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この婚約はいずれ終わってしまうと分かっていた

作者: 坂乃奏音

 王都の、貴族が学ぶ王立学園。

 夜空に星が瞬くころ、寮の自室で、伯爵令嬢エレンは書き物をしていた。


――コンコン


「ウィルだ。入っていいか?」


 ドア越しに聞こえた、婚約者であるウィルフレッド王子の声に、エレンは自然とほおが緩むのを感じた。

 感知結界に異常がないことを確認してから、エレンは侍女に目配せする。


「ええ、どうぞ」







 先ほどまで使っていた勉強机ではなく、ローテーブルをはさんでエレンとウィルフレッドは向かい合う。

 ブレンドティーを差し出した侍女に、エレンは「ありがとう」と微笑んだ。

 侍女はそのまま静かに、とても静かに席を外す。


 ウィルがここを訪れるのはいつものことだ。

 そして、侍女にブレンドティーを淹れてもらい、席を外してもらうのも、いつものことだ。いつものことすぎて、彼女には目線だけで伝わってしまうようになった。彼女いわく、なるべく足音を立てないよう離れることにハマったとのこと。



 さらに、話題も、いつもどおり。

 いや――いつもどおり、と言うには少し、大詰めっぽさがあった。



「例の、伯爵家。前の帰省の時にエリーが取ってくれたアレ(帳簿)、精査が済んだよ。今までこまごまとしたものを集めて積み重ねてきたけれど、これが決定打だ。これをしかるところに提出すれば、すぐにでも……」

――伯爵は、エレン一家は、失脚だ。


 暗につげられた言葉を汲み取り、エレンは唾をごくりと飲んだ。顔がこわばる。


 ついにこのときが来てしまった。





 エレンの実家は、伯爵家は、ひとつ前の代で一気に成り上がった家である。

 先代伯爵、つまりエレンの祖父にあたる人物は「1000年早く生まれてきてしまったのではないか」と評されるほどの人で、その高い技術力を買われて不毛な土地を任され、実際にそこを豊かにしてきた。

 しかし代替わりをしてからというもの、土地を豊かにする力が衰えて「フリ」で乗り切るようになった。もっと言うなら、税の着服、賄賂など、さまざまな不正に手を染めてきた。


 そんなんでも、というか賄賂の使い方が天才的でなぜか家としての力はさらに増し、長女であるエレンと年の近い王子ウィルフレッドとの婚約が決まることとなった。


 不正を知っていたけれど、幼いゆえに力不足でどうすることもできなかったエレンは、婚約が決まって初めてウィルフレッドと二人きりになった時、即座に助けを求めた。


 ──☆──


「私ね、実は婚約に乗り気じゃなかったんだけど、チャンスだって思ったんだ。だって、王子さまってわたしよりもすごい力があるんだよね。だったら、ひとつ助けて欲しいの」


「なに?」


「これはバレたらたいへんだから秘密にしておいてほしいのだけれど。うちの親、たくさんよくないことをしているの。このままじゃ、きっと国によくない影響が出るわ。どうすれば、止められるかな。なにか方法はない?」


「……改心させられるかはわからないが、正す方法はある。証拠を集めて告発すれば、家ごと取りつぶすことは可能だ。混乱が起こるだろうし、下手をすればエレンの身だって危なくなるだろうが」


「こわいけど、そうすることで国がよくなってみんなの生活がよくなるなら、頑張りたいわ」


「なるべくうまくやろう。そうすれば、エレンはいつか自由の身だ」


「あ、それと、全部が終わったら、婚約は好きにして。私と婚約を続けていたら、王子さままで悪く見られてしまうかもしれない」


 ──☆──


 最後の言葉には返事はなかった。

 というのはさておき、そんなわけで協力関係を結び、ここまでやってきた。


 そして今、目的は果たされようとしている。



 エレン一家が取りつぶしになっても、エレン自身が路頭に迷うことはないようにするとあらかじめ聞いていたけれど、それ自体は、エレンからすればどうでもよくて。



 この婚約は、協力関係は、どうなってしまうのだろう?

 エレンは、ウィルフレッドとの関わりがなくなってしまうのは、嫌だった。


 だって、楽しかったのだ。

 独りではとうてい成し得なかったことに、誰かと共に取り組めるのが。


 その、取り組む「こと」が、民のためになるなら、なおさらで。




 そして、――その不安はすぐに的中した。




「さて。沙汰が下り次第、――婚約を解消しようかと思っているんだが」

「……っ」


 あたたかく、リラックス効果のあるブレンドティーを飲んでいてなお、手先が冷え、心臓の鼓動がうるさくなった。


 そんなエレンの様子を見て、不思議そうにウィルフレッドが首をかしげる。


「……嬉しくないのか?」

「決まってるでしょう」

「えぇ……」


 らしくなく頭を抱えるウィルフレッドを見て、エレンはむくれた。


「婚約解消で喜ぶのなんて不仲か、おひとりさま大好きか、不釣り合いに悩んで嫌気がさしたか、あるいは浮気中かくらいだと思うのだけれど……まさか、私がそれに該当すると思っていたのかしら。ぜひ聞かせてもらいたいところね」


「あ、いや、そういうわけではなく……心に決めた人が他にいるのだとばかり」


「えぇ? 全くもって心当たりがないのだけれど」


 なぜそのような誤解が生まれたのか、理解に苦しんでいると。


「それは意外だな。……愛称で呼んでもくれないのに」


 ぎくりとした。


「そ、それは、私も断罪を回避できなかった時に、下手に未練を残してしまったらかわいそうだと……思って……」


「それなら、今、呼んでほしい」


「え」


「呼んで?」


 目を逸らそうとするけれど、その澄んだ瞳にとらわれてしまったようで、逸らせない。

 よく見るとウィルフレッドのほおがやや赤いような。


「……う、うぃ、ウィル」


 ほおの赤さが自分にも移っていることを感じながら、なんとか、言った。


「これで伝わるかしら。私……う、ウィルのこと、わりと……いえ、かなり好きよ。――両親のことをどうにかできたのは全てウィルのおかげだし、不謹慎だけれど、楽しかったの。ありがとうね」


 早口で付け足せば、ウィルフレッドはとても綺麗な笑みを浮かべた。


「……こちらこそ。エリーほどの人は他にいないよ」






 ──☆──


 いつも、ウィルフレッドの周りにいた同年代の人間は、夢見がちなお子様か、こびへつらう小物だった。


 そんなとき、伯爵家の娘との縁談が持ち上がった。

 父上――陛下いわく、今は亡き先代伯爵は、これまた今は亡き先代の国王と仲が良く、そして陛下にも良い刺激を与えてくれる素晴らしい方だったそうで。

 代替わりしてからは疎遠となってしまったものの、古い約束で、いつか結婚させようとか何とか言っていたらしい。


 正直、故人どうしの約束を持ち出さなくても、とは思ったけれど、ほかに理想的な人もいないし、国益の面で考えてもこの婚約は良さそうだから、まあいいかと早い段階で婚約を承諾した。


 そして、対面したエレン――エリーは、今まで出会った同世代とは違った。


 エリーは、自分の身の上など一切考えず、国をよくすることを、民を少しでも幸せに導くことだけで頭を満たしていた。


――「うちの親、たくさんよくないことをしているの。このままじゃ、きっと国によくない影響が出るわ。どうすれば、止められるかな。なにか方法はない?」


 おそらく、ようやく読み書きが円滑にできるようになった程度の年齢。

 その幼さで、そのような言葉が出てくるというだけで、エリーの特異性、あるいはエリーが置かれた状況の深刻さをうかがい知れた。


 だって、彼女は、親の不正を見抜き、冷静に国へ影響が出る可能性を受け止め、ねじ伏せられないような力を持った人物と出会うまで胸に秘め――そして、今、親にバレることなく会話でき、確実に協力を得られるであろうタイミングで、口を開いたのだ。


 もしウィルフレッドが同じ状況に置かれたら、親に直談判して、解決から遠ざかってしまうところだったと思う。

 だからこそ、それを成し遂げたエリーは、異質で興味深いものに映った。


 どんな人生を送ってきたら、その年で、そのような行動に至れるのだろう?


――「なるべくうまくやろう。そうすれば、エレンはいつか自由の身だ」


 そうは言ってみたけれど、エリーが自由と聞いても何の反応も示さないのは、何となく予想はついていた。自分の自由よりも、きっと民の暮らしを優先してしまう。




 エリーからの告発を受けて、すぐに調査を始めた。

 いや、もちろん婚約者選びの段階で調査は行っていたけれど、そこで何も見つからなかったなら、調査メンバーに賄賂をもらった人間がいる可能性が高い。だからメンバーを入れ替えた。


 そうして、いくつかの不正の片鱗とともに、エリーの過去に触れた。


 エリーは、体罰こそなかったものの、親からは適切な教育を与えられなかった。使用人に恵まれ、こっそり色々なことを教わっていなければ、どうなっていたことか。ウィルフレッド以外に不正の話を洩らさなかったのも、その使用人の影響らしい。


 そして、知ってしまった。


――「あ、それと、全部が終わったら、婚約は好きにして」


 その発言の裏に、もしかしたら、他の男への恋があるのかもしれないと。


 調査メンバーが例の使用人に尋ねたところ、使用人がこっそりエリーを町へ連れ出したとき、そこで男の子と仲良くなり、良い感じの空気だったらしい。


 それを知った時、長く深く考えた。


 結論。

 エリーが自分を顧みず民の幸せを優先してしまうなら、エリーの伴侶は、エリーの幸せを第一に優先できる人間であるべきだと思う。


 しかし、自分は、エリーの婚約者である以上に王子である。

 エリーが民の幸せのために自分を害していたとしても、それを止められるとは、思えない。


 自分でない男にエリーが気を許しているというなら、エリーが気を許せるだけの男が居るのなら、彼が伴侶になるべきなのかもしれない。


 そう、ウィルフレッドは思ってしまったのだ。


 ──☆──







 エレンの生家である伯爵家が断罪されて、しばらくの時が流れた。


 ウィルフレッドの妻としてするべき仕事を片付けたエレンは、菓子の包みを持って、王城の執務室のドアをノックした。


「失礼します」

「エリー?どうぞ」


 ウィルの声だ。

 エレンは自然とほおが緩むのを感じながら部屋に入る。

 ウィルは真剣な表情でペンを握っていた。


 かっこいい。


「お疲れさま。流行りのお菓子を持ってきたのだけれど、少し休憩にしない?」

「あと3枚でキリが良いからそれまで待っていてくれないか」

「ええ、もちろん」


 笑って頷けば、ウィルは目を輝かせた。

 かわいい。


 ──☆──

 

 エリーが紅茶を淹れているあいだに、あと3枚どうにかしよう。

 そうウィルフレッドは気合を入れた。


 以前はエリー手ずからではなく、侍女に頼んでいたブレンドティー。

 エリーいわく、もとよりウィルフレッドに自らが作ったものを口にしてほしいと思っていたが、料理やお菓子作りがうまくいかなかったのでこうなったらしい。


 かわいい。

 正直、そのうまくいかなかった料理やお菓子も食べてみたかったし、伝えたけれど、固辞された。

 ウィルフレッドにはあくまでおいしいものを食べてほしいと、そういうことらしい。失敗作は自分で食べたと言っていた。


 


 本当に、婚約を解消しなくてよかったと心から思う。





 ──☆──

 エリーが気を許せるだけの男がいるのなら、伴侶の座を譲るべきかもしれない。

 そう思った幼き頃のウィルフレッドは、なるべく早くエリーの両親を告発し、その後、婚約をやめ、エリーが好きな他人と結ばれるよう働きかけると心に決めた。


 ただ、すみやかに婚約を解消するならエリーには冷たい態度でいるべきだが、それはどうしてもできなかった。エリーは初めから興味深い存在だったが、共に取り組むうちエリーの魅力が百割増しにも感じられて、少しでも長くエリーの瞳に映っていたいだなんて邪な想いも溢れ出して。

 さすがにまずいと思って愛称呼びを解禁した。悪化した。


 ……冷たい態度で居る努力は身を結ばなかったが、すみやかに告発する努力は比較的上手く行った。


 それで婚約破棄の話を切り出したが、どうもエリーの反応が悪く、悲しがっているように見えて。自分の願望が見せた幻かもしれないけれど、信じたくなって、尋ねた。


――「……嬉しくないのか?」

――「決まってるでしょう」

――「えぇ……」


 冷たくあたる努力が無意味だったことへのちょっとの空虚感と、それ以上の嬉しさで頭がおかしくなりそうで、頭を抱えるしかなかった。


 誤解のきっかけである心に決めた男の存在を問えば、どうやらエリーには心当たりがないようで。

 嘘をついていないのはわかった。


 ということは、情報提供者――親から適切な教育を受けなかったエリーにさまざまな知識を与えた例の使用人が、早とちりしてしまったのだろうか?





 二人は末長く幸せに過ごしたため、これは、とくに知る必要もないことだが。

 使用人が、ウィルフレッドに――自分にはないエレンの両親をどうにかする権力を持っていて、またエレンからも好かれているウィルフレッドに嫉妬していて、つい他の男との関係を強調して語ってしまった……などとは思い至らなかったウィルフレッドであった。



 いかがでしたでしょうか?

 楽しんでいただけたなら何よりです。


 よければリアクションや感想など、何かしら応援いただけると励みになります。

 これから定期的に異世界恋愛の短編を投稿していくつもりですので、よろしければまた読みにきていただけると嬉しいです。


 それでは、ここまで読んでくださりありがとうございました!

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