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異物の魔女騎士 ―転生面接で神に拒否され、原初の魔女に拾われた少女―  作者: 畑野きび
第六章:鐘と像

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第33話 石灰と、帳面の外

 ひさしの影が床を切って、土埃だけがそこに集まったみたいに見えた。

 訓練場の石灰の線も、乾いて薄い。踏めば消えそうな白さだった。


 セルジュが先に中へ入って、線をまたがずに立った。

 篝にも、同じ場所を目で示す。


「今日は立ち合いはなしにしましょう」

 声は軽い。さっきの続きみたいに、当たり前の調子だ。

「代わりに、訓練の手伝いをします。……とりあえず、素振りをもう一度見せてください」


「……はい」


 篝は木剣を握り直した。

 軽い。軽いのに、掌の内側だけが先に熱くなる。

 内ポケットに指が寄りかけて、止める。銅札を確かめる癖が、まだ抜けない。


 息を一つ入れて、振る。

 止める。

 止めた先で、相手を見る――その前に、視線が勝手にセルジュの肩へ吸われた。


 セルジュは、何も言わない。

 見ている。顔じゃなく、足と手だけを。


「うん。いいです。大丈夫」

 間を置かず、セルジュは指を立てる。

「でも、ひとつだけ。止めるとき、肩が上がりやすい。……ここ」


 自分の肩を、指で一度だけ叩いて見せる。

 篝が意識すると、肩の内側がぎくっと鳴った。


「剣を振る前に、肩で構えない。足と腰で、先に落ち着く。――もう一回」


 篝はうなずいて、同じ動きを繰り返した。

 止める位置は同じなのに、止めた瞬間の腕の痺れが少しだけ薄い。


 セルジュが小さく息を吐く。


「そう。それです。……じゃあ次。ぼくが一個だけ、違う動きを見せますね」


 セルジュは線の外側へ半歩ずれて、木剣を持ち上げた。

 構えが変わる。腕じゃなく、足の置き方が先に変わる。

 かかとが、ほんの少し浮く。

 肩が開く前に、背中のどこかが沈む。


 ――来る。


 篝の身体が、そう判断した。

 セルジュが振る“前”に、篝の腕が上がる。


 振り下ろし。

 止める。

 止めた先で、相手を見る――じゃなく、相手の足元を見る。


 空気が薄く鳴いた。

 木が鳴るより先に、風だけが擦れた音がした。


 セルジュの木剣が、途中で止まった。

 止まったまま、セルジュの指先が手袋の上で一度だけ曲がる。握り直す癖。


「……今の、見えました?」


 篝は言葉を探して、見つからなかった。

 見えた、の意味が多すぎる。


「……わかり、ました。多分」


「多分でいいです」

 セルジュは笑って、でも、笑いを薄くする。

「じゃあ、もう一回。今度は、ぼくが“ゆっくり”やります」


 ゆっくり。

 その単語が助かるのに、篝の胸の奥が落ち着かない。


 セルジュが、同じ前動作を作る。

 かかと。背中。肩の開き。

 篝は、それが「次は斜めだ」と言っているのを見た。


 セルジュが斜めに振る前に、篝が斜めに振った。

 止める。

 止めた先で、セルジュの手元を見る。


 セルジュが、今度は声を出さなかった。

 代わりに、息が一拍だけ遅れる。遅れてから、すぐ普通に戻す。


「……篝さん、目がいいですね」


「……目?」


「うん。目」

 セルジュは言い直すみたいに続けた。

「剣を見るんじゃなくて、体の“前の動作”を見てる。足とか、肩とか。……できる人、なかなかいません」


 なかなかいない。

 篝は、その言葉だけが引っかかった。

 自分が何を“普通じゃない”のか、まだ何も分かっていない。


 セルジュが木剣を下ろす。


「じゃあ、次。今度は、ぼくが動くんじゃなくて――篝さんが先。ぼくが後から動きます」

 言い方が柔らかい。

 でも、“幅”を狭める声だ。


「一回だけ、振って止める」

セルジュは一拍おいて、続けた。

「次は――止めたあとに、相手をよく見る。顔じゃなくて、手と足。」


 篝はうなずいた。

 うなずける範囲に落ちると、喉の奥が少しだけ楽になる。


 振る。

 止める。

 止めた先で、セルジュの足と手を見る。


 セルジュのかかとが、ほんの少し浮いた。

 腰が、わずかに回りかける。


 ――上から。


 篝の体が、そう判断した。

 セルジュが振る前に、篝の木剣が上がる。

 振り下ろし。止める。


 セルジュの木剣が、途中で止まった。

 見せるつもりだった動きが、追いつかない。


 もう一回。

 今度は、セルジュの肩が開きかける。腰が先に回る。


 ――横から。


 篝が先に、斜めへ入る。止める。

 セルジュの手元が、空中で迷う。


 息を入れ直して、もう一回。


 セルジュの動きは、きれいで、無駄がなくて、だから余計に「次」が読める。

 つま先。腰。手元の位置。

 全部が、次の形を先に教えてくる。


 篝の体が、前に出る。

 出かけて、止める。


 セルジュが、三回目で、はっきりと半歩下がった。

 線の外。

 石灰の白から、外へ。


 篝は止めたまま、呼吸を探した。

 腕が痺れている。木剣なのに。

 痺れのせいで、動いているのが自分なのか、目なのか、分からなくなる。


 セルジュは、笑おうとして、やめた。

 やめたまま、声だけを柔らかく戻す。


「うん。今日はここまでにしましょう」

「篝さんが悪いわけじゃないですよ。大丈夫です。……困りましたね」


 困る、と言われた。

 その理由が、まだ見えない。

 ちゃんとしてる。

 その評価が、篝にはいちばん怖い。


「一気に詰めると、手が変なふうに覚えます」

 セルジュは言いながら、自分の手首を軽く回した。ほどくみたいに。

「今日教えるのは、これだけ。立ち方。止め方。相手の“手と足を見る”。――それだけです」


 篝は息を吐いた。

 吐いた息が、やっと肺の外へ出た気がした。


「……はい」


「よし」

 セルジュが、いつもの調子に戻す。

「じゃあ、ギルドに戻りましょう。やること、済ませてしまいましょう」


    ◇


 訓練場を出て、廊下を戻ると、音が戻ってきた。

 紙をめくる音。ペン先。誰かの靴底。

 さっきまでの土の匂いが、背中に薄く残っている。


 ――奥の机で、ペンの音が止まった。

 止まったのに、誰も「止めた」とは言わない。

 ひと呼吸ぶんの間だけ、紙の白さが目に刺さる。


 机の向こうで、リリアが顔を上げた。

 見つけた瞬間の笑い方だ。


「あ、セルジュさん。おかえりなさ――」

 それから、篝へ視線が移る。

 明るさが、そのまま続いた。


「篝さん、どうでした? セルジュさんに、ちゃんと見てもらえました?」


 篝は答えようとして、口が少し遅れた。

 見てもらえた、の意味が広すぎて、どこから触ればいいか分からない。


 セルジュが先に言った。

 声はいつも通り、やわらかい。けど、最初の一音が少しだけ引っかかった。


「……うん。ちょっと、困ってます」


「困ってます?」

 リリアの眉が上がる。

「え、どこか痛めました? 腕? 指?」


 篝は反射で自分の手を見る。

 痺れはもう薄い。なのに、掌の内側だけがまだ熱い。


「怪我じゃないです」

 セルジュはすぐ否定して、言い直すみたいに息を置いた。

「篝さんが悪いんじゃなくて……ぼくのほうが、追いつかない感じがします」


 リリアが、一瞬だけ固まった。

 固まってから、ゆっくり瞬きをする。


「……セルジュさんが?」

 冗談だと思いたい顔。

「え、でも、セルジュさん――」


 セルジュは笑わなかった。

 笑えない、じゃなく、笑わないで丁寧に置くみたいな顔だった。


「教えられない、って意味じゃないです。手伝います。ちゃんと」

 それから、少しだけ声が低くなる。

「……立ち合える人を探します。篝さんと、ちゃんと釣り合う人」


「釣り合う……」

 リリアが、言葉をそのまま口の中で転がした。

 よく分からない、の顔がそのまま出る。


 篝も、よく分からない。

 分からないのに、怖い、が先に来る。

 怖いのに、胸の奥が妙に静かだ。


 セルジュは机の端を見た。帳面。ペン。

 ――奥で、ペンの音が止まった。


「帳面の外、ですか」

 低い声。マレイのほうを見なくても分かる、短い確認。


 セルジュは一拍置いて、ほんの小さくうなずいた。

「……うん。ギルドの中だけじゃ足りないかもしれない。だから――“帳面の外”で、探します」


 言い方を確かめるみたいに、口の端だけが少し動いた。


「うん。……その言い方のほうが、伝わりますね」


 その単語だけが、篝の中で引っかかった。

 帳面の外。

 さっきまでの石灰の線よりも、白くて、細い。


 篝はうなずいた。

 分かった、とは言えない。

 けど、言えるのはそれだけだった。

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