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悪喰〜消された文書と相続事件〜  作者: 古林 秋一


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同じ日の午前。

捜査二課の会議室は、午前中だというのに薄暗かった。

 ブラインド越しの光が、机の上の資料をまだらに照らしている。


「——で、大学の不審侵入。被害届は未提出、物的被害なし」


 遠藤が資料をめくりながら言った。


「研究室侵入、鍵の破壊痕なし。監視カメラは“その時間だけ”不具合によるデータなし…ね」


 向かいの鹿島が、短く息を吐く。


「……都合が良すぎますね」


「だな」


 遠藤は頷き、写真を一枚指で叩いた。

 研究室のドアノブ。異常なし。

 床。足跡なし。

 書類棚。荒らされた形跡もない。


「被害者——矢崎瑠璃。大学院生。

 侵入者は黒いコートの男、単独。言動は丁寧だが威圧的」


「“調べなくていい”“もう終わっている”……か」


 鹿島がメモを読み上げる。


「調査対象を知ってる人間の言い方ですよね」


「しかも、狙いは物じゃない。情報だ」


 遠藤は視線を上げた。


「不動産関係の資料。個人の相続案件だが、背景が妙に重い」


「例の——」


 鹿島が言葉を切る。


「嘉神家?」


「そう」


 遠藤はファイルを開いた。

 古い土地台帳のコピー。

 用途変更履歴、曖昧な境界線、過去に消えた申請。


「表向きはただの相続整理。

 だが、調べれば調べるほど“触るな”って顔をしてる」


「誰かが、先回りしてる」


 鹿島が言った。


「しかも素人じゃない。

 警察の動きも、大学の管理体制も、把握した上で入ってる」


「……なのに」


 遠藤は低く続ける。


「現場には、何も残さない」


 沈黙が落ちた。


「被害者の二人——嘉神響と矢崎瑠璃」


「学生同士。金も権力もない」


遠藤が低く言った。


「だからこそ、踏み台にしやすい」


鹿島がペンを置く。


「遠藤さん。これ、単独犯じゃないですね」


「ああ」


 遠藤は頷いた。


「使いにしては、手が込みすぎていますね」


「だな」


 遠藤は短く肯定した。


「使いなら、もっと荒い」


一拍置いて、遠藤は続けた。


「それに、矢崎への言葉——"もう結構です"。

これは、調査の進捗を把握していた人間の言い方だ」


鹿島が頷く。


「つまり……

現場に立つ理由がある人間の動きだ、と」


 鹿島が眉をひそめる。


「黒幕、というやつですか」


「まだ断定はしない」


 遠藤は言葉を選ぶ。


「だが少なくとも、

 “現場に立つ必要がある立場の人間”だ」

遠藤は資料を閉じた。


「当面は内偵。

 被害者には“安全確保”を理由に接触を続ける」


「警護?」


「そこまでは出せない。

 ——まだ、事件になってないからな」


 鹿島が静かに言った。


「でも……放っておいたら、事件になる」


「だろうな」


遠藤は資料を閉じかけたが、鹿島が別の資料を差し出した。


「それと、もう一つ気になる情報があります」


「なんだ」


「嘉神宅周辺で、最近、聞き込みに回っている夫婦がいるそうです」


 遠藤の視線が鋭くなる。


「夫婦?」


「ええ。物腰が柔らかくて、近所では印象は悪くない。

 “嘉神家の親戚”を名乗っていたとか」


「名前は?」


「南雲啓一と、南雲吉乃」


 遠藤は、その名前を頭の中で転がした。


「……今のところ、前歴は?」


「クリーンです。少なくとも、表向きは」


 遠藤は深く息を吐いた。


「表向き、か」


 ホワイトボードには、関係者の名前が書かれている。

嘉神響、矢崎瑠璃、南雲啓一、南雲吉乃——。

だが、その上に立つ"黒幕"の名前だけが、まだ空白のままだった。



「鹿島。大学の件は“偶発的侵入”として処理する」


「いいんですか?」


「ああ。向こうに“警察が本気で嗅ぎ回っている”と思わせる必要はない」


 遠藤は言い切った。


「相手が本職なら、尻尾を切られる。

 素人なら、勝手に動く」


「……泳がせる、ということですね」


「そうだ」


 遠藤は資料を閉じ窓の外を見た。

 大学のキャンパスが、穏やかな昼の顔をして広がっている。


「静かすぎる」


「え?」


「嵐の前って、だいたいこうだ」


 遠藤は立ち上がった。


「矢崎と嘉神。

 あの二人——“事件の渦中”に入っちまった」


 鹿島は小さく息を吸い、頷いた。


「じゃあ、私たちは?」


「追うさ」


 遠藤は低く言った。


「名前の出ない“誰か”をな……」


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