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異物の魔女騎士 ―転生面接で神に拒否され、原初の魔女に拾われた少女―  作者: 畑野きび
第四章:外出の条件

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第16話 境界の外

外を選ぶ。目は閉じない。

 玄関の扉が、ほんの少しだけ開いている。


 隙間から流れ込んでくる外気は、冷たくて、湿っていて、土の匂いがした。

 その匂いだけで、胸の内側がきゅっと縮む。


 ミカが先に立つ。

 リトは、その少し斜め前。包帯で巻かれた斧を抱えたまま、足音を立てない。


 篝は一歩、踏み出しかけて――ふと、横を見た。


 壁の片隅に、背もたれだけの椅子がある。

 脚もないのに、そこに“立っている”。


 いつも通りのはずなのに、今日は背の角度が、少しだけ違って見えた。

 まるで、扉を抜ける自分たちに向かって、「いってらっしゃい」と言っているみたいに。


 ……可笑しい。

 こんなおかしいものに、救われてる。


 篝は喉の奥で、笑いになる手前の息をひとつこぼして、視線を戻した。


「行きます」


 ミカの小さな声。


 篝は、息を止めたまま頷き、扉を抜けた。


     ◇


 外に出た瞬間、足裏の感覚が変わった。


 館の中の床は、磨かれた石で、冷たさが均一だった。

 けれど今は、薄い革底越しに、同じ石のはずなのに、ところどころ湿っていて、ざらつきがある。


 冷たさが、斑にくっついてくる。


 匂いも、生っぽい。

 土と、湿った葉と、どこか鉄の気配。


 篝は無意識に、肩をすくめた。


 ミカが何も言わずに、篝の腕のあたりへ手を添えた。

 押すでも引くでもない。けれど、それだけで「こっち」と分かる。


 道の、内側。

 石畳の目地が、少しだけ整っているほうへ寄せられる。


 その前に、リトの背が来た。

 篝の視界を、半分ふさぐ位置。


 前に出るな、と言われなくても分かる配置だった。

 篝は、そこに収まる。


 館の門が近づく。

 黒い輪郭が、星の明るさの中で、やけに重く見える。


 ミカが一歩、速度を落とし、篝の目の前に立つ。


「……ここから先は、私のそばを離れないでください」


 声は低く、短い。

 篝は頷いた。喉が乾いて、返事が出ない。


 門がきい、と開き、冷たい外気がひとつ濃くなる。

 篝はそのまま、境目をくぐった。


 その瞬間――冷気の質が変わった。


 肌に触れているのに、触れていないみたいに薄い。


 逆に、息を吸った内側だけが痛い。


 篝は、思わず唇を噛んだ。


(……外って、こういう)


 言葉にしようとした、その矢先だった。


 道の先――いや、道の途中に。


 そこに「あるはずのないもの」が、当然みたいに立っていた。


     ◇


――逆さの塔。


 尖塔が下へ向かっている。

 地面に刺さっているはずの重さが、空へ向かって伸びている。

 重力の向きが、間違っている。


 大きすぎて、遠近が壊れた。

 近いのか遠いのか、判断しようとした瞬間に、目が滑る。

 道の途中に“置かれている”だけなのに、道そのものの長さが狂う。


 壁が、脈を打っている――気がした。

 石のはずの面が、呼吸みたいにわずかに膨らんで、戻る。

 窓のような裂け目がいくつも並び、その奥に、目がある。


 数えたら、終わる。


 篝の頭の中で、何かがぎし、と鳴った。

 視界の端が暗くなる。耳の奥が、じりじり熱くなる。

 

 “見てはいけない”。

 

 喉が勝手に開いて、声が出そうになった。


 出したら、壊れる。

 自分が、自分のままではいられなくなる。


 篝は奥歯を噛みしめた。歯の根が痛い。


 そのとき、胸の奥が、ひゅっと引かれるように軽くなった。

 軽くなった次の瞬間、温い膜が内側から押さえつけてくる。

 肩と背骨が一本の棒でつながれたみたいに固まる。


 息が吸えない。

 でも、倒れない。


 倒れないのが、怖い。


(……なんで、立ってる)


 篝の視界の中で、ミカが一度だけ眉を寄せた。

 ほんの一拍。迷いみたいな影が浮かんで――すぐ消える。


 それが、なぜか篝には分かった。


 ――あ。

 ミカは、いつも通っている。


 いつも通っているから、今日も同じように進んでしまった。

 そして今、遅れて気づいた。


 「……このままだと――」

 

 ミカはそこで言葉を切った。

 その続きを、口にしない。

 

 ミカが一歩戻って、篝の腕をつかんだ。

 指が沈む。――「見るな」。


 リトは、塔のほうを見ない。

 見ていないのに、全部知っているみたいに、淡々と歩いている。


 篝の足は、張り付いたみたいに動かなかった。

 なのに、視線だけが塔のほうへ吸い寄せられていく。


 重力が、裏返る。

 足裏が浮く。

 浮いていないのに、地面が遠い。


「……周防さん」


 ミカの声が、近い。

 篝は返事の代わりに、喉の奥で空気をひとつ鳴らした。


 ミカは、それで十分だと言うみたいに、顔を上げた。


「急ぎます」


 それだけ言って、篝の腕を引き、内側へ半歩だけ寄せる。

 リトの背が、もう少し篝の前に入る。


 塔が、視界から外れない。

 外れないまま、角度だけがずれていく。


 篝は目を閉じたかった。

 けれど閉じたら、内側に「それ」が残る気がした。


 だから、まばたきだけで耐えた。

 一回、二回、三回。涙が滲む。


 そのまま、ミカに腕を取られて、引かれるままに歩いた。


     ◇


 道の脇に、石畳とは違う、丸い石が並んでいる場所があった。

 円を描くように埋められていて、目地が不自然に揃っている。


 篝はそこへ足を乗せた瞬間、背中のこわばりが、ほんの少しだけ変わった。


 ミカが円の内側に立つ。

 ランタンの光が、石に落ちて、輪郭だけを浮かせる。


 ミカが息を吸って、何かを小さく唱えた。――これは、祈っている?


 言葉は聞き取れない。

 音としては小さいのに、耳ではなく皮膚に触れる感じがした。


 円の中の空気が、すっと薄くなる。

 薄くなるのに、圧が増える。


 篝は、反射的に指を握り込んだ。

 掌が、痛い。


 リトが、篝の少し前で立ち止まる。

 ――遮ってくれている。


 ミカが、顔を上げた。

 視線をリトに移し、短く告げた。


「……行きます」


 篝は頷くしかない。


「……いちばん安全な“外”を選びます」

 

 選ぶ、という言葉が、妙に現実だった。

 世界が、棚みたいに並んでいて、そこから取ってくるみたいな言い方。


 でも、篝はそれを「変だ」と思う余裕がなかった。

 逆さの塔の気配が、まだ目の奥に残っている。


 ミカの唇が、もう一度だけ動いた。


 円陣の中心が、暗く沈んだ。

 沈んだはずなのに、そこだけ薄く明るい。


 音が遠のく。

 土の匂いが、一気に引く。


 その代わり、乾いた風の匂いが、鼻の奥に入ってきた。


 篝の足裏の冷たさが、すっとほどける。

 重い膜が剥がれるみたいに、肩が落ちた。


 息が吸える。


 篝は、思わず大きく息を吸って、むせた。

 むせた自分の声が、変に近く聞こえる。


 目を開ける。


 夜は、まだ夜だった。

 けれど、夜の“質”が違う。


 空は同じ暗さなのに、星が遠い。

 代わりに、地面の匂いが、ちゃんと「道」になっている。


 踏みしめると、砂と小石が、靴の裏で鳴った。


 前方に、細い道が伸びている。

 道の両側は草むらで、どこかで虫が鳴いている。


 ミカが、篝の顔を一度だけ確かめるように見た。


「……大丈夫ですか」


 篝は頷いた。

 言葉にしたら、さっきの塔が戻ってきそうで、口を開けたくない。


 リトは、すでに歩き出していた。


 篝も、つられて歩き出す。


 しばらく進んだところで、遠くに、灯りが見えた。


 点が、いくつも並んでいる。

 揺れているのに、消えない。


 街の灯りだ、と篝は思った。

 そう思えたことが、胸の奥を少しだけ軽くした。


 ミカが、前を見たまま言う。


「……あそこが、館の外です」


 篝は、もう一度だけ息を吸った。


 湿った土の匂いではなく、乾いた道の匂い。

 それが、今の自分にとっての外になる。


 遠くの灯りを見つめながら、篝は、喉の奥で小さく息を止めた。

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