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悪喰〜消された文書と相続事件〜  作者: 古林 秋一


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4

正門脇の欅けやきは、まばらに照明を拒んだ影を地面へ落としていた。

冬の夜風が、学生街の安い外灯を小さく震わせる。


響はミニクーパーから降り鍵をかける。

曇りとも霜ともつかない手のひらを芯から凍りつかせるような冷たさが残る。


「……夜十時、か」


役所を出てから数時間。

だが、時間の感覚はやけに伸び縮みをしていた。

迷いの余韻など壊されるほど、好奇心が早鐘のように鳴っている。


【資料解析研究室】——夜間は研究者以外入れない、自動ロックの扉。

響は不安を腹の奥底に押し込める為に深く深呼吸をし、ドアをノックした。


「はーい、どうぞー。」と明るい一言が夜の廊下に響いた後、ガチャリと鍵が開いてドアを開けると、蛍光灯の光がわずかに揺れ、無造作に積まれた資料や古本の山が視界に入る。

机の上にはルーペ、デジタルスケール、ガラス容器、光学器具が散らばり、紙とインクの匂いが微かに混ざる。

人の気配がない空間の静けさが、逆に物々しい緊張感を増幅させる。


「遅いですよ、またクーちゃんの機嫌でも損ねたんですか?」

膨れた声だが、冗談は半分で残りは純粋な心配だ。


「車じゃなくて、書類の方で少し手間取ってな。」


「で、鑑定を頼みたいのはこれだ。」


響は封筒を丁寧に差し出した。


瑠璃は眉を上げ、机の上の書類を手に取る。「へえ…これは確かに…なんというか、不自然ですね。朱肉の濃さとか、筆跡の硬さとか……」


「そうそう、それ。俺も不自然に感じたんだ。」

響はネックレスを胸元で握り、視線を逸らしながら続ける。

「あと、このネックレスも調べたいんだ。意味ありげに保管してあったんだけど…。」


瑠璃は軽く笑った。「なるほど。ネックレスですか…。私に直接鑑定は無理ですけど、信頼できる知り合いがいるので。そこに頼めば間違いないですよ。」


「じゃあ、頼んでもらっていいか?」

響は少しほっとしたように息を吐く。

「わかりました、ちょっと待ってて下さいね。」

瑠璃はスマホを取り出し、短いメッセージを打つ。「これで連絡は入れておいたので。少し経ったら折り返しが来るはずです。」


「助かる。…ところで、解析の方はどういう風にやるんだ?」


「まず紙の材質、朱肉の成分、筆跡の微細な特徴をデジタル化して比較します。明らかに復元の痕跡や偽造の可能性がある部分はピックアップ出来ますよ。」


「なるほど…つまり、俺が役所で感じた違和感が、科学的に証明できるわけか。」

瑠璃は微笑みながら肩をすくめた。


「まあ、簡単に見るだけですからね、完璧とまでいかないですけど、素人の目よりはマシな結果がわかる筈ですよ。それに証拠として使うなら十分です。」


響は小さく頷き、封筒を抱え直す。「ああ、頼むぜ、矢崎。」


瑠璃は書類を整理しながら、「ちなみに宝石鑑定の人は、それを見て何を言うか楽しみだな。見たところ普通の宝石の綺麗さじゃない様ですし…」

響は恐怖を腹の奥底に沈めるかのように続けた。

「…そうだな、説明するの難しいけど、俺も何か違和感を感じる。」


「じゃあ、これからが本番始めますよ。」

瑠璃は蛍光灯の下でルーペを使い、書類を慎重に観察し始める。朱肉の盛り上がり、筆圧の微妙な差、紙の擦れや折れ目の方向──瑠璃の手は迷わず、デジタルカメラと接続された顕微鏡の操作盤を動かす。

「ここ、見て下さい。文字のエッジが妙に均一じゃないですか?普通の筆跡なら微妙な揺らぎやかすれがあるはずなのに。」


響は息を飲む。「……確かに。ばあさんの字じゃないな、これ。」


「それと、黒塗りされた参照番号の部分も解析しないと。紙の層ごとの色やインクの透過率を比較すれば、後から塗り込まれた可能性も分かる思います。」

響は封筒から別の書類を取り出す。「昨日見つけた書類も、一緒に見てくれ。こっちも朱肉が妙に濃いんだ。」


瑠璃は両方を重ねて顕微鏡にかざす。「なるほど…うん、やっぱり復元写しに見せかけて、元の文字の特徴を意図的に再現してるみたいですね。微妙なズレや輪郭の硬さで分かります。」

「結果を端的に言うと、戦後の行政フォーマットじゃないですね。印字は後年のものです。意図的に古く見せてるって感じです。」


「やっぱり、誰かが…作為的にやったんだな。」

響の声は、まだ震えていた。胸元のネックレスも微かに揺れている。


「ねぇ、響先輩。逆に質問いいですか?」


「ん?」


「お祖母様って……本当に親戚はいないって言ってたんですか?」


「言ってた」


「ずっと?」


「ずっと。」

「子供の頃から耳にタコができるくらい聞かされたよ。」


瑠璃は椅子から立ち上がり、手袋を外した。「つまり……だとすると」


「“親族の存在がゼロの前提”で戸籍と登記が動いてるのに、売買のみで先輩のお祖母様名義→第三者。相続を挟んでなくて履歴の連続性が切れてるってことになりますね。」


響が指を鳴らす。「そう。本来なら俺が相続人で名義更新されるはず」


「でもされてない」


「されてない」


声が二つ重なる。


瑠璃は小さく笑って言った。「これ、ただの書類トラブルじゃないですよ。司法制度の裏道を使った誰かの”仕業”だと思います。」


瑠璃は目を輝かせながら立ち上がる。「さて、そのネックレスも見せてくださいよ。鑑定士に直接見せる前に、私にも触らせてください。」


響はネックレスを差し出しながら聞いた。

「どういう人なんだ?」


「宝石の専門家なんですよ。特に希少石や人工石を主に取り扱っているみたいで。一般的には取り扱わない異質な石持ち込まれる事もあると聞いてます。響先輩のネックレスみたいに、いわくつきのモノを見極めてくれる筈です。」


響は息を呑む。「…いわくつきか、そういうのじゃないと願いたいが。さっきも言ったけど何か、生きているみたいな、違和感がする。」


「目が合う…ホラーですか?」

瑠璃は引きつった顔で言った。


「本当にやめてくれ…。」


「…さて、そろそろ連絡が来る頃合いじゃないですかね。」

瑠璃は素知らぬ顔で言ってのけた次の瞬間。

ブッブブ…と携帯の振動する音が鳴った。

携帯を素早く取り内容を確認した瑠璃が「明日午前十一時にきて欲しいとのことです、場所は御徒町のJewel Labo(じゅえるらぼ)ってところみたいです。」


「わかった。ありがとうな。」


「じゃあ私はここまでですね、ヤバそうな事にこれ以上首を突っ込みたくないですからね。ほら、明日も早いんだからもう帰りましょう。」

「響先輩も気を付けてくださいね…」

瑠璃は不安そうな顔で呟いてから

「カフェデート連れて行ってもらわないといけないんですからね」


「俺の心配より、パフェの心配かよ」

と言いながらも響の心は少し軽くなった気がした。


「あ、そうだ、最後どうなったかだけ教えて下さいね?」

「覚えてる限りは、教えてやるよ。忘れてなければな。」

軽口に聞こえるが——重い。

それは恐怖を誤魔化す冗談ではなく、矢崎瑠璃という人間の“距離の取り方”に合わせた返答だった。


扉は自動で閉まり、ロックの電子音が短く鳴る。

夜は続く。謎も続く。

響はまだ“石の秘密”を知らない。








 












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