2
響は、蔵で見つけたネックレスを身につけて以来、
胸元を無意識に指先でなぞっていた。
その感触がどこか、肌の温度と馴染まない。
(…不思議な感覚だ。)
皮膚の奥だけを微かに撫でるような温度に、
視界の端で理由のない揺らぎ。
目を向けても、そこには何の変哲もないネックレスがひとつあるだけ。
響は、違和感を抱きつつも残りの荷物の山に目を向け、
目の前の小箱を開き、古い書類に目を通し始めた。
「不動産の売買契約書か…日付は昭和二十五年、九月…」
取引内容は嘉神家の屋敷 所有権、移譲に関する合意書だ。
(妙だな…)
澄乃の筆跡にしては、字の輪郭が不自然に硬い。
祖母の字は穏やかだが癖のある字のはずだ。
特に「神」の払いと「乃」の結びがいつも、洒落た感じに崩れているはずなのに、
朱肉の輪郭も濃く、わざとらしいほど”古さ”が際立っていた。
澄乃の筆跡を知っているからこそ違和感が浮かび上がる。
(これは、意図的に改竄されているのか?)
紙を透かして見るが、経年劣化のムラがなく、
印影も押し直したかのように色が濃い。
そして一部には、焦げたような跡もある。
(馬鹿馬鹿しい、そんな事あるわけないか。)
思考を止め、次の荷物に手を伸ばそうかと考えたとき
また、耳の奥で低く、それでいて不思議と明瞭な声が響いた。
『ほう、目の付け所は良いみたいだな…』
瞬間、響の呼吸が止まる。
「誰だっ!」
心臓が早鐘を打つ。汗が額を濡らした。
周囲を見回すが、蔵には響だけだった。
だが胸元にあるネックレスが、まるで鼓動しているかのように微かに震えた。
(…今の声はなんだ…?)
幻聴と呼ぶには、あまりに輪郭のある声。
しかし、それらしき存在は見当たらない。
不安が理性を揺らすより速く、響は深く息を吸った。
「ここで、アレこれ考えても埒が開かないか…」
ひとりで判断するには専門外すぎるが、
大学の友人に心当たりがあった。
無造作にスマホを取り出し、電話をかける。
2コール目で電話の相手が出た。
「矢崎です。珍しいじゃないですか、響先輩から連絡くれるなんて。」
矢崎瑠璃の少し甘ったるい声が返る。
「…矢崎か。すまないが頼みたい事がある。」
響は少し震えた声でそう言った。
「祖母の遺品整理をしていたら、違和感のある書類が見つかって。専門家に話を聞きたいんだ。」
「ちょうど、論文がひと段落ついたところだったので、いいですよ?研究室に居るので来てくれると助かります。何時ぐらいにこっちに来れそうですか?」
「明日、役所に行って登記簿の確認をした後にそっちに向かうから、夜の十時ぐらいにはなると思う。」
「はーい。明日のその時間になるのであれば、論文の続きでも書いて時間を潰してますね。」
「悪いな。今度、飯でも奢るよ。」
「やった、近くのカフェに限定のパフェ出してるところがあるんですよ。」
「え…それ、女子が話題にしてたやつか?2000円もするって聞いてるけど…」
「何を言っているんですか、うら若き乙女の睡眠時間を削るんですよ?」
「うら若き、って……お前、もう二十代半ばだろ」
「細かいことは気にしない!それより、期間限定のパフェですよ?」
「はぁ…わかった、パフェな。」
「期間限定のほうですよ…では、夜十時に研究室で待ってますね。」
響は短く息を吐き、電話を切り中古で購入した愛車のミニクーパーに乗り込みエンジンをかけた。
胸元のネックレスは、微かな温度を失わずに響の肌に触れていた。




