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異物の魔女騎士 ―転生面接で神に拒否され、原初の魔女に拾われた少女―  作者: 畑野きび
第六章:鐘と像

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第39話 讃美歌と、首元

 朝の光は、白い。白いのに、温かくない。

 篝は宿の薄い毛布を押しのけて起きた。

 昨日の夜に聞いた「大聖堂」の単語だけが、寝起きの頭の奥でまだ転がっている。


――見に行くといいですよ。


 あの受付の軽さが、逆に気になった。

 行く理由は、ちゃんとはない。なのに、行かない理由も見つからない。


 戸を出る。廊下の木が鳴る。

 外に出た瞬間、頬が少し痛い。息が白い。

 路地の石は濡れていないのに、冷たさだけが靴底に残る。


 町はもう動いていた。露店が布を張り、パンの匂いが流れてくる。

 篝はその匂いに一瞬だけ腹が反応して、すぐ引っ込めた。

 気を抜くと、自分の足が勝手に早くなる。


 曲がり角をひとつ。もうひとつ。

 背中に気配がついてくる。


 セルジュは、距離を詰めない。

 近いと怖い。遠いともっと怖い。

 篝の身体が、その間を勝手に選んでしまうのが嫌だった。


「……行くの、早いですね」


 セルジュが言う。やわらかい敬語で、責めない声。

 篝は「うん」とだけ頷いた。説明を始めると、どこまでも長くなる気がした。


 大通りに出ると、建物の背が変わった。石が太い。窓が高い。

 その向こうに、さらに高い影がある。尖った屋根。黒い線みたいな柱。


――「線」って言葉が喉に引っかかって、飲み込んだ。


 影は、重い。

 空に刺さっている、というより、地面に沈んでいる。


 近づくほど、音が混ざってきた。

 人の声。笑い声。車輪の軋み。布の擦れ。

 その奥に、別の声がある。


 歌。

 言葉がはっきり聞こえないのに、揃っているのだけ分かる。


 篝の歩幅が、勝手にその拍に合いかけた。

 合いそうになって、嫌で、ほんの少しだけずらす。

 ずらしたのに、次の一歩がもう合っている。


――やめて。


 心の中で言って、足首に力を入れた。


 大聖堂の扉は、思ったより低い音で開いた。

 ぎい、じゃない。ごう、でもない。厚い木が、重さで動く音。

 中の空気は冷たい。でも外の冷たさとは違う。石の冷たさだ。


 匂いがする。蝋の甘い匂い。湿った布。金属。

 目が慣れるまで、しばらく白っぽい。


 歌は、近い。

 天井のどこかから降ってくるみたいなのに、足元からも響く。

 声が、床に落ちて、跳ねて、戻ってくる。


 篝は一歩だけ進んで、止まった。

 止まったのに、歌の「次」が来るのが分かった。

 来る、と分かるだけで、何の言葉かは分からない。


 柱の影のあいだに、人がいた。

 袖をまくった女が、布を運んでいる。肩から落ちそうな髪を、指で押さえて、また運ぶ。


 ルチアだった。


 ルチアは篝を見つけて、目だけで「えっ」と言った。声にしない。

 口元を手で隠して、小さく息を吸った。

 それから、口の端だけを少し動かす。


「……なんで、ここに」


「……分かんない」


 篝が小さく返すと、ルチアは短く息を吐いた。

 その息が、歌に飲まれて消える。


 ルチアは視線で奥を示した。

 示した先に、笑顔がいる。


 ユストだ。


 昨日の、あの「受理」の人。

 笑っているのに、今日の笑いは薄い。薄いのに、崩れない。


「おはようございます、周防さん」


 呼ばれ方が、丁寧すぎて背筋が固くなった。

 ユストは距離を詰めないまま、まずセルジュに頭を下げた。

 セルジュも同じ角度で返す。形が揃う。


「昨日の件は、手元で受けています。……今日は、確認ではありません」


 言い切ったあと、ユストは篝の手元を見る。

 視線が来るのに気づいて、篝は自分の指を握った。

 握る必要はないのに、握ってしまう。


「大聖堂は、初めてですか」


「……うん」


「それなら、よかった。……見てください」


 よかった、の意味が分からない。

 分からないまま、篝は頷いてしまった。頷く方が、楽だった。


 歌が、一段だけ近くなる。

 奥の空間で、合唱の列がゆっくり動いていた。

 人が多いのに、音が乱れない。足音がほとんど聞こえない。

 篝は、その列が次に止まる場所を先に当ててしまう。当てて、嫌になる。


 「善は、善を――」

 どこかで、それだけが切れて落ちた。

 「声なき――」

 次はそれ。残りは歌に溶けた。そう聞こえた。


 篝は耳の奥がむず痒くなって、首をすくめた。

 歌はきれいだ。でも、きれいすぎると、逃げ道が減る。


 ユストが、歩き出す。

 肩がほんの少しだけ動いた。篝はそれを見てしまって、自分も一拍遅れて動いた。


 中央の広い場所に、像があった。

 石の台座。その上に、騎士。


 オルトヘイム像。


 篝は、足が止まった。

 止まったのは「大きいから」じゃない。見覚えがあるからだ。


 武具庫で見た甲冑。あの黒い色。光を吸うみたいな面。

 肩の張り。胸の形。金具の並び。――似ている。似ているのに、違う。


 首元。


 喉のあたりの金属が、妙に滑らかだ。

 武具庫のそれは、もっと雑だった。継ぎ目がずれていた。鋲が新しくて、そこだけ浮いていた。

 補修の跡が、隠しきれていなかった。


 ここは、違う。

 違うのに、同じ形をしている。


 篝は、石の騎士の喉の前で、自分の喉が一回だけ縮むのを感じた。

 息が、短くなる。


「……触りませんよ」


 ユストが言った。

 篝はびくっとして、手を見た。手は伸びていない。でも、伸びる「次」が自分の中にあった。


 セルジュが、篝の少し前に立つ。

 立ち方が、邪魔じゃない。止めるためじゃなく、壁になるための立ち方だ。


「見学だけで、大丈夫です」


 セルジュの声は、いつもと同じ温度だった。

 篝はその温度に、少しだけ救われた。救われたくないのに。


 ユストは笑った。笑ったまま、像から目を離さない。


「オルトヘイムの像は、ここの誇りです。……原典に近い造りだと聞いています」


 原典。

 篝はその言葉で、武具庫の「本物っぽさ」を思い出した。石じゃなく、金属。冷たさ。重さ。

 首の周りだけ、やけに新しかったこと。


「……首……ここ、違う」


 口に出してから、篝は後悔した。

 説明になる。説明になると、混ざる。


 ユストの笑顔が、ほんの少しだけ薄くなる。


「“違う”って、どういうことですか」

 声は軽いのに、言葉だけが硬い。


「喉のところが……妙に、滑らかで」

「継ぎ目、ですか。補修の跡――そう見えた、と」

 ユストは確認するみたいに、像の首元へ視線を置いた。

 篝は目を逸らした。逸らした先で、ルチアが立ち止まっているのが見えた。

 ルチアは、歌の列を気にしている。仕事の手が止まりかけて、止め直す。


 歌が、少しだけ変わった。

 音が下に落ちる。落ちた音が、戻ってくるまでが長い。

 戻ってくる音を聞いている間に、次の音が来る。

 篝の頭の中で、順番が勝手に並ぶ。


 列が曲がる。

 袖が揺れた。息が入った。

 篝は、見たくないのに見てしまう。


 ユストが、小さく息を吐いたのが聞こえた。

 笑顔は崩れていない。でも、目の周りだけが固い。


「周防さん。……ここで、何が見えますか」


 質問が、軽い調子なのに重かった。

 篝は答えを探して、喉に引っかかった。言葉にすると、変になる。


「歌が……次に、来るのが分かる」


「音、ですね」


「それだけじゃない。……人も」


 言った瞬間、ルチアが「やめてよ」と言いたげな顔をした。声にしないまま。

 篝はその顔を見て、口を閉じた。閉じたのに、もう遅い気がした。


 セルジュが、間を挟んだ。


「ここは、落ち着く場所です。……詰めすぎないで」


 優しい釘だった。

 ユストは、その釘を受け取ったように見えた。笑顔のまま、頷く。


「すみません。……今日は見学だけにしましょう」


 そう言って、ユストは一歩だけ下がった。

 一歩なのに、空気が少し広がる。篝の肩が、少しだけ下がる。


 ルチアが、小さく手を振った。仕事に戻る合図。

 篝はそれに頷き返して、像から視線を外した。

 外した瞬間、首元の滑らかさだけが、瞼の裏に残った。


 外に出ると、光が眩しかった。

 眩しいのに、温かくない。昼が近い。


 ユストは扉の前で立ち止まり、軽く頭を下げた。


「正午前に、ギルドへ戻ります。……何かあれば、呼びます」


 呼ぶ、が「お願い」じゃないのが怖い。

 篝は「うん」と言ってしまった。言ってから、また嫌になった。


 帰り道、歌は背中で小さくなっていった。

 小さくなるのに、途切れない。途切れないのに、町の音に溶ける。


 篝は歩きながら、自分の足音の「次」を探してしまう。

 探すのをやめたいのに、探してしまう。


 正午の少し前。ギルドの前で、セルジュが立ち止まった。

 その止まり方だけで、午後が「何か」になるのに気づいた。


 気づいたのに、内容はまだ見えない。

 見えないのが、少しだけ助かる。

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