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異物の魔女騎士 ―転生面接で神に拒否され、原初の魔女に拾われた少女―  作者: 畑野きび
第六章:鐘と像

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第31話 湯気と、銅

 聖堂の裏の木の戸を閉めると、歌は壁の向こうに押し戻された。

 さっきまで耳の奥を震わせていたうねりが、遠い。滲んで、町の音に混ざっていく。


 乾いた冷えが、頬に戻ってきた。

 寒い、というより、表面がきゅっと締まる。息を吸うと喉が少し細くなる。

 聖堂の石の冷えとは違う、外の冷えだ。


 篝は外套の内側に手を入れた。

 封筒の角が、ない。指が空を押す。


 背中の少し後ろに、気配が戻る。

 近すぎない。離れすぎない。歩幅が揃う気配。


 振り向かなくても分かる。セルジュだ。

 気付かれていないつもりの距離――そういう距離を、保っている。


 篝は歩いた。広場へ出ない。外壁に沿って、住宅の並ぶほうへ戻る。

 窓が続く。洗った布の匂い。鍋の匂い。湯気の名残が、どこかの家から漏れている。


 ――お腹。

 いま気付く。胸の奥が忙しかったのは、冷えだけじゃない。


 ギルドの看板が見えたとき、篝は一度だけ息を吸い直した。


 扉を開けると、木と紙と、インクの匂いがする。

 受付の机の前に、さっき見た髪が跳ねていた。


「あっ、篝! おかえり!」


 リリアだった。

 さっきと同じ声。同じ明るさ。――でも、名前を呼んだ。


 篝は一歩、机に近づいた。

 口を開く前に、喉が少し引っかかる。乾いた冷えの残りだ。


「……聖堂へ届けて、受領の記帳も確認しました」


「よし!」


 リリアがぱん、と小さく掌を打った。

 職務の顔じゃない。町の子の顔だ。


「じゃ、報告はそれで充分。えらい。初回で迷わず戻ってきたのも、えらい」


 えらい、が刺さる。

 篝は反射で視線を落としそうになって、持ち直した。

 褒められるのが慣れてないわけじゃない。――ただ、ここで褒められるのが、変だ。


「で、はい。これ」


 篝はポケットから、さっき渡された仮の銅札を出して、机の上に置いた。

 冷たい音がしそうで、しない。


 リリアが指先で縁を押さえ、印を確かめる。

「うん。これで確認。――じゃ、回収ね」


 仮札が机の内側へ引かれる。

 代わりに、リリアが机の下から小さな袋を出した。中で金属が鳴りそうで、鳴らない。

 続けて、薄い銅色の札を一枚。光の当たり方で少し赤く見える。


「報酬と、登録札。これで今日から銅。正式ね」


 篝は両手で受け取った。

 札は冷たかった。縁の硬さが指先に当たって、受け取ったことだけが先に分かる。

 冷たいのに、指先が少し熱くなる。


「……ありがとうございます」


「うん。でさ」


 リリアが、身を乗り出す。

 声が少し小さくなるのに、元気は落ちない。


「昼、まだでしょ? 奥で、食べてきなよ。新入りに、腹空かせたまま帰れって言うの、嫌なんだよね」


 嫌なんだよね、の言い方が、妙に真っ直ぐだった。

 制度の言葉じゃない。人のわがままだ。――それが、嬉しい。


 篝はうなずいた。

 その動きだけで、肩が少しほどけるのが分かった。


     ◇


 酒場は、昼前なのに忙しかった。

 皿が置かれる音と、椅子のきしみ。湯気の匂い。油の匂い。人の声。


 入口に近い席に、空きがひとつだけ残っていた。

 篝が立ち止まるより早く、年上の男が顎で示した。


「座れ。……初日だろ」


 押しつけない声だった。笑い方が軽い。

 向かいの席にも、もう一人。二人とも、新入りを見る目じゃない。ただ同じ卓の人を見る目だ。


 篝は椅子を引いた。静かに、のつもりが木の音が少し響く。

 背中の少し後ろにあった気配は、酒場の扉の外で止まったままだ。入ってこない。声もない。

 それでも、いる。


「何食う?」


「……おすすめ、で」


 言ったあとで、自分の声が小さすぎたと気付く。

 男は笑いそうになって、飲み込んだだけだ。


「じゃ、これ。看板」


 男は身体を起こして、通る声で言った。

「おーい。看板ひとつ。こっち」


 返事が、厨房のほうから短く返ってきた。

 皿の音が二つ、重なる。湯気の匂いが、先に濃くなる。


 木椀が置かれた。湯気が白く立つ。

 塩豚と根菜の煮込み。表面に脂が薄く光って、胡椒の匂いが鼻の奥をくすぐる。


 篝は匙を入れた。

 根菜が崩れて、とろみがすくい上がる。口に運ぶ前から、熱が頬に当たった。


 ひと口。

 まず塩が来る。次に胡椒が、息の通り道を軽く叩く。

 遅れて、肉の甘さが舌の下に残った。


 ――あ、と思う。

 胃の奥が、きゅっとほどける。さっきまでの乾いた冷えが、そこだけ引く。


 黒パンが添えられていた。硬い端を汁に浸すと、じわっと重くなる。

 噛むと、汁が戻ってきて、口の中が熱い。


「どうだ」


 男が言った。からかう気はない。確認の声だ。


 篝はうなずいてしまう。言葉より先に、喉が動いた。


「……おいしい、です」


「だろ」


 それだけで、卓が一度落ち着いた。

 人は優しい。たぶん本当に。――そう思った瞬間、奥の壁際の卓から笑い声が上がった。


 酒の匂いが濃い席。昼なのに杯が鳴る。

 篝の卓からは離れていた。


「おい、やめとけって」


 止める声が混じる。小さい。

 でも、止まらない笑いが、その上を踏む。


「さっきの歌、聞いたか? 『救いの王』だっけ」


 言葉が、思ったよりまっすぐ届いた。

 篝が聞こうとしたわけじゃない。湯気の中で、耳が勝手に拾った。


「オルトヘイムだの凱旋だの、持ち上げすぎなんだよなぁ」


 杯の音。笑い。

 その笑いが、少しだけ尖っている。


「ただの騎士だろ。……大したことねぇって」


 次の瞬間、店の音が一枚ぶん薄くなった。

 皿が置かれる音が、遅れて聞こえる。椅子のきしみも、遠い。


 篝の匙が止まりかけた。止める理由はないのに、手首が勝手に固くなる。

 煮込みの熱が、胸の真ん中で止まった。


 向かいの男も、匙を止めた。

 笑い顔のままなのに、目だけが奥を見ていない。

  

 奥の席で、もう一度だけ低い声がした。

「……おい」


 今度は、声が低かった。理由は言わない。言わなくても通る声だった。


 奥の席では、まだ笑いが続いている。続いているのに、周りだけが引く。

 篝の喉がきゅっと細くなる。息が浅くなる。――さっき聖堂で、誰かが息を吸い損ねたときみたいに。


 篝は匙を置かなかった。置いたら、いまの空気を受け取りすぎる。

 代わりに黒パンをもう一度汁に浸した。指先が、少しだけ震えた。


 扉の向こうの気配が、ほんのわずかに位置をずらした。

 近づくでもなく、離れるでもない。――ただ、立ち直すみたいに、そこにいる。


 篝は振り向かなかった。

 振り向いたら、安心と不穏が一緒に来る気がした。


 遠い卓の笑いが、もう一度だけ跳ねた。

 その跳ねが、次に何を呼ぶのか――篝には分からない。分からないのに、背中だけが勝手に固くなる。


 耳の奥に、さっきの一行が戻ってきた。


 ――灯を消さない。


 煮込みの湯気が、いまだけ、白く見えた。

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