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《Jewel Labo》を後にする頃には、雨脚は細い霧のように変わっていた。
響はネックレスを胸元に納めたまま、ミニクーパーに乗り込む。
桐生が口にした言葉──
“この世のものではない”
その響きが耳の奥で残響のように反復する。
エンジンをかけた瞬間、
視界の端で黒い乗用車のヘッドライトがかすかに揺れた。
それは朝、自宅近くで見た車と同じような色、同じ形。
偶然かもしれない。だが、胸がざわついた。
「……気にしすぎか」
呟きながら車を発進させた……が、違和感は消えなかった。
自宅前に着いた頃、雨はほとんど上がっていた。
外灯に照らされた家の前に、見慣れない人影がある。
二人組──中年の男女。
女は細身で、コートの上からでも骨ばったシルエットが分かる。
男は小太りで、猫背気味に身を縮めて立っている。
「……家に何か御用ですか?」
鍵を握りながら近づくと、二人が同時に顔を上げた。
「嘉神響さん、で……いらっしゃいますよね?」
小太りの男が、おどおどしながらも笑顔を作った。
「どちら様でしょうか?」
女のほうが一歩前へ出た。笑顔はやけに柔らかい。
だが、瞳だけは笑っておらず、冷たく澄んでいた。
「突然の訪問、すみません。私は南雲啓一と申します。こちらは妻の吉乃です。お祖母様と響さんの親戚にあたります。」
「少しだけ、お話を……させていただけませんか?」
響は戸惑いを隠せない。
澄乃には親類がいないと言われ続けてきた。
少なくとも、生前に“南雲”という名前は一度も聞いていない。
「親戚……ですか?」
「はい」
女性―南雲吉乃はわずかに会釈した。
「澄乃さんとは、遠縁にあたります。
急に亡くなられたと聞いて……本当に、驚きました」
「……そんな話、祖母からは一度も聞いていませんが」
小太りの男、啓一は慌てたように両手を振る。
「す、すみません! 本当にいろいろ複雑でして、その……
疎遠になっていたんです、長らく。
だからこそ、お悔やみを……どうしても伝えたくて……」
響は少しだけ警戒を強めた。
だが、あからさまに拒絶するには理由がない。
表面上は礼儀正しく、敵意は見えない。
その“敵意の無さ”が、むしろ怪しげに感じられる。
「……用件を聞かせてもらえますか」
啓一と吉乃が互いに目配せする。
吉乃が口を開いた。
「大したことではありません。ただ……澄乃さんが残された物について、気になることがあって。
もしよければ、少しだけお話を伺えればと」
響は胸元に触れないよう、意識して腕を組んだ。
「遺品については、まだ整理途中です。
全部をお見せする事は出来ないんですけど…」
「もちろんです」
吉乃はあくまで柔らかに微笑む。
「ただ……澄乃さんの“形見の中に”特別なものがあるのでは…と」
響の呼吸が微かに止まる。
だが、表情には出さない。
(ばあさんはいつも肌身離さず持っていた。
死後は蔵の奥に仕舞い込んであった。だから、ネックレスの存在を知られるはずがない。)
「あの……何か心当たりでも?」
とぼけた声で返すと、今度は啓一が言いよどむ。
「あ、あの、えっと……いえ……詳しいことは……」
「啓一さん」
吉乃が静かにたしなめた。
だが啓一は謝罪するでもなく、ただ小さく頷いただけだった。
まるで、想定通りの流れであるかのように。
吉乃は、そのまま響の方に向き直した。
「……澄乃さんには、生前お話したことがあります。その時、詳しくは言えないけれど“特別な宝物”があると仰っていました。もし何か心当たりがあれば……少しだけ、見せていただけませんか」
その瞬間、
響の背筋を冷たいものが這い上がった。
──まるで、“お前はネックレスを持っている”と知っている言い方。
だが、それを断定もできない。
絶妙に濁している。
響は慎重に距離を取るように言った。
「……申し訳ありませんが、御足労いただいて申し訳ないのですが、今日はお引き取り願えますか。
こちらも色々と整理が出来ていないので。
必要なことがあれば、連絡します」
啓一は慌てて名刺らしき紙を取り出した。
「す、すみません! 本当に突然で……これ、私たちの連絡先です。
無理にとは言いませんので……!」
吉乃も微笑みながら深く頭を下げた。
「また、お時間のあるときにでもゆっくりお話しましょう」
二人は深々と礼をしてから、ゆっくりと去っていった。
その背中を、響はずっと見送っていた。
雨に濡れたアスファルトに、二人の影が揺れている。
黒い乗用車が一台、道の端に停まっていた。フロントバンパーにあるキズ―朝、見かけた車と同じだった。
二人が乗り込むと、無音のまま発進していった。
「……やっぱり、尾行されていたのか」
胸元に触れた指先が、わずかに震えた。
桐生の鑑定。
“この世のものではない”宝石。
そしてその直後に現れた、正体不明の親族。
音もなく遠ざかる黒い車を見ながら、響は思った。
――これは偶然では無いのかもしれない。
小さく息を呑み、扉の鍵をかける。
ネックレスが肌の上で、微かに脈打つように温かかった。




