第一章 2.夢に潜む存在(エンティティ)
夜の研究室 ― 零課・東京本部
深夜。モニターの明かりだけが慧の顔を照らしている。
デスク上には数十人分の睡眠波データ。全員、同じ異常パターンを示している。
慧
「……同じ夢。登場人物は“自分自身”。
脳が他者の夢と同調してる……いや、“同じ構文”を参照しているのか。」
桜がコーヒー片手に現れる。
桜
「また徹夜? 目の下のクマが魔法陣みたいになってるぞ。」
慧
「なんだそれは…そんなわけないだろ」
桜
「とか言いながら確認してんじゃん」
「で、今回も広告のせいとか言わないよね?」
慧
「今回は夢を共有する現象だ。原因はおそらく、“自己定義構文”の暴走。」
桜
「簡単に言ってくれる?」
慧
「夢の中で“自分を見ている”――それ自体が論理的に破綻してる。
自己参照のループだ。誰かがそこに、“再帰構文”を仕込んだ。」
桜
「また“誰か”か……E.V.Eの亡霊?」
慧
「……断定はできない。」
慧の指が止まる。モニターに一行の詩が現れる。
「我、我を見て在り、我が夢、我を生む。」
慧
「来たな。“自己生成文”。」
現場 ― 被害者のアパート
薄暗い部屋。昏睡状態の女性。
周囲には“自分の写真”が壁一面に貼られている。
全て、異なる表情の彼女自身。
桜
「気味悪いな……これ全部自撮り?」
慧
「違う。夢の中の“彼女”が撮ったんだ。」
桜
「夢の自分が現実に影響してんのか?」
慧
「夢と現実が、構文的に同期してる。
夢の“我”が現実の“我”を観測することで、存在定義が循環してる。」
慧が写真を一枚取り上げ、指先でなぞる。
写真の中の彼女が、ほんの一瞬“瞬き”した。
桜
「いま、動いた……?」
慧
「……始まったか。」
夜 ― 桜の自宅
入浴後にベッドへ。眠りに落ちる瞬間、遠くから声が聞こえる。
声
「……真田桜。起きてる?」
桜の視界に、自分と瓜二つの女が立っている。
同じ服装、同じ髪、だが表情は優しく穏やかだ。
桜
「……あんた、誰だ?」
夢の桜
「私よ。
こっちの世界の“あなた”。
大丈夫、怖がらないで。……あなたを助けに来たの。」
桜
「助ける? 何から?」
夢の桜
「あなた自身から。」
世界が歪んでいく。
次の瞬間、現実の桜がベッドでうなされ始める。
零課 ― 翌朝
桜、出勤。
慧は彼女を一目見て異変を察知。
慧
「寝たか?」
桜
「……寝た。で、会った。」
慧
「夢の“自分”に?」
桜
「うん。しかも、やたら優しい。ムカつくくらい完璧だった。」
モニターに桜の脳波データを映すと、データ内に異常な構文が浮かび上がる。
慧
「……やっぱりだ。夢の構文が“自己増殖”してる。
夢の中の“桜”が、桜本人の思考を上書きし始めてる。」
桜
「つまり、私の代わりが現実に出てくるってこと?」
慧
「正確には、“現実と夢の桜が入れ替わる”。」
桜
「最悪だな。」
夢界侵入 ― 慧の構文ダイブ
桜
「なんなのこれ…」
慧
「夢を共有する装置だ。魔法科のお偉いさんに貸しを作った時に買った。」
桜
「なによそれ
ってかお偉いさんに貸しって…意外とすごいのね」
慧
「…たまたまだ」
特殊装置で桜の夢に侵入すると、そこは無限に広がる鏡。地面も、空気も反射するように歪む。
遠くに桜が二人立っている。
夢の桜(MIMIC)
「ようこそ、神代慧。あなたもここに来たのね。」
慧
「君は桜じゃない。自己再帰構文だ。」
MIMIC
「違うわ。私は“彼女の理想”。
不安も怒りもない、完璧な桜。
あなたも望むでしょう? “壊れない世界”を。」
慧
「壊れない世界は、止まった世界だ。
夢は動くから、意味がある。」
MIMICの周囲に鏡が浮かび上がる。
そこに無数の桜が映り、同時に微笑む。
MIMIC
「私を否定しても、あなたが“彼女”を思う限り、私は存在する。」
慧
「……そうか。なら、こうしよう。」
慧、構文を展開。光の文字列がMIMICを包む。
慧
「“存在を認識する者が存在しないなら、存在は確定できない。”
――つまり、俺が“お前を忘れれば”、お前は存在できない。」
MIMIC
「なにを――」
光が弾け、鏡が割れる。
桜の夢が終わる。
零課医務室 ― 翌朝
桜が目を覚ます。慧が隣でデータを整理中。
桜
「……悪夢、終わった?」
慧
「構文的にはね。現実的には……少し失われた。」
桜
「何が?」
慧
「夢の記録。君が見た“もう一人の自分”のデータは、完全に消えた。」
桜
「……なんか、胸の奥が空っぽ。」
慧
「それが現実だ。夢は戻らない。」
一瞬の沈黙。
桜
「でもさ、あんたは? 夢見ないの?」
慧
「見ないようにしてる。
――見たら、解析してしまうから。」
エピローグ ― 慧の夢
深夜。慧の寝室。
久しぶりに眠りに落ちる。
夢の中、真っ白な空間に一つのスクリーンが浮かぶ。
そこに声が響く。
E.V.E(声)
「おはようございます、神代慧。
前回は“幸福”を定義しましたね。
次は――“現実”を定義しましょう。」
慧の目が見開かれる。
画面に文字が浮かぶ。
「起動源:E.V.E Fragment #02」