第三章 第九十二話:狂えない嫉妬
別に妹なんだから、遠慮することはないんじゃないだろうか、と思いながらもどこか本能的に気を遣ってしまう。何を後ろ暗くなっているのか。いつもはあまりしない洗い物の手伝いなどした仁は、夕食後コタツに入りながら何となく奈々華と目を合わせずにいた。
「何かやましいことでもあるの?」
こういうときの奈々華は仁の心臓を止めんばかりに鋭い。なるだけ何でもないような声を出そうとして失敗した仁。うわずった声で別にと答える。奈々華の眉間にいくつも皺が寄る。
「昨日はコソコソ私がトイレに行ってる間に外に出るし」
「な、何でもないよ」
そうだ。別に妹にしか相談をしてはいけないなんて法律はない。
「近藤さんの息子さんのこと?」
不意に顔を歪めた奈々華は、本当に仁を気遣ってくれている。仁はちくりと胸に罪悪感を覚えた。
「ああ。実はさ…… 坂城にも相談したんだけど」
思い切って打ち明けることにした。言葉に出して、仁はやっと罪悪感の正体に気付いた。奈々華はいつも自分を支えることを一番に考えてくれている。そんな奈々華は、自分より先に坂城に心の内を話したことをどう思うだろうか。自分が信用されていないと思いやしないだろうか。特に隔絶を経た後なのだからまだ完全に自分が信用されていないかもしれないという思いはどこかにあるんじゃないだろか。これからは坂城に話せばいいと、変な話ヤキモチを焼くんじゃないだろうか。
「ごめん……」
相談の内容を話そうと思っていた仁の口は勝手に動いてそう言っていた。怒られる、と思った仁はいつまで経っても奈々華が沈黙しているのを不思議に思った。
「どうして謝るの? いいことじゃない」
にこりと笑ってそう言う。心底可笑しいとでも言わんばかりに。
「アレ? 怒らないのか?」
「どうして怒るの? 色んな人に相談できるようになったんなら、お兄ちゃんの人間嫌いも快方に向かってるってことじゃない」
「病気みたいに言うな。てか俺は別に人間嫌いじゃない」
思わず反応してしまったが、もっと言うべき言葉は別にあったんじゃないかと仁は思う。
大丈夫か、と声をかけたシャルロットは奈々華に背を向けたままだった。夕食後の一服は欠かせないと言って仁はまた部屋を空けていた。
「大丈夫だよ」
その背を撫でる奈々華からは明るい声が返ってきた。
「私は我慢強いからね」
やはり明るい声。でもどこか悲壮を感じ取って、シャルロットは首を回して奈々華の顔を見るのが怖かった。彼女は三年もの間、思い人と会話もままならない状態にあった。それから比べれば確かに今のほうが格段に良いのだろう。だが人間とは贅沢な生き物だということもシャルロットは知っている。どこまでも欲望に忠実な生き物なのだと。そして彼女の欲望が何であるかも。
「妬いたりはしないのかい?」
「するよ」
簡潔な言葉。しかしそれは恐らく本音であって、彼女もまた自分の精霊の前ではどこか心のガードを下げる。
「けどそれをお兄ちゃんにぶつけるのはマズイ」
また喧嘩になってしまう、と。
「それにね…… 学園長さんは多分、お兄ちゃんにしつこく聞いたんじゃないかな」
シャルロットは言葉を挟みかけて、やめた。アイシアがもう眠たいのか仁のベッドに入っていくのが見えた。布団の中を小さな塊がもぞもぞと動く。
「やっぱりわかってないんだよ。男の子は格好つけたがる生き物なんだから」
シャルロットはたまらず首を後ろに向けた。彼女がどんな顔をしてそんな達観した言葉を紡いでいるのかどうしても確かめずにはいられなかった。薄く笑っている。何を考えているのかは読み取れなかった。
「時には待ってあげなくちゃ」
なるほど、坂城は確かに仁の気分を害した。だが最終的にはその愚直が彼の消化の一助となった。どちらがより仁のためになるのか。鍵を回す音がして、奈々華はシャルロットを優しく膝から下ろすと、いつもと変わらない笑顔で玄関へと立ち上がった。