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悪喰〜消された文書と相続事件〜  作者: 古林 秋一


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6

《Jewel Labo》を後にする頃には、雨脚は細い霧のように変わっていた。

響はネックレスを胸元に納めたまま、ミニクーパーに乗り込む。


桐生が口にした言葉──

“この世のものではない”

その響きが耳の奥で残響のように反復する。


エンジンをかけた瞬間、

視界の端で黒い乗用車のヘッドライトがかすかに揺れた。

それは朝、自宅近くで見た車と同じような色、同じ形。

偶然かもしれない。だが、胸がざわついた。


「……気にしすぎか」


呟きながら車を発進させた……が、違和感は消えなかった。


自宅前に着いた頃、雨はほとんど上がっていた。

外灯に照らされた家の前に、見慣れない人影がある。


二人組──中年の男女。


女は細身で、コートの上からでも骨ばったシルエットが分かる。

男は小太りで、猫背気味に身を縮めて立っている。


「……家に何か御用ですか?」


鍵を握りながら近づくと、二人が同時に顔を上げた。


「嘉神響さん、で……いらっしゃいますよね?」

小太りの男が、おどおどしながらも笑顔を作った。


「どちら様でしょうか?」


女のほうが一歩前へ出た。笑顔はやけに柔らかい。

だが、瞳だけは笑っておらず、冷たく澄んでいた。


「突然の訪問、すみません。私は南雲啓一と申します。こちらは妻の吉乃です。お祖母様と響さんの親戚にあたります。」

「少しだけ、お話を……させていただけませんか?」


響は戸惑いを隠せない。

澄乃には親類がいないと言われ続けてきた。

少なくとも、生前に“南雲”という名前は一度も聞いていない。


「親戚……ですか?」


「はい」

女性―南雲吉乃はわずかに会釈した。

「澄乃さんとは、遠縁にあたります。

急に亡くなられたと聞いて……本当に、驚きました」


「……そんな話、祖母からは一度も聞いていませんが」


小太りの男、啓一は慌てたように両手を振る。


「す、すみません! 本当にいろいろ複雑でして、その……

疎遠になっていたんです、長らく。

だからこそ、お悔やみを……どうしても伝えたくて……」


響は少しだけ警戒を強めた。

だが、あからさまに拒絶するには理由がない。

表面上は礼儀正しく、敵意は見えない。

その“敵意の無さ”が、むしろ怪しげに感じられる。


「……用件を聞かせてもらえますか」


啓一と吉乃が互いに目配せする。

吉乃が口を開いた。


「大したことではありません。ただ……澄乃さんが残された物について、気になることがあって。

もしよければ、少しだけお話を伺えればと」


響は胸元に触れないよう、意識して腕を組んだ。


「遺品については、まだ整理途中です。

全部をお見せする事は出来ないんですけど…」


「もちろんです」

吉乃はあくまで柔らかに微笑む。

「ただ……澄乃さんの“形見の中に”特別なものがあるのでは…と」


響の呼吸が微かに止まる。

だが、表情には出さない。


(ばあさんはいつも肌身離さず持っていた。

死後は蔵の奥に仕舞い込んであった。だから、ネックレスの存在を知られるはずがない。)


「あの……何か心当たりでも?」


とぼけた声で返すと、今度は啓一が言いよどむ。


「あ、あの、えっと……いえ……詳しいことは……」


「啓一さん」

吉乃が静かにたしなめた。

だが啓一は謝罪するでもなく、ただ小さく頷いただけだった。

まるで、想定通りの流れであるかのように。

吉乃は、そのまま響の方に向き直した。


「……澄乃さんには、生前お話したことがあります。その時、詳しくは言えないけれど“特別な宝物”があると仰っていました。もし何か心当たりがあれば……少しだけ、見せていただけませんか」


その瞬間、

響の背筋を冷たいものが這い上がった。


──まるで、“お前はネックレスを持っている”と知っている言い方。


だが、それを断定もできない。

絶妙に濁している。


響は慎重に距離を取るように言った。


「……申し訳ありませんが、御足労いただいて申し訳ないのですが、今日はお引き取り願えますか。

こちらも色々と整理が出来ていないので。

必要なことがあれば、連絡します」


啓一は慌てて名刺らしき紙を取り出した。


「す、すみません! 本当に突然で……これ、私たちの連絡先です。

無理にとは言いませんので……!」


吉乃も微笑みながら深く頭を下げた。


「また、お時間のあるときにでもゆっくりお話しましょう」


二人は深々と礼をしてから、ゆっくりと去っていった。


その背中を、響はずっと見送っていた。

雨に濡れたアスファルトに、二人の影が揺れている。

黒い乗用車が一台、道の端に停まっていた。フロントバンパーにあるキズ―朝、見かけた車と同じだった。

二人が乗り込むと、無音のまま発進していった。


「……やっぱり、尾行されていたのか」


胸元に触れた指先が、わずかに震えた。


桐生の鑑定。

“この世のものではない”宝石。


そしてその直後に現れた、正体不明の親族。


音もなく遠ざかる黒い車を見ながら、響は思った。


――これは偶然では無いのかもしれない。


小さく息を呑み、扉の鍵をかける。

ネックレスが肌の上で、微かに脈打つように温かかった。


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