第三章 第九十三話:嵐
ひどく高圧的な印象を受けた。仁が授業中に突然校内放送で呼び出された三階の学園長室。ソファーに腰掛けた男は鋭い眼光で部屋に入ってきた仁を品定めするような目で見る。金色の髪を後ろに流して、オールバックとでも形容するのか、口元をいやらしく歪めている。仁の第一印象は日本人を小バカにするアングロサクソン。整った顔立ちからは年齢を推し量るのは難しかった。額や頬に刻まれた皺から、四十代かとあたりをつける。
「……彼が件の?」
流暢な日本語が男の口から出た。外見とは裏腹に親日家なのか、と仁はほんの少し警戒を解きかけた。男の向かいに座っている坂城がコクンと首肯して、隣に座れと、仁に目で合図する。わけも分からないまま仁はその通りにする。
「黒魔術師…… コレは使えるのか?」
コレ呼ばわりされた仁が僅かに顔を顰める。それをまた坂城が目で制した。
「はい。それで……」
「わかっている」
仁を置いてけぼりにして、二人は言葉を交わす。男がソファーの下からアタッシュケースを持ち上げ、テーブルの上にドンと置く。銀の立派な作りのそれを男が乱暴な手つきで開けると、中には札束が入っていた。ケース一杯に詰め込まれている。
「数えろ」
ぶっきらぼうな声。仁は何が何だかわからない。
「いえ。そのような……」
「そうか」
男は坂城の言葉を受け、ケースの蓋を閉めてそのままにした。
男の名は<ロッペン・ラインハルト>。世界最高の魔術師とも目される男。AMCの最高責任者。彼を形容する言葉はいくらでもあるが、最も馴染み深いのは、彼の二つ名<雷帝>。仁は坂城の口から簡潔にその紹介を聞き、ようやく事態が飲み込めてきた。ラインハルトはその説明を聞き流すようにして、淹れられた紅茶を優雅に飲んでいた。白磁に金の葉をあしらったカップ。いつか仁が勝手に使おうとして坂城に怒られた一つウン百万もするというものだ。中の紅茶も恐らく最高級のものだろう。
「じゃあさっきの金は……」
仁が声を出すと、ラインハルトはあからさまに不快な顔をした。どうやら彼の許しを得ずには声を発することもまかりならないらしい。ああ、と坂城が取り持つ。
「懸賞金だ」
近藤の首に懸かった懸賞金。だが仁は訝った。そんな子供のおつかいのような用事でわざわざこんな大物が出張るだろうか、と。
「……」
「……」
男が手を動かし、カップを掴むたび仁は油断なくそれを追っていた。坂城は完全に萎縮しているようで先生にお叱りを受ける生徒のように俯き加減にしている。
「青の幹部を捕らえたらしいな」
ラインハルトは静かに言った。しかしその言外に有無を言わさぬ何かを感じ取れる。
「……はい」
「皆まで言わす気か? 渡せ」
本題はこれだった。坂城の顔の血色が瞬時に悪くなる。完全に威圧されている。それを見て取った仁は代わりに口を開きかけた。
「誰が喋っていいと許可した?」
真っ直ぐに仁を見るラインハルトの目には怒りと敵意以外のなにものも混じっていなかった。
「俺だよ。バカかお前は。言論の自由って知らないのか?」
ラインハルトの目が驚きに見開かれた。恐らくこの男はこれまで生きてきてこれほど無礼な口を利かれたことがないのだろう。
「渡すわけねえだろ。どうしてもってんなら俺を殺して持ってけよ」
にやりと笑った仁。しかしその水面下では確実に相手を仕留める公算をしていた。雷帝というくらいだから雷を操る黄の魔術師なのだろう。なんにせよ精霊が近くにいない魔術師は無力だ。仁も村雲は置いてきたが、取っ組み合っても負ける気はしない。精霊を呼ぶ暇など与えずに、首をへし折る。
臨戦態勢を取っていた仁は、意表を突かれた。ラインハルトが大声を上げて笑いだしたのだ。ハハハと響き渡る笑い声に、坂城は今にも卒倒しそうなほどに青褪めている。やがて笑いをおさめたラインハルトは瞳孔の開いたような目をして、口元だけ不自然に笑っていた。
「よくぞ言ったな……」
来るか、と身構える仁。しかしいつまで経ってもラインハルトはソファーに腰を深く沈めたままだった。やがてゆっくりとカップを持ち上げると何事もなかったかのようにそれに口をつけた。拍子抜けした仁はその動向を傍観者のように見ている。
「まあいい。今日のところは引き上げよう」
収穫はあった、と小声で呟き、ラインハルトはそのまま立ち上がった。仁は再び身構えかけたが、どうにも戦意は感じられず、そのまま見上げる。
「もう一つのお約束もお忘れなきよう」
坂城が今にも消え入りそうな声で呟いた。それを完全に無視して、ラインハルトは額にかかった金髪を掻きあげながら部屋を辞した。