「お前に恋愛は分からない」と言われたけど、何を失礼な。恋愛ぐらい私にもできる!……多分。
「お前は恋愛っていう基本が分からない馬鹿野郎だよ。だから俺が浮気しても仕方ない。恋愛っていうのはお互い思いあうものだ」
「……素敵」
私の前で、私の婚約者レオ・グリープニーと確か……イリヤナ・ラズベリー男爵令嬢が腕を組んでいた。
見せつけるように顔を寄せ合っている。
「不貞行為は契約違反だ。私が人の心が分からないから不貞行為をしてもいいとは契約には書いていなかった。そちらの責任での婚約破棄だな」
私はして当然であろう反論をした。
私の婚約者が他の女とくっついていて、婚約という家と家との、私と婚約者との契約が破られたと思うと不愉快だ。
その契約を一方的に破っておいて、更に私の落ち度だと責めるのは本当に失礼な事だと思う。
「そういうとこだよ。そういうとこ! お前みたいな人の心が分からない馬鹿野郎は誰も好きにならないし、契約でなんか人の心は縛れないって覚えておけ! お前みたいなやつは一生一人だ!」
顔を真っ赤にした婚約者レオ・グリープニーが、怒鳴ってくる。
静かな学園の中庭に、人が集まってきた。
より多くの人に、家の恥のような騒動を見せるわけにもいかないだろう。
私は、グッと拳を握りしめて更に反論したい気持ちを収めた。
不貞の証拠もだいぶ溜まっている。
ここで言い合ってもしょうがない。
すぐに次の婿を探さないと……しかしこれで私は傷物令嬢だ。
婚約者の一人さえ人心掌握できなくて、私は本当にヘルシュタイン家の次期当主としてやっていけるのだろうか。
こんな、私と結婚してくれるものはいるのだろうか。
「あのっ、僕は好きですっ。ヘルシュタイン侯爵令嬢の事が、好きですっ」
諦めてその場を立ち去ろうとしたところで震える声をかけられた。
ヘルシュタイン侯爵令嬢とは私の事だ。
私の名は、ソフィア・フォン・ヘルシュタイン。
振り返ると、ずり落ちる眼鏡を抑えながらアラン・フラガリア・アナナッサ子爵令息が居た。
羞恥の為か、耳まで真っ赤になって真剣な顔をこちらに向けている。
「そんな事はないと思いますが、人の心が分からないって言われてる所もヘルシュタイン侯爵令嬢の凄さが際立つスパイスみたいで好きです。僕が婚約者だったら、絶対に一生、ヘルシュタイン侯爵令嬢を大切にするのにグリープニー子爵令息は不誠実だと思います」
アラン・フラガリア・アナナッサ子爵令息の真剣な告白に、ずるい私は、
「じゃあ、次の婚約者にはアナナッサ子爵令息がなってくれないか?」
と気軽に聞いていた。
確かアナナッサ子爵令息は次男でまだ婚約者がいないはずだ。
私は婚約者に不貞行為をされて捨てられた人間で、次の適切な婚約者がすぐに見つかるかどうか怪しい。
アナナッサ子爵令息はこの状況でなら断りづらいはずだ。
「へ? ぼ、僕が?! ヘルシュタイン侯爵令嬢の婚約者? ……そ、そんにゃ夢みたいな……いたっ、いやこれは痛い夢なん……っ」
「危ないっ!」
アナナッサ子爵令息は私の言葉に、腕をブンブン振り回した後、自分の両頬を指で挟んで思い切り左右に引っ張った。
……その後急に目をつぶって勢いよく後ろに倒れこむ。
私は、慌てて駆け寄ってアナナッサ子爵令息を抱きとめた。
アナナッサ子爵令息の全身に力が入ってない。
ーーー気を失っている?
私はひたすらザワザワぺちゃくちゃ騒いでいるギャラリーを放って、アナナッサ子爵令息を医務室に連れていく事にした。
正直、アナナッサ子爵令息はまあまあ重かったので、自身に身体強化の魔法を使った。
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医務室は遠くから若い喧騒が聞こえるものの、概ね静かだった。
保険医の先生はどこかに行っているらしい。
ドアには不在の札がかかっていた。
そういえば、今日は担任のシルフィード先生が放課後は職員会議だと言っていたな。
それだろう。
医務室には誰も居なかったので、遠慮なく3つあるベッドの内の一つにアナナッサ子爵令息を下ろした。
アナナッサ子爵令息の太い黒縁の眼鏡が歪まないように外して、ベッドサイドテーブルに置く。
「細いな」
眼鏡を外すと、アナナッサ子爵令息の細面の色白な顔が露になる。
艶々した黒髪がサイドにサラ……と静かに流れた。
状況からして、私の言動でパニックになって卒倒してしまったのだろう。
だから、きっと少し休ませれば目を覚ますに違いない。
私はそう結論付けて、目を覚ますまでついていようと近くの椅子をベッドに寄せて座った。
「そんな嫌だったろうか?」
私は小さな小さな声で呟いた。
私を好きだと言っていた。
では、いいのではないか。
何も、私とアナナッサ子爵令息は先ほどの婚約破棄騒動で初めて話したわけではないのだ。
以前から、そんなに頻度は高いわけではないが、話はしていたのだと思う……ーーー
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「その話が好きなのかな?」
私は、図書室のフリースペースで『アイステリア王国物語』を読む男子、アナナッサ子爵令息に声をかけた。
アイステリア王国は不思議な国だ。
一回、本当に国が滅びかけて、異世界からきた勇者とただ一人残ったアイステリア王国の姫が再興させたと書いてある。
氷に閉ざされたアイステリア王国の中から勇者が姫を見つけ出して、その氷の心を溶かし、姫を救ったのだ。
遠い昔に起こった事とされるが、脚色もされているのだろう。
『アイステリア王国物語』は歴史書というよりは、カテゴリ的に児童文学になっていた。
「あ……、すみません」
アナナッサ子爵令息の宵闇の瞳がこちらを見た。
貴族らしくなくその頬が赤らめられる。
「何故、謝る? 私こそ突然話しかけてすまない」
「男でこんな年なのに、こういうロマンチックなお話が好きなんておかしいですよね」
すみません、と再度アナナッサ子爵令息は謝って席を立とうとするのを、持っている本を軽く押さえて引き留めた。
異性を相手にみだりに肩や手に触れるわけにはいかない。
「そんな事はない。私も『アイステリア王国物語』が気に入っているから声をかけた。不思議な情緒に溢れていて、好きだ。私も」
私にはなかなか理解できない情緒で溢れているお話だ。
違う世界からただ一人で乗り込んできて、姫を救おうとする勇者。
心まで氷に閉ざされて、でも、温かい人の心をどこかで求めていた姫。
生まれながらにヘルシュタイン侯爵家を継ぐことが決められていて、婚約者も自分の心とは別に決められていた。
婚約者とも必要最低限の交流はしているが、その交流に情緒を感じたことはない。
相手がすでに婚約期間の内から隠れて複数の女と付き合っている、という調査報告も上がってきている。
お互い、義務のようだ。
それに不満に思ったことはない。
だけれども、思ったことはある。
心と心で求めあうとは、お互いを好きになるとはどういう事なのか。
「……好き……そうですね、『アイステリア王国物語』の事ですね……好きです」
頬を染めたアナナッサ子爵令息が、こくんと頷いた。
お互い気が合いそうだ。
それから、私は時々図書室のフリースペースでアナナッサ子爵令息と本について語り合うことがあった。
アナナッサ子爵令息とは児童文学や異世界ファンタジー小説等のジャンルで趣味が被っており、話をしていると楽しかった。
よく、『まじめで面白みがない』と言われる私でも、図書室で好きな事について友と語り合うという青春の一ページを過ごすことができた。
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回想を終え、アナナッサ子爵令息を見ると、うっすらと目を開けていた。
抱き起こして汲んでおいた水を飲ませると、
「すみません……ここまでありがとうございました」
とアナナッサ子爵令息は呟いた。
「すみません。僕みたいな情けなくて陰気で格下の者にありがたいお話をありがとうございます。……でも、決して、ヘルシュタイン侯爵令嬢の弱みに付け込んで、次の空いている婚約者の席に滑り込もうとしたわけではありません」
「え、いや、私はそんな風には思っていない。……すまない、性急すぎただろうか」
「……ありがたいお話、嬉しいです。改めて家に持ち帰って……お受けすると思います」
まさか、断られる? と思っていたら、受けるとの返事に胸を撫でおろした。
さっそく帰ったらお父様と、グリープニー子爵令息の婚約破棄の件と、アナナッサ子爵令息への婚約申し込みを送るように打合せよう。
暗い表情をしているアナナッサ子爵令息が気になったが、その後の手助けを断られてしまった。
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家に帰って、お父様に今日の婚約破棄騒動を報告し、即時、次の婚約者も決めたのでアナナッサ子爵令息への婚約申し込みをすると伝える。
「ソフィアはやり手だなぁ……、分かった」
とお父様は微妙な顔をしていた。
家的にはこの婚約者の入れ替えは問題ないはずだ。
「今度はうまくいくはずです。アナナッサ子爵令息は私の事を好きと言っていましたし、私も前々からアナナッサ子爵令息と親しく話したこともありましたから」
私は胸を張った。
お父様の執務室を出て、自室に戻るとソファに座ってくつろいだ。
侍女のアンがすぐに飲み物を差し出してくれるのをありがたく受け取る。
アンは私が結構疲れているのを心配したようだ。
難しい顔でじっとこちらを見ている。
心配させてはいけないと、不可解な点も多かった今日の事をアンに軽く説明すると、
「不甲斐ない男たちめ。お嬢様が気に病むことはございません。お嬢様は将来、侯爵家を背負って立つ尊いお方です。お嬢様が恋愛について分かる必要はないのではないでしょうか。そもそも貴族というものは民の為に政略結婚で血を繋いでいくものですし。今日のようなやりとりはひたすら下位貴族の不甲斐なさから生じる事故みたいなものです。そのような事を一つ一つ真剣に考えていては侯爵家が治める民はどうなってしまうのでしょうか」
……侍女のアンのいう事もよくわかる。
というか、アンの言っていることが今までの私の考えだった。
けれど、私は今、今回の事についてとても知りたいと思っている。
特に、アナナッサ子爵令息の心について知りたかった。
グリープニー子爵令息についてはやっぱりどうでもいい。
『あのっ、僕は好きですっ。ヘルシュタイン侯爵令嬢の事が、好きですっ』
耳の奥に真剣なアナナッサ子爵令息の言葉が残っている。
私のどこを好きになってくれたのだろうか。
アナナッサ子爵令息が好きになってくれた所を大事にすればずっと好きでいてくれるだろうか。
婚約者となったなら、今度こそアナナッサ子爵令息とは末永くうまくやっていきたい。
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休みを挟んで、貴族学園に登校すると、他の学生たちにはやや遠巻きに見られていた。
……アナナッサ子爵令息は、今日は登校していないようだった。
ちょっとアナナッサ子爵令息に会いたかった。
……まあ、先日の騒動では仕方ない。
ちょっと経てば皆、すぐに忘れるだろう。
そう思って気楽に授業を受けていたが、放課後に家へ帰ろうとすると、空き教室の前を通ったところで強く腕を引かれて引き込まれた。
全然、警戒していなかったのでそのまま教室に入ってしまうと、目の前には、
「なんだ、グリープニー子爵令息か……」
顔がぼこぼこに変形し、赤や紫に変色したグリープニー子爵令息が居た。
私は服の隠しに入れている短剣を、いつでも抜けるようにさりげなく手を添えた。
どうせ、空き教室に引き込まれるならアナナッサ子爵令息に引き込まれたかった。
……まあ、アナナッサ子爵令息はそんな事しそうにもないけれど。
私が、自分のそんな想像に笑っていると、
「何がおかしい。お前のせいで父上に怒られて俺は散々なんだぞ!」
と怒鳴られた。
自業自得ではないだろうか。
誰が侯爵家と縁を切ってきて、男爵家の長女でもない貴族の女性と結婚するのを喜ぶ貴族が居るのだろうか。
しかも、浮気相手のラズベリー男爵家は財政が火の車とか。
顔がぼこぼこの状態で、怒りに顔を歪めるグリープニー子爵令息……。
醜い。
あまり男の美醜にこだわりない私でも、今のグリープニー子爵令息は醜く映った。
黒髪黒目の細面のアナナッサ子爵令息が見たい。
「自業自得ではないだろうか。実にいい気味だ」
あっ、本音がでてしまった。
こんな性格の悪い私は、アナナッサ子爵令息に気に入ってもらえるだろうか。
「……このっ!!」
「先生!! こっちです!! グリープニー子爵令息が、こっちにヘルシュタイン侯爵令嬢をっ!!」
グリープニー子爵令息が私に掴みかかってこようとした瞬間、アナナッサ子爵令息が先生を伴って教室に入ってきた。
勢い余りすぎているグリープニー子爵令息は、私の服の襟元を乱暴につかんでいる状態で、ほんのちょっぴり私の襟がはだけている。
なるほど?
「きゃー!! こ、この元婚約者がいきなり私をっ!! 服をっ! 先生っ! 怖いっ!」
私は期待通りに大声で叫んだ。
嘘は言っていない。嘘は。
「何をしようとしているんだっ! グリープニー子爵令息っ!」
「いやっ、俺はこいつに煽られたからっ」
「言い訳をするなっ!」
グリープニー子爵令息は、先生に引きずられて去っていった。
グリープニー子爵に更にボコボコにされて、死なないと良いが。
「アラン、私、怖かった」
アナナッサ子爵令息をどさくさに紛れてファーストネームで呼んで、その袖をつかんだ。
もう、婚約者みたいなものだ。名前呼びも許されるだろう。
女子のようにかわいく、グリープニー子爵令息の浮気相手のイリヤナ・ラズベリー男爵令嬢のようにあざとく。
こんなものかと、小首を傾げてアランを見詰める。
私の容姿もピンクブロンドの髪に菫色の瞳と、色彩は可愛いはずだ。
抜きかけていた短剣は、もう一回丁寧に懐へ戻した。
短剣が可愛くないことぐらい、殿方に不評であることぐらいは私にもわかる。
「ごめんなさいっ……、もうちょっと早めに駆けつければよかったですね」
顔を赤くしたアランが頭を下げる。
「いや、自分一人でむやみに突入してこないところが良いと思う。好ましい。タイミングもいい。センスがある。助けてくれてありがとう」
怒り狂ってるやつに、一人だけで助けに入るなんてナンセンスだ。
良い人だと思う。
真面目で本の趣味も合って、黒髪黒目の容姿は色彩が落ち着いていて心が和む。
「いや、僕なんか、いつもうまい事できなくて……だから、僕はヘルシュタイン侯爵令嬢にふさわしくないのではないかと……」
アランがいつものように自分を否定する言葉を並べようとする。
私はそれを遮るように、アランの右手をギュッと握った。
今日はどこにいたのだろう。
もしかして、ずっとグリープニー子爵について学園で警戒しててくれたのだろうか。
だから、姿が見えなかった……?
どうして、自分の事をそんな風に言うのだろう。
「そんな事ない。……アランの事、好きになりたい」
私の頬にはいつだか冷たいものが伝っていた。
「アランの事、同じ真剣さで愛したい」
私はアランの顔を掴んで、その頬に軽く唇を触れさせる。
乾いた皮膚と皮膚が重なる。
私的には何でもない事のはずだが、自分のふがいなさも相まってなのか胸が締め付けられるように痛む。
「こんな私だけれど、アランが大事なんだと思う。不完全で心の分からない私の全てをあげるから、私と一緒に居てほしい」
アランが、私が恋愛という意味で想っていなくてもずっと一緒に居てくれる方法がまるで思いつかなかった。
差し出せるもの全てを差し出したらずっと一緒に居てくれるだろうか?
「ヘ、へルシュタイン侯爵令嬢、じゅ、十分、気持ちが伝わって……情熱的だと思います」
私に頬にキスされた、それだけの事で顔を染めるアランが可愛いと思う。
「ほう、情熱的。ありがたい。きっとアランのおかげだと思う。アランも、情熱的に私の事を名前で呼んで、もっと婚約者みたいに砕けた調子で話さないか?」
「……ソ、ソフィア。そこら辺は徐々にやっていきます」
「まあ、いっぺんにはできないな。口づけも徐々にかな? 結婚式まで取っておこうか」
「……そこは、まあ」
「ふふっ……」
アランとまるで恋人同士のようにじゃれあい、顔を寄せ合う。
心がちょっとふわふわして、視界が少しピンクがかったように見える。
これが恋かな、だとしたらすごく素敵なものだと思った。
読んで下さってありがとうございました。
もし良かったら評価やいいねやブクマをよろしくお願いします。
また、私の他の小説も読んでいただけたら嬉しいです。