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異物の魔女騎士 ―転生面接で神に拒否され、原初の魔女に拾われた少女―  作者: 畑野きび
第五章:外のこと。

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第21話 足元だけ

馴れたら、歩ける。

外から外を。

 ミカに言われた通り、篝は剣を部屋に置いてきた。


 壁に立てかけた柄が、いつもより遠い。

 指先が一度だけ伸びかけて――やめる。


 代わりに、上着の留め具を確かめた。

 息を吸って、吐く。足首を回す。

 やることを増やすと、頭の中が少し静かになる。


 玄関ホールは天井が高い。

 壁のランプがいくつか灯っていて、影が長く伸びる。


 黒い大理石の床は、磨かれすぎていて、踏むと足裏が少しだけ吸い付く。


 壁の片隅に、背の高い鏡がある。

 ちらりと映った自分の輪郭が、ほんの一瞬だけ遅れて見えた。

 篝は反射で視線を戻した。


 影の端に、椅子があった。


 背もたれだけの、あの椅子。

 いつもそこにあったかは分からないのに、目に入った瞬間だけ胸がゆるむ。


(……セナ)


 声にはしない。

 椅子は椅子のまま、何もしない。


 でも、「いってらっしゃい」と言われたみたいで、篝はもう一度だけ深く息をした。


 ミカが正面の扉の前に立ち、振り返った。


「周防さん。準備はいいですか」


 篝はポケットの奥を一度だけ押さえて、こくりと頷いた。

 白金貨は出さない。触れた感じだけ、確かめる。


 ミカはそれを見届けると、扉へ戻った。


 ミカの手元で、金属が、かちり、と鳴る。

 取っ手が回り、扉が、ほんの少しだけ開いて――


 隙間から外の空気が流れ込んでくる。

 冷たくて、湿っていて、土の匂いがする。


 その向こう、外の通路を挟んだ視界の先に、黒い門の輪郭だけが、まっすぐに見えた。


 篝は、息を止めた。


「今日は、短く」


 ミカの声は段取りの声だった。

 篝は頷いて、靴の先だけを見る。


 ほどなく、黒い門をくぐった瞬間、足裏の吸い付きがぷつりと切れた。

 境目をまたいだ、という感覚だけが残る。


 館の外は、音が減る。

 減ったぶん、耳の奥が勝手に探し回る。


 足元が、石でも土でもない感触になった。

 硬いのか柔らかいのか、決めきれないまま靴底にまとわりつく。


 篝は目を上げない。

 上げたら、そこにあるのが分かってしまうから。


 それでも――数歩、進んだところで、視界の端に輪郭が刺さった。


 塔だ。


 空へ突き立てたみたいな形。

 前に来た時に、遠くから見ただけで足が止まりかけたやつ。


 胸の奥が、ひやりと冷える。

 喉が詰まって、息が細くなるのが分かる。肩が勝手に上がる。


「見なくていいです」


 ミカの声が前から落ちてくる。

 押さない。急かさない。ただ、線を引く。


「足元だけ。ゆっくり」


 篝は息を吐いた。吐かないと固まる。

 もう一度吐いて、足を置く。置いて、次を探す。


 塔は、見なくてもそこにある。

 見えないのに、視線を引っ張る。


 篝の指先が、ポケットの底を押した。

 布越しに硬い縁へ触れて、冷えが掌に薄く戻る。白金貨。出さない。握りしめもしない。触れているだけ。


(止まらない)


 そう思った瞬間、また喉がきゅっと締まる。

 “思う”より先に、体が止まりたがる。


 篝は唇を噛んで、次の一歩を置いた。

 塔の輪郭が、はっきり見える距離まで来てしまう。来てしまうだけで、足首が重くなる。


 ミカが、そこで止まった。


「ここまでです」


 篝も止まりかけて、ぎりぎりで踏みとどまる。

 止まったら、目が上がる。目が上がったら、塔に吸われる気がした。


「戻――」


 音が漏れた瞬間、篝は口を閉じた。声に出した。失敗だった。

 息を飲む。喉の奥が乾く。


「背中を向けます」


 ミカの言葉に、篝の胃がきゅっと縮んだ。


 背中を向けるのが、いちばん怖い。

 見えなくなると、追われる気がする。


 篝は息を吐いてから体の向きを変えた。

 塔が視界から外れる――外れたのに、まだそこにある。


 背中の皮膚が、ひりつく。

 追いかけられていないのに、追いかけられているみたいだ。


「足元」


 ミカが言う。

 篝は頷いた。今度は頷けた。


 戻りの一歩目が、いちばん重い。

 塔に背を向けたまま歩くのが、身体のどこかに反する。


 でも、足を置く。

 置いて、次を置く。呼吸を数える。吐いて、吸って。


 玄関ホールの灯りが見えたとき、篝はやっと息を吸い直せた。

 館の石の硬さが、戻ってくる。戻ってくるだけで泣きそうになるのが腹立たしい。


 黒い門を越えた途端、空気が“館のもの”に戻った。

 足裏に、あの吸い付きが戻る。


 篝の肩が、遅れて落ちる。


 影の端に、背もたれだけの椅子がある。


 さっきと同じ。

 ただそこにいるだけ。


(……ただいま)


 声にはしない。

 椅子は椅子のまま、何もしない。


 ミカが扉を閉め、掛け金が落ちる。

 その音で篝はやっと「戻れた」と思った。勝ったとかじゃない。ただ、戻れた。


「こんな感じです」


 ミカが言った。


「これを繰り返します。次は、もう少しゆっくり歩いて馴らしましょう」


 篝は「はい」と返した。

 返事ができる場所に戻ってきたことが、少しだけ悔しい。


 ミカは一拍だけ黙ってから、きっぱり言った。


「魔女様と相談しなければなりませんね」


 篝は聞き返したかった。

 でも、喉の奥がまだ固くて、言葉が出てこなかった。

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