表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異物の魔女騎士 ―転生面接で神に拒否され、原初の魔女に拾われた少女―  作者: 畑野きび
第六章:鐘と像

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/43

第30話 灯を消さない

 細い道の石畳は、広場より少しだけ荒れていた。

 乾いた冷えが、頬の表面をきゅっと締める。


 篝は外套の内側に手を入れて、封筒の角を押さえた。

 封の盛り上がりが指に当たる。ちくりと痛い。痛いのに、落ち着く。


 もう片方の手の中では、銅の札が軽く鳴りそうで、鳴らない。

 縁を確かめてから、篝はそれをポケットへ滑り込ませた。

 布が擦れる音は小さくて、すぐ町の音に溶けた。


 背中の少し後ろに、気配がある。

 近すぎない。離れすぎない。歩幅が揃う気配。


 振り向かなくても分かる。セルジュだ。

 ――気付かれていないつもりの距離。

 足音が、いつも同じところで止まる。近づかない。離れない。

 理由は分からない。それでも、背中の気配は消えない。


 道の両脇には背の低い家が並び、窓が続く。洗った布。鍋の匂い。

 広場の整った空気より、ここは息が入りやすい。なのに、背筋が勝手に伸びる。


 封筒ひとつ、住宅側の聖堂へ。

 広場には出ない――外壁沿いに、荷車の入る木の戸。

 それだけのはずなのに、胸の奥が少しだけ忙しい。理由はまだ分からない。


 角をひとつ曲がったとき、音が来た。


 最初は、歌じゃなかった。

 壁の向こうで、何人かの息が揃っているみたいな、うねり。

 町の息が、ひとつの方向へ寄っている。


 篝は足を止めなかった。止めたら、後ろの気配を意識しすぎる。

 代わりに、封筒の角をもう一度押さえた。


 もうひとつ角を曲がる。

 うねりが、声の束になる。

 揃っている。揃えようとしている音。


 篝の胸の奥が、ふっと軽くなる。

 心地いい、と先に思ってしまった。


 石の壁が見えた。広い建物じゃない。けれど窓が少し高い。

 窓の向こうに光があって、そこから音が漏れている。


 篝は言われた通り、正面へは行かずに外壁へ沿った。

 建物の脇はさらに狭い。荷車が通った跡が石に残っている。

 縄の切れ端。水桶。蝋の欠片。濡れ布の匂い。――生活の裏側が、ここに集まっている。


 黒く擦れた金具のついた木の戸があった。取っ手は低い。


 篝が戸の前で息を整えようとした瞬間、声の輪郭が一段はっきりして、言葉が耳に刺さった。


「讃えよ、祈れよ、息のあるかぎり」


 歌詞だ、と頭が追いつく前に、胸が先に受け取った。

 心地よさが、胸の真ん中にすっと入ってくる。


 篝は戸を叩いた。控えめに、二回。


 木の向こうで足音がして、金具が鳴る。戸が少し開いた。


 覗いた顔は、篝と同じくらいの年に見えた。

 髪は短く整っている。目がよく動く。


「あ……お届け物ですか?」


 声は明るいのに、音量はちゃんと落ちていた。


「あ、わたしはルチアです。ここの見習いで……こっちです」


 篝が封筒を出すと、ルチアの目が封の印に吸われた。

 笑みはそのまま、声だけが少し改まった。


「あ、鐘印だ。……じゃあ、受け取りはこちらです」


 ルチアは身を引いた。


「どうぞ。こちら」


 戸が大きく開けられ、篝は一歩入った。

 外の乾いた冷えが、背中から離れる。


 セルジュの気配が、戸の外に残る。

 入ってこない。声もない。

 それでも篝は、戸に当たらない距離に“いる”のが分かった。


 裏口の先に、短い通路があった。

 石の冷えと蝋の匂いが、ここだけ少し濃い。


 突き当たりに、騎士の像が置かれている。

 派手じゃない。普通の鎧。剣。――通る者の目だけを、まっすぐ受け止める位置。


 通路を曲がると、空気が一段変わった。

 椅子が並び、座っている人も、立っている人もいる。

 目が合うと、怖い顔はされなかった。軽い会釈が返ってくる。


 ルチアは、口元を手で隠して言った。


「いま、昼前の祈りの歌の時間なんです。……よかったら、少し聴いていきますか」


 断る理由が浮かばなかった。

 篝は小さく首を縦に振った。


 歌が近い。耳の奥が震える。

 意味は分からないのに、旋律だけが心地いい。

 歌詞の中で、名前だけが耳に残った。


「オルトヘイム、救いの王」


 その一行だけが、妙に真っ直ぐ耳に入った。

 篝は思わず、さっきの像のほうを思い出してしまう。


 ルチアが、篝を奥へ促した。

 年配の聖職者が、帳面のそばに立っている。顔は穏やかで、手がきれいだった。


「ギルドからの封書です」

 ルチアはそう言い、帳面のそばの年配の聖職者へ視線を送る。


 篝は封筒を握り直した。封の盛り上がりが指に刺さって、痛い。――落ち着いてる場合じゃない。


 篝は一歩だけ前に出て、両手で差し出した。

「……これ、です」


 聖職者は両手で受け取った。

 大げさじゃないのに、扱いが丁寧で、篝の指先が少し恥ずかしくなる。


「助かりました。ありがとう」


 声は柔らかい。

 制度の言葉じゃない。人の声だ。


 篝はうなずいた。

 何か言うべきなのに、口が勝手に黙る。歌があるせいだ。


 聖職者は封の印を確かめ、帳面に短く書きつけた。

 紙とペンの音が、歌の下で小さく鳴る。


「確かに受け取りました。――ギルドへ戻って、そう伝えてくださいね」


「……はい」


 返事は出たのに、言葉の意味はまだ半分しか乗っていない。

 でも、相手が親切なのは分かる。


 歌は続いている。

 揃って、揃いきらないところで、また揃う。


 その流れの中で、誰かが一瞬だけ息を吸い損ねた。

 喉が鳴る、乾いた音。

 合唱は崩れない。崩れないのに、篝の喉がきゅっと細くなる。息が浅くなる。


 その“欠け”のあと、弱い声で言葉が落ちた。


「……灯を消さない」


 そこだけ、妙に残った。


 篝は一度だけ息を吸って、吐いた。

 喉の奥が、まだ少し硬い。


 ルチアが戻ってきた。


「外、寒いですよね。……帰るなら、さっきの木の戸からがいちばん早いです」


 篝は小さくうなずいて、もう一度だけ通路の突き当たりを見た。

 普通の像。普通なのに、さっきの名前だけが耳の奥に残る。


 外へ出ると、乾いた冷えが戻ってきた。

 歌はまた滲む。壁の向こうに引いていく。


 篝は外套の内側に手を入れた。

 封筒の角が、ない。そこが少し寒い。

 代わりに、銅の札の縁が指に当たった。軽い。軽すぎる。


 背中の少し後ろに、気配が戻った。

 同じ距離。追い立てない距離。


 篝は振り向かなかった。

 振り向いたら、安心と不穏が一緒に来る気がした。


 歩き出す。

 夕方の鐘は、まだ鳴らない。

 それでも耳の奥には、さっきの一行が残っていた。


 ――灯を消さない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ