#3 ちょっとしたトラブルと、いつもの帰り道
畑仕事というのは、思っているよりも予定通りにいかない。
俺が鍬を入れている横で、リリィは黙々と雑草を抜いていた。
午前中の柔らかい日差しが、畑全体をゆっくり温めている。
「……この辺、土が固いな」
俺が言うと、リリィが顔を上げた。
「昨日、雨降ったからかも」
「そんなに降ったか?」
「夜中に、少しだけ」
俺は寝ていたらしい。
言われてみれば、朝の土の匂いがいつもより濃かった気がする。
鍬を入れると、予想よりも深く刃が沈んだ。
「っと……」
足元の土が、ずるりと崩れる。
「アレン」
名前を呼ばれた次の瞬間、リリィが一歩近づいてきた。
「大丈夫?」
「ああ。転びかけただけだ」
「……無理しないで」
声は穏やかだが、視線はしっかり足元を見ている。
「この辺、あとで一緒に整えよ」
「一人でやれる」
「知ってる。でも、二人のほうが早いでしょ」
言い方が柔らかくて、反論しにくい。
結局、俺たちは並んで土をならした。
鍬と手作業。役割分担も自然に決まる。
こういうところが、妙に噛み合う。
***
昼前になって、少し風が出てきた。
「今日はここまでにしよっか」
リリィが言う。
「まだできるが」
「できる、じゃなくて」
一拍置いて、彼女は続けた。
「今日はここまでで十分」
その言い方に、変な説得力があった。
「……分かった」
鍬を立てかけると、リリィは少しだけ安心したように息を吐いた。
「お昼、簡単でいい?」
「問題ない」
「じゃあ、スープの残りとパンで」
畑を離れて小屋に戻る途中、ふと違和感に気づいた。
「……あれ?」
鶏小屋の前に、いつもいるはずの影がない。
「リリィ、鶏は?」
「……いない?」
二人で顔を見合わせる。
「朝はちゃんといたよね」
「いた……はず」
小屋の扉も閉まっている。
嫌な予感はしないが、放っておくわけにもいかない。
「探すか」
「うん」
声を張り上げるほどでもない。
この辺りで、危険な魔物が出ることはまずない。
俺たちは手分けして、草原の方へ目を向けた。
少し離れた場所から、間の抜けた鳴き声が聞こえた。
「あっちだ」
声の方向へ歩いていくと、草の陰で一羽の鶏がうずくまっていた。
どうやら、網をくぐり抜けたらしい。
「……やっぱり」
リリィはしゃがみ込んで、鶏に視線を合わせる。
「驚いた?」
優しく声をかけると、鶏は首を傾げた。
「怪我はなさそうだな」
「うん」
リリィは鶏を抱き上げるでもなく、しばらく様子を見てから言った。
「この子、たぶん風に驚いただけ」
「分かるのか?」
「なんとなく」
その“なんとなく”が、意外と外れない。
「アレン、手伝って」
「どうするんだ」
「一緒に戻るだけ」
二人でゆっくり囲むように歩くと、鶏は大人しく小屋の方へ戻っていった。
「……大事にならなくてよかったな」
「うん」
リリィは小屋の柵を直しながら、ぽつりと言った。
「こういうのも、非日常だよね」
「そこまで大層なものでもないが」
「でも、たまには小さな刺激が必要でしょ」
言われてみれば、その通りだ。
***
昼食を終えたあと、俺は小屋の前で腰を下ろしていた。
風が心地よく、眠気を誘う。
「……お昼寝する?」
リリィが聞いてくる。
「少しだけ」
「じゃあ、そのままでいいよ」
彼女はそう言って、隣に腰を下ろした。
しばらく、二人とも何も言わない。
草の音と、遠くの鳥の声だけが聞こえる。
「ねえ、アレン」
「なんだ」
「今日みたいなの、嫌じゃない?」
「……ちょうどいい」
正直な感想だった。
リリィは小さく笑った。
「よかった」
それ以上は、何も言わない。
その距離感が、心地いい。
俺は目を閉じる。
まぶたの裏に、穏やかな昼の光が残る。
何も起きない一日。
少しだけ予定がずれて、少しだけ手間が増えて、それで終わる。
――それでいい。
目を閉じる前に、リリィの声が聞こえた。
「ちゃんと、ここで生きてる感じするね」
俺は返事をしなかった。
その言葉を、静かに噛みしめていた。
第3話までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、
畑仕事や鶏探しなど、辺境での「生活そのもの」を描く回でした。
大きな事件ではありませんが、こうした小さな出来事の積み重ねが、この物語の日常です。
アレンとリリィの関係も、
騒がしすぎず、静かすぎず、少しずつ形が見えてきた頃かなと思います。
この距離感が、今後どう変わっていくのかも楽しんでいただけたら嬉しいです。
次回も、スローライフを軸にしつつ、少しだけ新しい風が吹く予定です。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




