第三章 第九十四話:堅城の中
「何だよ聞いてねえぞ?」
仁の不平ももっとも。それでも柔和な笑みを浮かべているのだから、坂城は心が落ち着くのを感じた。
「すまない…… だが、私もカエデに呼ばれて始めてわかったのだ」
「アポなしかよ、あの金髪」
坂城は噂には聞いていた。彼はいつも事前に相手の都合を確かめるようなことはしない。そして会って納得した。どう見てもそういう気遣いをしそうなタイプには見えない。
「すまない」
「お前のせいじゃないだろう。気にしなさんな」
優しい言葉を聞きたくて、少し困ったような笑顔を見たくて坂城は言った。そして仁は彼女の思うとおりにした。しかし次の瞬間にはテーブルの上に置かれたままのアタッシュケースを開き、札束を眺めだす。そして浮かれた顔で絶景、絶景と繰り返した。
「アレが雷帝か」
特に感慨もなく、仁は微笑をたたえたまま。そこで坂城は気付いた。仁がいつも通り笑っているのは自分が緊張していたのを見て取って、それを解そうとしているのだ。わかってまた胸が熱くなるのを感じた。十六歳で学園の最高責任者を任された坂城は、他人に弱みを見せまいと、やはり子供かと侮られないように、幾重にも城壁を重ねた。時に気丈、時に合理、時に非情。なのに、この男はいとも簡単にその城壁を突破して、心の奥底、弱い部分をくすぐり、暖める。坂城は本来他人に涙を見せたのは、両親を除いて他にいなかった。木室の前でも小さい頃は別だが、泣いたことはなかった。これからもそうしていくつもりだった。なのに……
「結局アイツは何をしに来たんだろう?」
時折可愛らしく小首を傾げるものだから、坂城は目が離せなくなるのだ。
「強攻策に出るでもなし、俺に侮辱されても怒るでもなし」
「彼は滅多なことでは自らは動かないんだ」
王のなんたるかを熟知している。常に冷静沈着を以ってことに当たり、傲慢だけで渡れないと理解している。
「収穫があったと言っただろう? 彼は恐らく君を品定めしに来たんだ」
「俺なんか視察してどうするんだ。何か製造してるわけでもあるまいし」
どうも仁は自分の立場をよく理解していない節がある。世界史上二人目の黒魔術師。フロイラインの幹部を一人討ち、一人手駒にしてしまった。今世界中、魔術に関わるもので彼を知らない人間はいないというに。
「まあいいや…… それにしてもよく分かるな」
「……」
ラインハルトは肩書きだけは超有名人だが、その実態はほとんど知られていない。本当の権力とは、一般の人間では与り知れないところにあるのが世の常。しかし世情に疎い仁なら、噂をよく聞くなどと濁すことも坂城には出来た。
「実は…… 密偵を放っている」
彼に嘘をつくのは今の彼女には耐えられない苦痛となって返ってくる。坂城は包み隠さず全てを話すことに決めた。
行方の話しどおり、坂城もまたフロイラインとAMCとの繋がりを疑っていた。そこで危険を承知の上で国連側にスパイを送り込んでいた。お陰でその繋がりについて決定的な証拠を掴んだものの、所詮は巨大な組織の前では子供の遊びに等しく、それはすぐに露見してしまった。露見してなお泳がされているのが実情だそうだ。仁はいくつもの今まで不可解であった点と点が繋がるのを感じていた。いくらなんでもフロイラインに目を付けられているというに、正義を司る機関が、本音はどうあれ対外的な面子を考えれば、全く感知しないというのはどうにも腑に落ちなかったのだが、そういうことなら合点がいく。同時に何故彼らがこの地を執拗に狙うのかも。以前坂城が殺された部下や、部下からの報告と言ったが、その部下というのも内心フロイラインの拠点も分からないのにどこに送り込んでいるのか訝ったものだが、そういうことだったのだ。
「本当に申し訳ない」
坂城はそう締めくくった。今度は本心から。叱られるのも覚悟していた。
「何で謝る?」
仁はきょとんとしている。
「何故って…… 私はフロイラインと国連との繋がりを話さずに君に依頼したんだ」
敵の実情も、敵の数も質も、全て当初の契約よりひどい。しかし仁は全く気にした風でもなくいつものように優しく笑った。
「何だ、そんなことか」
「そんなことって……」
「あの金髪がトップだろう? じゃあ知れてる」
「知れてる?」
坂城は自分の聞き間違いだと思った。仁は滅多なことでは自信過剰な発言はしない。
「ああ。まあ直接やり合ってはいないけど、アレ位なら多分倒せる」
坂城は言葉を見失い、ただ対面で無邪気に笑う仁の顔を見つめていた。