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翌日、響は再びミニクーパーを走らせ、宝石鑑定施設《Jewel Labo》へ向かった。
空は厚い雲に覆われ、細かい雨粒が断続的にフロントガラスを叩いていた。
ドアを閉めた瞬間、通り向こうに黒い乗用車が停まっているのが目に入った。
「珍しいな、こんな所に路駐なんて」
響は一瞬その車を見つめたが、すぐに視線を外した。
胸元のネックレスに触れながら車を離れた。
鑑定士がいる店は想像よりも小ぢんまりとしており、白壁に囲まれた館内に入り、受付を済ませると、中年の男性が現れた。
「嘉神響様ですね。矢崎さんからご紹介頂いた、桐生と申します。」
声は低く落ち着いており、初対面の響に対しても礼儀正しいが、どこか厳格な空気を漂わせていた。
響は緊張しながら小箱に入れたネックレスを差し出す。
「これが今回鑑定をお願いしたいネックレスです」
桐生は慎重にルーペで宝石を観察した後、ガラスのトレイに置き、顕微鏡にかざす。
「ふむ…これは…」
専用の分光器、偏光顕微鏡、屈折率計──様々な機器が次々に稼働する。光が宝石の内部で乱反射し、微細な屈折パターンがモニターに映し出される。
鑑定士は低く呟き、「分光特性、屈折率、光の透過パターン…いずれも既知の鉱物では説明できない。簡単に言えば、この石が放つ光や屈折の仕方が、どの天然石にも人工石にも当てはまらないんです」
響は息を飲む。「……つまり、どういう事ですか?」
桐生はルーペを外し、視線を響に向けた。「正直に言えば、この宝石は地球上の既知の鉱石ではありません。人為的な加工や人工的生成でも説明が難しい。私の経験上、見たことがないタイプです」
響の手が少し震える。胸元のネックレスが微かに温かさを帯び、まるで鼓動しているかのように感じられた。
「光の反射も普通の宝石なら内部に微細な気泡や層が見えるはずですが、これは均一で、かつ微細な揺らぎを持っています。……はっきり言って普通の石ではないです」
響は黙って聞き入り、ネックレスを握りしめる。
桐生はさらに分光データを解析し、画面に異常なスペクトルを表示した。
「ここを見て下さい、一般的な鉱石の波形図と照らし合わせると光の波長の分布が既知の物理モデルとは整合しません。天然石ではありえないパターンだ。強いて言えば…“この世のものではない”と言わざるを得ない」
響の顔が青ざめる。「……この“ネックレス”、ばあさんは何を知っていたんだ?」
桐生は首をかしげる。「それは私には分かりません。ただ、科学的に分析できる範囲では、既存の宝石や鉱物とは完全に異質です。価値や希少性の問題ではなく、存在そのものが異常です」
響は胸元のネックレスを抱きしめ、深く息を吐いた。
—澄乃は、この石を守るために、何かを隠していたのか。
桐生は書類に結果をまとめながら、響に穏やかに告げる。
「分析結果はここにまとめました。必要なら、より高度な装置で更に詳細な検査も可能ですが…」
響は書類を受け取りながら、ふと窓の外を見た。
雨に煙る通りの向こうで、黒い乗用車がまだそこに停まっていた。
—まだいる。
響は無意識に、ネックレスを握り締めていた。
「ありがとうございます…これだけで大丈夫です、普通のネックレスでないのであれば、これ以上面倒事に巻き込む訳にはいかないので。」
「かしこまりました、私としてはとても興味深い案件ですが…」
桐生は少し名残惜しそうに、だが、鑑定人の分別を弁えた答えだった。
その瞬間、雨に煙る通り向こうで、停車していた乗用車の影が微かに揺れた。
—今朝見かけた、不審な車。
胸の奥で、警戒心が再びざわつく。




