第41話 手当草と、随行
ギルドの板の前は、昼のわりに空いていた。
掲示が一枚、端だけ浮いている。
篝は立っているだけだと落ち着かなくて、受付へ寄った。
マレイは手元の紙を揃えてから、目だけ上げる。
「篝さん。……前の件、向こうから“きちんと受け取りました”って」
“向こう”。
どこを指すかは、言わなくても分かった。
「それで、ひとつだけ。軽いお願い、回ってきてます」
マレイは紙の端を押さえたまま言う。声はいつも通り低い。
「門の外縁で、手当てに使う葉を少し。(量は――この袋、いっぱいまでは要りません)」
布袋がひとつ、机の端に置かれた。
篝はそれを受け取って、重みのなさに逆に不安になる。
「……はい」
返事は出た。出たのに、喉の奥が一回だけ縮む。
腰の鞘に、指が触れた。
木剣より、こっちのほうが動かしやすい。
重いのに、重さの置き場が決まっている。歩いても、ぶれない。
「場所は……外縁の、土が湿ってるところ。石の目印があるって聞いてます」
マレイは言いながら、最後にひとことだけ足す。
「南門の上の警鐘が鳴り始めたら、戻ってください」
篝はうなずいて、外へ出た。
街は昼の音が多い。
荷車のきしみ、呼び声、鉄の輪が石を叩く音。そこに自分の靴音が混ざる。
南門へ向かう途中、門の影が浮かんで、胸の奥がざわついた。
門の内側、列は短かった。
門録の机のあたりに紙の匂いが溜まっていて、息を吸うと鼻の奥が乾く。
「お。……この前、列にいた子か」
声が横から差し込んだ。
歯が見える笑い方。目は笑い切らない。
この前、門で見た男。
金色の留め具が胸元で光る。泥ひとつ付いていない。
「――フランクだ。好きに呼べ。外、行くのか?」
フランクは、篝の腰の鞘を一度だけ見て、すぐ顔へ戻した。
怖がっていない。測ってもいない。新人を見るみたいな目だった。
「……依頼で」
「何のだ」
「葉を。……鐘が鳴ったら戻れって」
言った瞬間、自分の声が乾いてるのが分かった。
フランクは鼻で笑って、胸元の札を一度だけ指で弾いた。
「じゃ、俺も行く。――いや、行かせろ」
言い方が押しつけがましいのに、声は軽い。
篝は足を止めた。止めたせいで、次の言葉が遅れる。
「……えっと」
「新人一人で外は、ちょいと危ねえだろ。……ここは色々、息苦しい」
息苦しい。
その言葉が、門の石の影に残る気がした。
篝が返事を迷っている間に、門録の机の係がこちらを見た。
目だけ。顔は動かさない。
フランクが先に、胸元の金札を指で弾いた。きらり、と光る。
それから、篝の布袋を顎で示す。
「この子の随行だ。手続きは守る。……戻りは鐘が鳴り始めたら、でいいんだろ」
係は、篝の腰と足元に一度だけ視線を落とした。
そして、淡々と頷く。
「……外縁。道を外れない。警鐘が鳴り始めたら戻る。――以上」
「了解」
フランクの返事が早い。早いのに、急かさない。
門を抜けると、匂いが変わった。
土と草。湿り気。風の冷たさが、頬に当たる。
外縁は、街の外なのに、すぐ背中に壁がある。
壁の影が濃い。影の中の空気が、少しだけ冷たい。
「こっちだ」
フランクが先に歩く。横に逃げない歩き方。
篝は少し後ろに付いた。近すぎない距離。離れすぎない距離。
石の目印は、すぐ見つかった。
白っぽい石が二つ、並べられている。そこだけ土が湿っている。
草は、背が低い。
広い葉が地面に貼りつくみたいに広がっている。踏むと、少しだけぬるい匂いが立つ。
「こういうの。――子どものころ、よく擦りつぶして貼った」
フランクは膝をついて、迷いなく葉を摘んだ。
金札の留め具が、土の近くまで下りる。
「汚れる」
篝が言うと、フランクは一瞬だけ目を丸くした。
それから、腹の底で笑う。
「汚れるな。……だから何だ」
言い切って、葉を袋に放り込む。
放り込む音が、布の中で鈍く響いた。
篝もしゃがんだ。
腰の鞘が邪魔にならない。木剣より沈みが速い。速いのに、落ち着く。
次に、右手を伸ばす。
伸ばす前に、足首が少しだけ前へ行きたがった。行きたがるのを、押さえる。
指が葉の縁に触れる。
触れた瞬間、ぬめりが指先に残った。冷たい。
「お、いいの見つけるの早いな」
フランクが言って、同じ葉をもう一枚探そうとして――足が滑った。
足が滑る、と分かったのは声より先だった。
篝は手を伸ばして、フランクの腕の肘あたりを掴んだ。
掴んだ自分の指が、先に動いたことに驚く。
驚いたのに、掴んだ力は強くない。必要なだけ。
「おっと……」
フランクは立て直して、掴まれた腕を見た。
それから篝の顔を見る。笑いは短い。
「助かった」
「……転びそうだったから」
「そうだな」
それ以上、何も言わない。
言わないのに、フランクの指先が忙しくなる。確かめるみたいに、留め具を二回触った。
袋が半分ほど埋まったころ、遠くから音が来た。
鐘だ。門の上の警鐘だ。最初は薄い。薄いのに、背中が固くなる。
篝の足が勝手に帰り道へ向く。
向いた自分が、嫌だ。嫌なのに、止まれない。
「……あれが、鐘か」
フランクが言った。軽口みたいな言い方で、途中で止まった。
門の方角を一度見て、舌の奥で何かを飲み込む。
「戻るぞ」
言い方が、さっきより静かだ。
帰り道、風が冷えた。
草の匂いが薄くなって、壁の影が濃くなる。
門の前に着くと、係は篝の袋を見る前に、二人の靴の泥を見た。
見て、何も言わない。言わないまま、手続きを進める。
フランクは胸元の金札を指で弾きかけて――やめた。
弾く代わりに、掌を開いて見せる。泥が付いている。
「……随行、終わりだ」
「……帰還、記録」
係の声は低く、一定だった。
門の内側へ戻ると、街の音がまた増えた。
増えたのに、鐘の音だけは消えない。耳の奥で鳴っている。
ギルドへ戻ると、マレイが袋を受け取った。
受け取って、口を開く前に一度だけ頷く。
「……助かりました。こちらで回します」
それだけ。
“向こうへ渡す”とも言わない。言わないまま、仕事に戻る。
篝が振り返ると、フランクは入口のところに立っていた。
立ち姿が正面からで、横に逃げない。
「飯、どうする?」
誘う声は軽い。軽いのに、目は笑い切らない。
篝は、答えが遅れた。
遅れた間に、鐘がもう一段、はっきり聞こえた。
「……宿に、戻ります」
「そうか。……ここはそれが正しいんだろうな」
フランクは肩をすくめた。
すくめ方が雑で、泥が少しだけ落ちる。
「じゃ、またな。――新人」
呼び方が平たい。
平たいのに、嫌じゃなかった。
篝は宿へ向かって歩き出した。
腰の鞘がぶれない。ぶれないのに、胸の奥が落ち着かない。
金札は、見せつけるものだと思った。
でも、土に膝をついても気にしない人が、金札を付けていた。
札って、何を守る札なんだろう。
鐘が鳴る。
鳴るたびに、街が少しだけ早足になる。
篝も、早く歩いた。




