第40話 封蝋と、金札
昼前にギルドへ戻ると、板の前に人が少なかった。
紙が風で一枚めくれた。めくれたまま、誰も直さない。
篝は一度だけ周りを見て、受付へ寄った。
立っているだけだと、落ち着かない。
マレイは篝の顔を見る前に、手元の紙を揃えた。
それから、目だけ上げる。
「篝さん。……南門まで、ひとつだけお願いできますか」
差し出されたのは、小さな封筒だった。
赤い封蝋に、鐘みたいな印が押されている。割れたら分かるやつ。
「門録の机に渡して、受け取りの印をもらって戻ってきてください。……簡単な用事です」
簡単。
その言い方が、逆に緊張を呼ぶ。
「はい」
篝は封筒を受け取って、内ポケットへ入れた。
角が布越しに指へ当たる。薄いのに落ち着かない。
腰の鞘に手が触れる。
木剣より、こっちのほうが動かしやすい。重さがあるのに、重さの置き場が決まっている。
外へ出ると、昼の街は音が多い。
靴音。荷車。呼び声。鉄の輪が石に当たる音。
篝は人の流れを避けるたび、鞘がぶつからない距離を探した。
探すのが早い。早いのに、慣れた感じがしない。
南門は、遠くからでも分かった。
石のアーチがでかい。影が濃い。
門の内側に、通行を待つ列ができていた。
旅の荷。布の匂い。乾いた泥。外の匂いが混ざっている。
その脇に、門録の机の前にも短い列があった。
篝はそっちの最後尾に入る。焦りそうになる。焦ると、内ポケットの角がずれる気がした。
列が少し進んだとき、横から人が流れ込んできた。
数人。鎧じゃない。けど、装備は軽くない。
先頭の男が、門番へ正面から立った。
笑い方が大きい。歯が見える。けど、目は笑い切らない。
「おー、悪い悪い。金札。通るよ」
胸元で何かがきらりと光った。
札だ。金色の留め具。見せつけてるのに、見せつけてる顔じゃない。
男の指先が忙しい。
札の縁を弾いて、留め具を触って、次に机の端を二回だけ叩く。
門番が眉を動かした。動かしただけで、顔は変えない。
槍の柄を押さえたまま、片手を軽く上げた。列を指す。
「……南門は列だ。札持ちでも、まずは門録へ回れ」
「列に割り込むつもりはねえよ」
男は笑って、胸元の金札を指で弾いた。きらりと光る。
「手続きが違うだけだろ? ――で、聞く。灯切って、どこ担当なんだ」
灯切。
篝の耳が、その単語だけ拾った。喉が勝手に乾く。
門番の目が細くなる。声が一段、落ちた。
「……ここでその言葉を出すな」
言ってから、列のほうへ視線を滑らせる。近くの背中が、一つ、また一つと固くなる。
「管轄が違う。――それだけだ」
「それだけ、じゃないだろ。お前も知ってるんだろ?」
男は怒鳴らない。怒鳴らないのに、前に出る。
「その言葉って何だよ。灯切が何だ。口止めするほどのことか?」
門番は返事を急がない。机の角に指先を置いて、爪で一度だけ木を鳴らした。
「理由は言えない。規定だ」
「規定って便利だな」
「規定通りにしか、応対はしない。――揉めるつもりなら、門録じゃない。こっちで扱う」
門番が鋭く男を見据える。
笛の紐に指がかかる。槍の穂先が、列のほうへ向きを変える。守る向きだ。
隣の連れが、袖を軽く引いた。引く動きが小さい。
男は一瞬だけ口を閉じて、歯を見せたまま息を吐く。
「分かった。分かったよ。――後で聞く」
“後で”の言い方が、約束じゃなくて、予告みたいだった。
その一団が列の脇を抜けていく。
抜けるとき、男の視線が篝の腰に一度だけ落ちた。
見て、すぐ外れた。
怖がってない視線だった。測ってる視線でもない。新人を見るみたいな、平たい視線。
「……フランク。行くぞ」
連れが小さく呼んだ。
名前が、雑踏に溶ける前に一度だけ残る。
フランクは振り返らない。
横に逃げない。まっすぐ門へ向かっていく。
篝は見ないふりをして、順番の背中へ視線を戻した。
戻したのに、指先だけが落ち着かない。
ようやく篝の番が来る。
門録の机は、紙の匂いが強かった。
インクと、乾いた木と、外気が混ざっている。
机の向こうの係が、封筒を見る。
「……ギルドの印。はい」
封蝋の割れ目を一度だけ確かめてから、帳面に何かを書いた。
ペン先が紙を引っかく音が一定で、一定だから、呼吸が合いそうになる。
篝は息を置いた。置かないと、立っているだけで吸い込まれそうだった。
「受け取り。……これを」
紙が一枚返ってくる。
印が押されている。押された跡が少し盛り上がって、指に引っかかる。
「ありがとうございます」
言って、篝は横へ退いた。
その瞬間、門の影の奥で、さっきの笑い声がもう一度だけ聞こえた。
笑い声は大きいのに、軽くない。
軽くないまま、昼の音に埋もれていく。
篝は腰の鞘に触れて、手を離した。
離しても、腰の位置はぶれない。ぶれないのに、背中が少しだけ落ち着かない。
帰り道、街は相変わらず動いていた。
動いているのに、門の影だけが、まだ目の奥に残っている。
ギルドに戻ると、マレイは受け取りの紙を受け取った。
受け取って、端を揃える。
「……助かりました」
それだけ。
それだけなのに、封蝋の赤が指先に残っている気がした。
篝は椅子の背に視線を落として、内ポケットの角が消えているのを確かめた。
午後は、まだ残っている。
残っているのに、笑い声だけが、耳の奥に残っている。




