと視線を逸らされながら、渡されたからだ。
どうやら、ツララさんは中身を読んでしまったらしい。いっそ笑い飛ばしてくれればいいものを「人の趣味はそれぞれだから……」と、非常に微妙な態度で返されて、脆くて繊細で儚い、ちょっぴり背の低い十七歳の心は、いたたまれない程傷付いているのだった。
……家が近所だから、なにかとばったり会って気まずいし。
回想。
「……あの、ちなみにこれ、どこで拾いましたか? 他に誰か中身を読んだ人は?」
混乱しているのか、弱みを握られたと思っているのか、無意識に敬語を使ってジオが尋ねる。
実はこのポエム帳、女王陛下が直にツララを呼んで渡した経緯がある。馬騒動の日に拾ったのだと女王は語り、「詳しいことは聞かないでね」と女王はチャーミングな笑顔を見せた。プライベートの女王は同年代の娘らしい一面も備えていた。
そんな女王が、女の子顔負けの丸文字で書いてあるポエムを既に暗記している可能性があるとはジオも思いたくないだろうし、女王からも口止めされていた為、ツララははぐらかした。
「あの様子だと他にも誰か知っているのかもしれないな」
せめてもの救いは彼女が表立っては誰にもばらさないでいてくれていることか。特に彼女の父親で、悪名高い宿敵フブキには大地が裂けても絶対知って欲しくない。そう、絶対だ。こん畜生!
いきりたつジオだが、フブキの今の境遇を思い出して、少し笑った。
回想。
「えーと、そういえば、お父上は最近姿を見ませんが……?」
「……あ、そのー……」
「?」
「……身内の恥だからあんまり、言いたくはないんだけど……実は、釈放の日に迎えに行ったら、看守に……き、亀甲縛りをかけるなんて馬鹿なことをやらかしていて保釈延期になったの……今頃は服役代わりの奉仕活動をしてるはずなの……」
そう言って、ツララは滝のような涙を流した。
しかし、フブキのことで狂喜してもいられない。
ツララが父親を反面教師に誠実な面を持っているのを知っているが、自分がポエムを書くなんてファンシーな趣味を持っていることに激しいコンプレックスを抱いているジオは、もし彼女を怒らせたりして、またはなにか他の理由でもって、ポエム帳の秘密がご近所中に露見することになったりしたら、
「破滅だ……親父にも知られたことないのに……」
生きてはいけない、とネガティブな想像をして、打ちひしがれていた。
暫くの間、そういった様子で考え込んでいたジオだったが、やがて一大決心をすると、
「チクショー! もう二度とポエムなんざ書かねえぞ! ポエマー……もといポエットなんて大嫌いだぁ!」
赤いポエム帳を噴水の中心に向かって投げ付けた。
これぞ必殺証拠隠滅の術。つまり、
ポエム? なにそれ〜、知らないなぁ。オレがそんなもん書いていたっていう証拠見せてよ。なに、証拠ないの? んじゃあわからないねぇ〜、へっへ〜ん。
という流れのすんばらしい作戦だ。
特に、中途半端に法の整った世界では、有効な禁じ手だ。と言っても、こんな事に法律持ち出すのはかなり恥ずかしいし、人の口までは止められないだろうが、そこは人の噂も七十五日まで、というやつだ。
ジオは少々力み過ぎていたか、ポエム帳は噴水を飛び越して、向こう側へと落ちていった。
「きゃぁ!」
と、女の子の悲鳴が上がった。
(やべえ! これ以上アレを人に見られたら生きていかれねえぜ、べらぼうめ!)
と、この世の終わりみたいな顔をして、全力失踪……もとい全力疾走してドでかい噴水に回りこむジオだったが、事態はすでに遅く、だいたい向こう側へ辿り着いた時には、そこにいた女の子がポエムの書かれた手帳を開くところだった。
「駄目だァァァァッッ!」
必死の思いの叫びも虚しく禁断の手帳は開かれた。
『初恋の輝き』
空に浮かぶ あの太陽の輝きさえも
湖の番兵の ハゲ頭に過ぎない 君の瞳に比べたら
君の指先は 白魚のようで
決してシラスなんかじゃない
ああ そんな笑顔で僕を見ないで 君はまぶしすぎる
もどかしい この灼けるような想いが
ゲロリと口から出てしまうから
終わった……。
少女がわざわざ澄んだソプラノで朗読してくれて、ジオははっきりとそう思った。石畳の上にばさりと崩れ落ちる。
今までの人生が走馬灯のように目の前を流れていく。内乱で命を落とした父、気丈に自分を育ててくれた母、暇さえあれば喧嘩ばかりしている兄……らを押し退けて、まっ先に浮かんだのは哄笑するフブキの顔。
(……う。まだ死ねない)
ジオは思った。
「良い詩……ですね」
不意に、頭から、か細い言葉が降ってきた。
「その瞬間、全身に電撃が走った」とは後のジオの談。
ジオはびよよよよ〜んと擬音がつきそうな勢いで立ち上がると、今の言葉の主の両肩をつかんで、血気にはやって、思わず絶叫。
「オ、オレのポエムを解ってくれるのかぁぁぁ!!」
「……は、はい」
勢いに押されて、驚きもあらわに少女が言うと、ジオは歓喜の極みに至って少女を抱きしめた。
「ありがとう! ありがとう! ありがとぉう!!」
「あ……あの……」
ぎゅっと抱き締められて、ぶんぶん振り回される少女の顔は急速に真っ赤に染まっていった。赤面症なのか、異常な早さである。
(きゃ〜、なんなの……これは? なんで私は知らない男の人に……抱きしめられているの? しかもなんで振り回されているの〜? え。抱きしられている……? あ、私、だ、抱きしめられているんだぁ………はぅぅ)
急に少女の重みがましたような気がして、ジオは、はっと我に返る。腕の中には気を失った少女がいた。
(げっ、なんだか知らんがヤバい!)
そういえば、これはベアハッグの体勢ではないか。ジオはとっさに逃げる事を考えた。
だが、自分に降り掛る責任や面倒くさい事が大嫌いな彼にもなけなしの良心くらいはある。見れば、少女は自分より二つか三つくらい年下の、何故だか妙に気絶姿の似合う儚げな女の子ではないか。
緑に光る黒髪が、前は目にかかる程度、後ろはうなじまで伸びて、前にヘアバンドをしている。肌は病的な程白くて、おまけに、今手が触れている腰はもう少し力を入れれば折れてしまいそうなくらい細かった。ここでもし放っておいたりすれば必ずや、本分を忘れ権力闘争と自己利益しか頭のない無能な為政者のごとくに、激しい批判を受けるに違いない。
「……あの、それ、うちの知り合いなんですけど」
「なぬっ!」
どうしようか右往左往していたジオの側に、忽然と見知らぬ少女の姿が現れる。当然のごとく、ジオはオーバーな程飛び上がって驚いた。
「こ、この子あんたの知り合いなのか? 良かった。じゃ、じゃあ、後頼むな!」
ジオは、新たな少女に黒髪の少女を預けると振り返りもせずに一目散に逃げ出した。早い! 新記録だ! 金メダル間違いなしの鮮やかな逃げっぷりであった。しかし、
「なんであの子。仮面なんか被っていたんだろう?」
黒髪の少女の微笑みと、新たに現れた仮面の少女のしていた南方のスット・ドコイ族名物『泣き笑いの仮面』のヒゲの濃さはしばらく頭から離れなかった。