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悪喰〜消された文書と相続事件〜  作者: 古林 秋一


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パトカーの赤色灯が、大学の夜の校舎にぼんやり反射する。

 静かなキャンパスには不釣り合いだ。


「……来たみたいだな」


 駆けつけたスーツ姿の刑事がふたり。男女一組だった。

「捜査二課知能犯係の遠藤と鹿島です。近くで詐欺事件を追っていたところ、通報を受けて駆けつけました」


遠藤は40代ほどの男性で、落ち着いた口調。

鹿島は30代前半の女性で、瑠璃に対して柔らかい視線を向けていた。


(……詐欺事件?)

響はその言葉に引っかかったが、今はそれどころではない。



「通報された方は——」


「俺です。嘉神響っていいます。彼女は……研究室の学生で」


 横の瑠璃は、どこか硬い表情のまま小さく会釈した。


「矢崎です。……先ほど、研究室に不審者が入りまして」


 淡々としている。

 一見落ち着いて見えるが、指先は白くなるほど力が入っている。


「場所をご案内いただけますか?」


 刑事が促し、四人で研究棟へ向かう。

 廊下の灯りが心なしか薄暗い。


 瑠璃がドアの前で立ち止まり、鍵を回す。

 刑事が確認のため覗き込むが、部屋には誰もいない。


「侵入されたのは、この部屋で間違いないですね?」


「……はい」


 瑠璃が短く答える。

 女性刑事の鹿島が彼女の声色に気づいたのか、視線を柔らかくした。


「落ち着いて話してもらえれば大丈夫ですよ。

 その、不審者が来たときの状況を教えてください」


「……気づいたら、照明が落ちてて。

 音がして、後ろに……人が立ってました」


「その人物は何か言いましたか?」


「……はい。でも……」


 言葉を飲み込む。

 恐怖を抑えているのが分かる。


 響が横で小さく息を吸った。


「話していい。矢崎」


 呼びかけると、彼女は少しだけ肩を下げた。

 淡々と続ける。


「『鍵が開いていた』と言われました。……でも、私は、かけてました」


 刑事たちが互いに視線を交わす。


「鍵を壊した形跡は……ないな」


「どうやって入ったんでしょうね……?」


「分かりません」


 瑠璃はかぶりを振る。

 その声はかすかに震えているが、言葉は整っていた。


「——それと、私がしまった書類を……見られていました」


 刑事の眉が上がる。


「書類? どんなものです」


 瑠璃は一瞬、響を見る。

 響もうなずき返した。


「……先輩の……おばあ様の家の、不動産関係の資料です。

 解析を頼まれていたものなんですけど……」


「なるほど。侵入者は、その資料を目当てに来た可能性もある、と」


 瑠璃は唇を噛む。


「……そうだと思います。

 あの人……“もう結構です”って……

 解析が終わっていること、知ってました」


 刑事の表情がわずかに変わる。

 空気が一段重くなる。


「その男の特徴は? 顔、背格好、服装、声の調子。

 覚えている範囲だけでいいので教えていただけますか?」


 瑠璃はゆっくり息を吸う。


「黒いコート……細身……えっと……

 声は……静かで、あまり抑揚がない感じでした。

 髪は……短くて、色は黒……」


「面識は?」


「……ないです。絶対に」


 即答。

 その速さに、刑事が少し頷いた。


「分かりました。とにかく今日はここまでにしておきましょう。

明日、大学の防犯カメラの映像を確認させてもらいます。

名刺をお渡ししますので、何か思い出したことがあればすぐ連絡してください」


「はい……」


 瑠璃は静かに返事をする。

 響は彼女の肩が僅かに震えているのに気づいた。


 刑事がふと、二人の間を見る。


「お二人は……大学の先輩後輩、なんですね」


「はい。矢崎は……後輩です」


 響が答えると、刑事の目つきがわずかに柔らいだ。


「なら、なるべく一人にならないように。

 今夜は……気をつけて帰ってください」


 パトカーの赤色灯がまた校舎に反射した。

 刑事たちが引き上げると、夜の静けさが戻る。


 だが——静かさは、むしろ不気味だった。


「……先輩」


 瑠璃が小さな声で呼んだ。


「たぶん……あれ、まだ終わってない気がします」


 響は短く息を吸った。


「……分かってる」


 その瞬間、胸元のネックレスが、

 ほんのわずかに温かくなったような気がした。


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