第10節 笑って許して一件落着
しかし、血は一滴も流れてはいない。半分になったやつもいなかった。
フブキが瞬間的にツララの長剣を使って軌道をずらしていた。
「ちったぁ、頭冷やせ、魚屋。でねえと、殺すぞ? あぁん!?」
「いや、あんたも十分興奮しているぞ」
ジオは震える声で言った。
「あー、わたしの剣がー。うわー、ひどいっ、刀身がめちゃくちゃになってる」
「あんたもこの状況でよく自分の剣の方を心配するな……!?」
混乱している場を落ち着かせるために、暴れ馬を近くの建物に結んだ命の恩人は目を回しているルルを背負ってやってきた。
「まぁまぁ、ここは一つ皆さん、冷静になってくださいよ」
嵐が過ぎた雲一つない空の色。今頭上にある空よりも鮮やかな髪の青年は、にこやかな笑顔を浮かべてみんなをなだめた。彼の名はライク・ライアット。便利屋をしている。要するに、依頼をすればなんでもするフリーターで、この界隈では少し顔が利く。
ライクの顔を見るなり魚屋は怒りを納め、フブキも不承不承手の陰に忍ばせていたナイフをしまった。いったいいくつナイフを隠し持っているのか、怪しい男である。
「まもなく王都警察の方々も来るでしょう。魚屋さんが、魚以外をさばいちゃいけませんよ」
王都警察とは、ナイトランサーのことだ。エルファーム王国騎士団ブルーゲイルは役割に応じて四つの部隊に分かれ、第二部隊ナイトランサーは王都の治安維持を任務としている。最も庶民と接する機会の多い騎士たちだ。
さて、ライク一級のユーモアは不発だった、かに見えたが。
「さばくっ! さばくね! 魚のさばきと裁きをかけているのねっ!? はははは、おもしろーいっ!」
フブキとツララのビクトレガー親子にはつぼだったらしく、父子そろって大笑いする様子をジオはジト目で見つめていた。
「それにしても、暴れた馬は、まだ訓練を受ける前のようですが、明らかに異常な暴走でしたね。なにが原因なのでしょう」
ふとライクが思案顔になるにつけて、場が静まる。疑念と困惑とが降って湧いて辺りを満たした、が……。
「当然だろう。おれは投げたナイフに興奮剤を塗っておいたのだからな」
フブキのあっけない自白によってあっさりと緊張は砕ける。娘による鉄拳制裁によって、悪は滅びた。
「結局、全部おっさんのせいだったな。……オレの言った通りじゃねーか」
ジオが吐き捨てる。後頭部に拳骨をくらってのびている父親の姿を不安げに見つめるツララに、ライクは優しく微笑みかけた。
「大丈夫ですよ。女王様は寛大なお心の持ち主です。悪逆非道な愉快犯にもお慈悲をくださりますよ、きっと」
それはそれで問題も起きそうなものだが。
「でも、女王様が悪人の審判をなさるわけじゃないでしょう?」
フブキが悪人であることを否定することはもはや二人の頭の中にない。
「それも大丈夫です。女王様はよく聞こえるお耳をお持ちです」
ライクの視線から逃れるように、ローブの人を乗せた白馬は通りをまっすぐに駆けていった。ツララはきょとんとして、ライクの顔と視線の先とを比べて、首をひねった。