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異物の魔女騎士 ―転生面接で神に拒否され、原初の魔女に拾われた少女―  作者: 畑野きび
第五章:外のこと。

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第25話 帳面の外

 次は剣。

 その言葉だけが、卓の上に残っていた。


 金属の盆はまだ冷たい。

 さっきの泡の匂いが指先に薄く残っている気がして、篝は反射で手のひらを握り直した。


「濡らしません」

 ミカが言った。乾いた布を一枚、篝の前に置く。

「剣は、水に近づけない」


 言い切る速さが、いつもより少し硬い。


 ミカは鞘の上を布で滑らせた。

 擦るんじゃない。なぞる。布が空気を吸うみたいに、音が消える。


 金具のところで一度だけ止まり、布の端を折り込んだ。

 光を隠す折り方。目立たせない折り方。


「ここ」

 ミカの指が鞘口の縁を示す。

「当てない。ぶつけない。急がない」


 篝は頷いた。声にすると、どこかで引っかかる気がした。


 ミカが、もう一枚の布を差し出した。

「金具を避けて。同じ速度で」


 同じ速度。

 篝はミカの手元だけを見る。手首の角度。布の張り。指先の圧。

 真似る、というより――追う。


 布が鞘の上を通る。

 乾いた革の手触りの下に、金属の冷たさが潜んでいる。そこへ触れたくない。

 布の重さを逃がして、押しつけない。


「……そう」

 ミカが短く言う。


 篝は息を、そこでやっと吐いた。自分が浅くなっていたのに気づく。


 ミカは細い紐を一本取った。

 布の上から軽く回し、結び目を鞘の影に沈める。引っかからない場所。外から見えない場所。


 魔女が椅子にだらけたまま、目だけで追っていた。

「えー、地味」


「地味がいいです」

 ミカの即答は速い。


 篝は笑いそうになって、喉の奥で止めた。


 剣は、布が一枚増えただけなのに、顔が変わって見えた。

 訓練道具の顔じゃない。外へ出る道具の顔だ。


「今日は、ここまで」

 ミカが言った。声だけは、少しだけ柔らかい。

「明日、レグナへ行きます。通行証を買う。外縁だけ。寄り道はしませんよ」


 通行証。

 入れ物は、もうある。――じゃあ、中身のほうを買うってこと?

 聞き返す前に、篝の喉がいちど詰まって、言葉が出なかった。


 “明日”が口に出た瞬間、篝の体が勝手に、休む方向へ傾きそうになる。


 ――明日、わかるのかな


     *


 翌日。

 ミカが外套を差し出した。


 篝は袖を通した。布が肩に落ちた瞬間、体の重心が少しだけ変わる。

 戦うためじゃなく、隠すための重さ。


 ミカの指が外套の裾を押さえた。

 風にめくられない位置に寄せる。篝の足元を先に片づけるみたいな手つき。


 内ポケットの口が、ひらいている。

 通行証入れは、卓の端で乾いていた。昨日の泡の白さが、角にだけ薄く残っている。

 触りたくなる。確かめたくなる。

 

 ミカが卓の端から通行証入れをつまんだ。

 内ポケットへ滑り込ませて、口だけを少し開けたままにする。

 

 革袋を持ち上げ、口を確かめる。

 金属が触れ合う、乾いた小さい音。

 すぐに、布で覆う。


「通行証を買います」

 ミカはそれだけ言った。説明はしない。合図だけ。


 (通行証。昨日のやつ。……買える。――どこで、どうやって?)


 玄関の隙間から外の匂いが入ってくる。

 怖いのに、その奥で、別のものが頭を出す。


 ミカが先に出る。

 篝は、そのすぐ後ろ。


 塔へ向かう足だけは、もう迷わない。

 石の段差を避ける足。

 風が抜ける場所で肩をすくめない呼吸。


 塔を抜けたところで、ミカが一度だけ足を止めた。


 外套の前を押さえて、指を重ねる。

 息が短く整う。唇だけが動いて、音のない言葉を刻む。

 篝はその横顔を見て、やっと形でわかった。――祈ってる。


 ミカが息を吐き切って、歩き出す。

 その一歩で、空気が一度だけほどけた。


 道が道じゃなくなる感じ。

 目の焦点が、つるりと滑る感じ。耳の奥が薄く詰まる。


 篝はミカの背中だけを見る。

 足を置く場所を選ぶ。息を浅くしない。

 ほどける時間が、前より短い。


 ほどけたものが元に戻る。

 戻った先の匂いが、違う。


 土と湿り気の奥に、紙の乾いた匂いが混じっている。

 人の気配もある。遠いのに、整列している感じがする。


 関所は、門というより机だった。


 柵。立て札。並ぶための線。

 人が作った「順番」が、そのまま形になっている。


 前に見たところは、槍先の角度だけで息が詰まった。

 ここは違う。声は普通だし、怒鳴り声もない。

 なのに、足が勝手に慎重になる。


 篝は外套の裾を押さえた。

 布の下で剣の金具がひやりとする。触りたくなるのを、指先で止めた。


 列が進む。机の向こうで、若い係が帳面に書いている。

 篝と同じくらいの背丈。細身。姿勢はきれいで、手だけが早い。


 印章が置かれている。インク壺。細いペン。

 その横に、小さな粉の瓶――砂みたいなもの。机の上を「乾かす」道具。


 係の子が顔を上げた。

 ……上げかけて、止まった。


 ペン先が宙で止まる。

 インクが一滴、落ちそうで落ちない。


 目線は、ミカの顔に行かない。

 手。立ち方。呼吸。外套の留め方。そういうところだけを拾っているみたいに見えた。


 篝の背筋が、勝手に伸びた。

 係の子の声が、さっきまでより一段だけ低くなる。


「こちら、確認に入ります。少々お待ちください」


 列の空気が、一斉に静かになる。

 誰も文句を言わない。靴の音だけが引いていく。


 係の子は帳面を閉じない。

 別の帳面を、滑らせるみたいに出した。紙の色が少し違う。


 ミカが何も言わずに、半歩前へ出る。

 篝の視界を、さりげなく塞ぐ位置。守る背中。


 係の子は、息をひとつ置いた。


「……この場では扱えません。中へ」


 言い切り方が、きれいに短い。

 呼び名も、身分も、聞かない。

 ただ、ここから外す。


 篝は喉の奥がきゅっとなって、でも声は出なかった。

 質問の形だけが口の中に浮いて、舌が動く前に消える。


 係の子が机の横へ回った。歩幅が小さくて速い。

 柵の端を開け、奥へ続く細い通路を示す。


「失礼があれば、先に謝ります。ですが――こちらは“帳面の外”です」


 篝はその言葉の意味が、半分しかわからない。

 わからないのに、背中がぞわっとする。


 奥は小さな小屋だった。机がもう一つ。

 外の声が薄くなる。列の気配が遠ざかる。


 係の子は座らない。立ったまま、帳面を開いた。

 ペン先が、さっきより慎重に紙へ触れる。


「要件を一文で」


 ミカが答える。短く。揺れない声。


「通行証を買います。二人分。今日だけ」


 係の子の指が止まらない。

 粉の瓶を傾けて、さらり、と紙の上へ落とす。

 インクの光が消える。乾く。


 篝は、その「さらり」が怖かった。

 剣を振らなくても、人が従う音。


 係の子は印章を取った。

 押す直前で、一瞬だけ止まる。


 その止まり方が、さっきのペン先と同じだった。

 試したくない。確かめたくない。失礼をしたくない。


 印が押される。乾いた音。

 係の子は紙を二枚、揃えて差し出した。端がきっちり揃っている。


 ミカが受け取る。

 内ポケットの口に指を滑らせて――口の開いたままの通行証入れへ、紙を落とし込む。

 折れない速度。急がない速度。


「代金は、こちらで」


 ミカが袋を出す。

 係の子は中身を覗かない。重さだけを手のひらで受けて、すぐ帳面へ戻す。


「……ありがとうございます」


 丁寧なのに、逃げ場がない言い方だった。


 係の子が帳面から目を上げたとき、初めて篝のほうを見た。

 眠そうに見える目が、一瞬だけ起きる。


「あなた」


 篝の肩が小さく跳ねる。


「……あの方の隣で、平気なんですか」


 平気。

 そう言われて、篝は自分の息を初めて意識した。浅くなっていない。止めてもいない。


 答えが出ない。

 でも首を横に振るのも違う気がして、瞬きだけした。


 係の子は、それ以上は聞かない。

 印章を元の場所へ戻し、机の上を一度だけ整えた。


「列へ戻る必要はありません。外へ出て、左。線の外を通ってください」


 案内が実務的で、親切で、早い。

 それが余計に、現実っぽい。


 外へ出ると、列の声が戻ってくる。

 篝はミカの背中に遅れない距離で付いた。


 関所の机が、少しずつ遠ざかる。

 遠ざかっても、さっきの乾いた印の音だけが、耳の奥に残っていた。

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