13
同じ日の午前。
捜査二課の会議室は、午前中だというのに薄暗かった。
ブラインド越しの光が、机の上の資料をまだらに照らしている。
「——で、大学の不審侵入。被害届は未提出、物的被害なし」
遠藤が資料をめくりながら言った。
「研究室侵入、鍵の破壊痕なし。監視カメラは“その時間だけ”不具合によるデータなし…ね」
向かいの鹿島が、短く息を吐く。
「……都合が良すぎますね」
「だな」
遠藤は頷き、写真を一枚指で叩いた。
研究室のドアノブ。異常なし。
床。足跡なし。
書類棚。荒らされた形跡もない。
「被害者——矢崎瑠璃。大学院生。
侵入者は黒いコートの男、単独。言動は丁寧だが威圧的」
「“調べなくていい”“もう終わっている”……か」
鹿島がメモを読み上げる。
「調査対象を知ってる人間の言い方ですよね」
「しかも、狙いは物じゃない。情報だ」
遠藤は視線を上げた。
「不動産関係の資料。個人の相続案件だが、背景が妙に重い」
「例の——」
鹿島が言葉を切る。
「嘉神家?」
「そう」
遠藤はファイルを開いた。
古い土地台帳のコピー。
用途変更履歴、曖昧な境界線、過去に消えた申請。
「表向きはただの相続整理。
だが、調べれば調べるほど“触るな”って顔をしてる」
「誰かが、先回りしてる」
鹿島が言った。
「しかも素人じゃない。
警察の動きも、大学の管理体制も、把握した上で入ってる」
「……なのに」
遠藤は低く続ける。
「現場には、何も残さない」
沈黙が落ちた。
「被害者の二人——嘉神響と矢崎瑠璃」
「学生同士。金も権力もない」
遠藤が低く言った。
「だからこそ、踏み台にしやすい」
鹿島がペンを置く。
「遠藤さん。これ、単独犯じゃないですね」
「ああ」
遠藤は頷いた。
「使いにしては、手が込みすぎていますね」
「だな」
遠藤は短く肯定した。
「使いなら、もっと荒い」
一拍置いて、遠藤は続けた。
「それに、矢崎への言葉——"もう結構です"。
これは、調査の進捗を把握していた人間の言い方だ」
鹿島が頷く。
「つまり……
現場に立つ理由がある人間の動きだ、と」
鹿島が眉をひそめる。
「黒幕、というやつですか」
「まだ断定はしない」
遠藤は言葉を選ぶ。
「だが少なくとも、
“現場に立つ必要がある立場の人間”だ」
遠藤は資料を閉じた。
「当面は内偵。
被害者には“安全確保”を理由に接触を続ける」
「警護?」
「そこまでは出せない。
——まだ、事件になってないからな」
鹿島が静かに言った。
「でも……放っておいたら、事件になる」
「だろうな」
遠藤は資料を閉じかけたが、鹿島が別の資料を差し出した。
「それと、もう一つ気になる情報があります」
「なんだ」
「嘉神宅周辺で、最近、聞き込みに回っている夫婦がいるそうです」
遠藤の視線が鋭くなる。
「夫婦?」
「ええ。物腰が柔らかくて、近所では印象は悪くない。
“嘉神家の親戚”を名乗っていたとか」
「名前は?」
「南雲啓一と、南雲吉乃」
遠藤は、その名前を頭の中で転がした。
「……今のところ、前歴は?」
「クリーンです。少なくとも、表向きは」
遠藤は深く息を吐いた。
「表向き、か」
ホワイトボードには、関係者の名前が書かれている。
嘉神響、矢崎瑠璃、南雲啓一、南雲吉乃——。
だが、その上に立つ"黒幕"の名前だけが、まだ空白のままだった。
「鹿島。大学の件は“偶発的侵入”として処理する」
「いいんですか?」
「ああ。向こうに“警察が本気で嗅ぎ回っている”と思わせる必要はない」
遠藤は言い切った。
「相手が本職なら、尻尾を切られる。
素人なら、勝手に動く」
「……泳がせる、ということですね」
「そうだ」
遠藤は資料を閉じ窓の外を見た。
大学のキャンパスが、穏やかな昼の顔をして広がっている。
「静かすぎる」
「え?」
「嵐の前って、だいたいこうだ」
遠藤は立ち上がった。
「矢崎と嘉神。
あの二人——“事件の渦中”に入っちまった」
鹿島は小さく息を吸い、頷いた。
「じゃあ、私たちは?」
「追うさ」
遠藤は低く言った。
「名前の出ない“誰か”をな……」




