井の中と大海
井戸の中に、生まれたばかりの小さなオタマジャクシがいました。
苦労してやっと生まれた子
小さくて、頼りなくて、弱々しい
オタマジャクシだから“お玉”と名付けよう
この子のためなら何でも頑張れる
井戸はお玉が可愛くて、可愛くて、この子の周りをとてもキレイにしました。
少しの濁りや虫たちや花さえも、井戸が“ケガレ”と思ったモノは全て取り除きました。
お玉に手足が出始めた頃、井戸は心配になりました。
「もっと大事にしなければ、頼りなくて弱々しいこの子はダメになってしまう」
その頃お玉は「外に出てみたいな」と思っていましました。
井の中には何もありませんでしたが、外からは様々な音が聞こえてきてお玉の想像は膨らみました。
「憧れの大海。ここより広くて、楽しいことがたくさんあるはず」
でも井戸は、お玉の気持を知って激怒しました。
「こんなに住みやすくしているのに!こんなに愛しているのに!」
井戸は前にも増して“ケガレ”と思い込んだモノを次々と取り除きました。
お玉に余計なことを考えさせないよう、水の中や空中の酸素さえも。
お玉は、自分を知ろうとしない井戸が嫌いでした。
こんな名前、カエルになったら恥ずかしいのに
良い事ばかり押し付けて、やりたい事は何にもやらせてくれない
ここに居たら自分はダメになってしまう気がする
お玉の心は、漠然とした不安と焦燥感でいっぱいになっていきました。
お玉は自分の状態に気が付いていませんでした。
心は言葉の圧力で押しつぶされ、体は息が苦しくて辛かったのです。
酸素さえ取り除かれた井戸の中では生きていけません。
お玉は手足がそろってすぐに井戸を出ました。
まだしっぽは残っていましたが、カエルになったのです。
井戸は、出ていったお玉を許せませんでした。
オタマジャクシのままずっとここに居ると思っていたから。
まさか自分に逆らうなんて思っていなかったから。
カエルは外に出てびっくりしました。
大海は井戸の中とは全く違っていました。
大海には波があり、ヘドロまみれの汚いモノ、臭いモノ、美味しい毒がいっぱいありました。
井戸が最も“ケガレ”としてきたモノたちに触れて荒波に揉まれ、カエルの心も体も次第にボロボロになっていきました。
たけど、ヘドロまみれのここは居心地がいい
それに息が苦しくない
カエルは、ボロボロの心の中でときどき井戸を思い出しました。
あんなに守られていたのに
でも帰れない
あそこはまだ苦し過ぎる
井戸が少し濁ってくれたらいいのに
もう少し、毒を受け入れてくれれば、帰れるのに