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異物の魔女騎士 ―転生面接で神に拒否され、原初の魔女に拾われた少女―  作者: 畑野きび
第六章:鐘と像

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第29話 閉門の行

 朝の鐘が鳴った。


 窓の外じゃなく、石と木の中を震わせるみたいな音だった。

 昨日、門で聞いた低い鐘とは違う。起きろ、というより、町が動き出す合図。


 篝は布団の中で一度だけ息を吸って、吐いた。

 肩の内側がまだ、昨日の素振りの熱を薄く残している。

 指先を握って開く。痛みはないのに、勝手に力が入る。


 扉の向こうで、控えめに声がした。


「朝の鐘が鳴りましたよ。朝ごはん、下の食堂で用意してます。よかったら降りてきてくださいね」


 食堂。下にあるって言ってた場所。


 篝は返事をしようとして、喉がうまく鳴らなかった。

 咳払いほどじゃない、小さな空振り。もう一度息を入れ直して、声にする。


「……はい」


 鍵を開ける。扉を開ける。廊下の匂いが入ってくる。

 木の匂いと、人の匂い。宿は整っている。整いすぎて、歩く線が決まっているみたいだった。


 食堂には湯気があった。皿が鳴る音。誰かの笑い声。

 昨夜の硬い声の人が、いまは湯気の向こうで皿を運んでいる。


 篝は端の席に座って、出てきたスープを口に入れた。味は濃くない。

 けれど、舌に当たる温度で、少しだけ肩が落ちた。


 ――そこで、昨夜のことが遅れて刺さった。


 鍵が渡された。帳面に名前が書かれた。

 昨夜、硬貨の音は、しなかった。


 ――あ。

 篝の腹の奥が、ひゅっと冷えた。

 昨夜の鍵の硬さが、掌に戻ってくる。マレイに宿代を立て替えてもらったままだ。


 食器を下げに来た宿主に、篝は呼び止めるタイミングを探して、口が動いた。


「あの……昨日、ここを取ってくださった方に、お金を返したくて」


 宿主はすぐ頷いた。分かっている頷きだ。


「マレイさん?」


「……はい。マレイ、って」


「朝は鐘印にいることが多いですよ。帳面のお仕事の人ですから」


 帳面のお仕事。鐘印。

 どちらも知らない。篝はその響きを一度だけ口の中で転がし、頷いてすぐ聞いた。

 

「……鐘印、って……」


「ギルドです。門のほうから入って、広場の手前の横道。看板に鐘がぶら下がってますよ」


 宿主は最後に、当たり前みたいに付け足した。


「夕方の鐘が鳴り始めたら、早めに戻ってくださいね。門が閉まりますから」


 親切な声なのに、そこだけ硬い。


「……分かりました」

 

 食堂を出て、部屋へ戻った。鍵を回して扉を閉める。

 外套を羽織って、腰の帯に剣の重みを戻した。

 内ポケットに指を入れて、通行証の角を確かめる。


 外へ出ると、頬が少しこわばった。冷たいわけじゃないのに、息が浅くなる。

 石畳の匂いが昨日と違う。人が増えているのに、増えすぎない。整っている。


 道はきれいに通る。看板が揃う。窓が揃う。揃い方が、息を詰まらせる。


 ――鐘印。


 宿を出て、門のほうへ向かう通りを行く。

 広場へ出る手前で横へ逸れる細い道があって、そこに「鐘印」と書かれた看板が掛かっていた。


 鐘の形の飾りが一つ。風で揺れる。でも鳴らない。鳴らないのが、逆に気になった。


 中は明るかった。机と椅子。壁の掲示。紙とインクの匂い。

 昨日の関所の机と似ているのに、ここには“仕事の顔”が乗っている。


「いらっしゃいませ!」


 声が先に来た。明るい。ちゃんとこっちを見て笑う。

 篝は一瞬だけ足を止めて、それを誤魔化すみたいに一歩進んだ。


 受付の子は篝の顔を見て、次に手元を見た。指先の迷いを追うみたいに。


「初めてですよね? 大丈夫です。順番にやります」


 “順番”が、胸の奥に引っかかった。違うはずなのに、体が先に覚えている。


 篝は奥を探すより先に、口を開いた。


「すみません。昨日、宿を取ってくれた人に――お金を返したくて。マレイさん、こちらにいますか」


「いますよ!」

 受付の子は、明るいまま頷いた。

「でも、先にこっち。受付です。順番にいきましょう」


 怒ってない。笑ったまま、手で“ここ”を作って促す。

 受付の子は名札を指で叩いた。


「リリアです。鐘印の受付で――まず、通行証を見せてもらっていいですか」


 篝は内ポケットの角を指先で確かめながら、言葉を探した。

 返しに来ただけだ。宿代を――それだけ。


「……すみません。受付って、何をするんですか。私、きょうはお金を返しに来ただけで」


 リリアは笑ったまま、でも迷わず頷く。


「うん、だからなんです。マレイさん、いま帳面のお仕事中で……受付を通さないと手が空かないんですよ」

「ここで名前だけ書いておけば、返すのも、今日の用事も、順番に片づきます。大丈夫。怖いことはしません」


 篝は内ポケットに指を入れて、紙の角をつまんだ。

 引き抜くと、布が擦れて小さく鳴る。ここは音が多いから、昨日ほど刺さらない。


 リリアは通行証を受け取って目を通す。顔は変えないまま、言った。


「ありがとうございます。じゃあ次、記入の紙です。名前、ここに」


 出された紙に、線が引いてある。

 篝はペンを受け取って、先端を紙の上で止めた。


「……あの。これ、日本の字で……通じますか」


 リリアはきょとんとした。

「にほん……?」

 言葉をそのまま口の中で転がして、次の瞬間、笑う。困ってない笑い方だった。


「ごめんなさい、その呼び名は分からないです。でも、大丈夫だと思いますよ。塔がありますから」

「いろんな字で書く人、いますし。読めなかったら、ここで確認します」


 ――同じだ。

 ミカが笑って言ったのも、同じ答えだった。『塔があるから』。


 篝は息をひとつ落として、線の上に字を置いた。

 周防。篝。ペン先が紙に引っかかって、インクが一瞬だけ濃くなる。


 リリアがその紙を受け取って、手際よく別の帳面へ写す。

 印の道具が机の端に並んでいる。乾いた匂いがする。


 リリアが笑ったまま、「閉門」の行を軽く叩いて、指を止めた。


「ここだけは、覚えておいてくださいね」


 やわらかい声なのに、目が真剣だ。


 受付の横に、立っている人がいた。


 鎧の金具が静かだ。手袋の指先だけが小さく動く。

 視線が、篝の外套の内側に一瞬だけ落ちる。そこからすぐ、顔へ戻る。


「……セルジュです」


 名乗りは短い。声は荒くない。余計な圧もない。


「困ったら、受付に言ってください。いざとなったら、遠慮なく頼ってくださいね」


 言い方がやさしくて、肩の力が少し抜けた。


 ――でも、目だけが違った。

 セルジュの視線が、篝の手元と足元を一度だけ往復する。

 剣じゃない。立ち方と、力の抜き方。逃げない距離。

 理由が分からないのに、背筋が勝手に伸びる。


「それと……変に聞こえたら、すみません」


 セルジュは申し訳なさそうに言った。


「最初は銅札からです。これは決まりなんです」

「でも、今日中に一度、装備と動きを見ます。無理はさせませんよ」


 篝は瞬きした。

 銅札。決まり。今日のうちに――言葉は聞こえるのに、頭の中で一本に繋がらない。

 聞き返すべきなのに、口が先に頷いてしまう。


「……はい」


 返事だけが薄く落ちた。意味は、まだ追いついてこない。


 リリアが笑った。軽い笑いだ。場をやわらかくするための笑い。


「それでですね。次は、ランクの話になります」


 机の下から、小さな札がいくつか出てきた。

 銅色、銀色、金色。薄いのに、光り方だけははっきり違う。


 リリアは金色の札を、そっと持ち上げる。

 それから、セルジュのほうへ目だけ向けた。


「セルジュさんは金です。……だから、いざとなったら頼ってくださいね」


 セルジュは静かに頷いた。近くにいる、というだけの顔。


「新人さんは、まず銅から。最初は“仮”です」

「最後に装備の扱いだけ、危なくないか見せてもらえますか。それが済んだら、軽い依頼をひとつ」


 セルジュが視線を外套の内側へ落とした。

「剣は抜かなくて大丈夫です。留め具を見せてもらえますか」


 篝が外套の端を少し持ち上げる。

 セルジュは立ち位置を変えずに、留め具と紐の収まりを目で追った。


「……そのまま、向きだけ変えてみてください」

 篝は腰を少しだけ回す。腰の位置で金属が鳴らない。人に当たりそうな出っ張りもない。

 セルジュが小さく頷いた。


「……大丈夫そうですね」


 リリアは銅の札を一枚、指先で机に置いた。かちん、と乾いた音。


「今日は、これを持っていってください」


 銅の札は、薄くて軽かった。軽すぎて、指が落としそうになる。

 篝は縁を確かめて、掌に収めた。

 “仮”という言葉だけが先に刺さる。何が仮で、何が決まりで、どこまでが今日の話なのか。

 分からないのに、待ってはくれない。


「……はい」


 篝は、札の軽さを手の中で覚えて、次の言葉を待つ。


「最初の数日は、夕方前にここか宿に戻ってくることを優先してくださいね。」


 篝は口の中で一度だけ「はい」を作って、声にした。


「……分かりました」


 奥の机のほうで、ペンの音が止まった。

 ほんの一拍。

 椅子がきしむ。

 マレイが振り向いた。昨日、宿の入口で見せた柔らかさじゃない。帳面の人の顔だ。


「あれ。……昨日の篝さん」


 篝はすぐに言うつもりだった言葉が、喉で引っかかった。返す。返さないと。


「昨日の……部屋。あの、私――」


 マレイは手を上げて止めた。止め方が軽い。


「後で大丈夫です。まず、受付で手続きを済ませましょう」


 マレイの指先が、リリアの机――受付をまっすぐ指した。


 リリアが「こっち!」みたいな顔をして、でも口には出さず、続けた。


「じゃあ、初日用のテストをひとつ。配達をしてもらいます」


 配達、と言われて、篝の頭の中に“普通”が立ち上がった。

 手続き。仕事。生活。昨日の置いていかれた感じが、ほんの少しだけ薄くなる。


 リリアは封のある封筒を一つ出した。封の印が、見慣れない形で押されている。

 円の中に線。線の数が多い。


「これを、住宅側の聖堂へお願いします」

「ギルドを出たら、広場に出ないで。住宅側の細い通りをまっすぐです」


 リリアは封筒の角を押さえたまま、ゆっくり言った。

 篝は口の中でなぞる。


「……広場に出ないで。住宅側、まっすぐ」


「聖堂は正面じゃなくて、外壁に沿って回ると荷車の入る木の戸があります」

「迷ったら『聖堂の納品口』って聞けば通じますよ」


 “聖堂”の響きで、篝の目が一瞬だけ止まった。

 祈る場所。――館の奥の、小さな聖堂。

 祭壇の背後の、空っぽのくぼみの前で。ミカが息を落としていた場所。

 篝は封筒へ視線を戻した。線の多い印が、やけに目に残る。


「それと、ひとつだけ。今日は、広場を横切らないで、脇道を通ってください」


 一呼吸おいてからリリアがゆっくりと喋る。


「広場はこの時間でも、人と荷車が多いんです。すれ違いで揉めやすくて」

「夕方が近づくと、もっと混みます。今日は最初から脇道で行きましょう」


 セルジュが、受付の横からほんの少しだけ前へ出た。歩幅は小さいのに、空気がそっちへ寄る。


「焦らなくて大丈夫です。脇道は足元だけ、気をつけて」

「もし迷ったら、無理に進まず――近くの人に聞いてください。『聖堂の納品口』で通じます」


「……はい」


 篝の頭が追いつく前に、体が先に“従う形”を作ってしまう。


 リリアが封筒を差し出す。篝は受け取った。紙の硬さが掌に乗る。

 封の部分が少し盛り上がっている。そこがちくりと痛い。痛いのに、離したくない。


 リリアは通行証を返してきた。

 篝は角を確かめて、内ポケットへ戻す。


 受付の外へ出る。風が当たる。鐘はまだ鳴らない。

 なのに、どこかで鳴る気配がする。町の中の人の動きが、少しだけ早い。


 篝は封筒を外套の内側にしまって、掌で一度だけ確かめた。封筒の角が当たる。入っている。確かに。


 歩き出す。住宅側へ向かう細い道に入る。


 背中の少し後ろに、気配がある。見なくても分かる距離。

 セルジュがいる。近すぎない。離れすぎない。追い立てる歩幅じゃない。


 それが、安心なのかどうかは、まだ分からなかった。

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