第一章 第九話:軽口
放課を待たずに、仁は教室を抜け出していた。
奈々華には多くの質問が飛び交う中、仁に寄ってくる者は一人もいなかった。
「転校生とか、もっとちやほやされるもんじゃねえのか?」
トイレの個室に引きこもり、タバコをふかす。彼自身それを望んでいるわけでもなかったが、こうもあからさまだと少し気が悪いのも事実。ゆらゆらと立ち上る白い煙を見つめながら、ぼんやりとこれからのこと、これまでのことを思った。
自分が倒すべき相手、煉獄の二つ名を冠する凶悪犯罪者。J・J・ヒューイット。優れた魔術師には二つ名が付くのが慣例だそうだ。しかし、所在も掴めない相手をどうやって倒せというのか。本当に昨日今日こちらに来て、右も左もわからない自分がソイツを倒せるのか。奈々華はどうして、何もなかったように自分に接してくるのだろうか。
精霊と言う未知の生き物、奈々華よりも年の離れた同級生との学園生活。
妹である奈々華とも上手くいっていないのに、どうやって折り合いをつけていけと言うのか。
しかも、自分の珍しい属性のこともあってか、出だしは最悪。
どうして奈々華と同じ部屋で過ごさなきゃいけないのか。どうしてあの子はそれで良いと言ったのか。
タバコの煙が予期せぬタイミングで気管に入って、大きくむせる。
ひとしきり咳をすると、痰をからませた唾液を便所の壁に吐きかけた。
「主は、妹が嫌いなのか?」
仁は喋る刀を手に、学園の中庭を突き進んでいた。授業に出る気にもならず、この学園の外がどうなっているのかを見に行くつもりなのだ。木々が風に揺れて葉を擦り合わせる音がそこかしこから聞こえてくる。
「……別に。アイツは俺のこと嫌いかもしれないけどね」
「では、苦手なのか?」
「そうだね。苦手ってのが一番しっくりくるかもね」
さっきから仁の返答はまるで、他人事。芝生を踏んでは進むスニーカーの先を見つめながら気のない声。
「何かあったのか?」
村雲は鬼の姿と、刀の姿両方を自在にかたちどる。刀の状態でも会話は出来るらしい。
「まあ、ちょっとね……」
校門が見えてきた。以前仁が見たままの姿。仁の背丈ほどもある大きな黒い門扉。冷たい鉄の門番はその体を固く閉じている。
仁は助走をつけると、羽根でもついているように軽やかに、ポーンと門の天辺あたりに飛びついた。そのまま両腕の腕力だけで、門を登りきる。
「……三年前、俺は人を殺した」
門の向こう側に飛び降り、片膝をついて着地した。体と同じく軽いトーンだった。
「ほう」
「事故だったんだけどね。剣道の交流試合でね…… 俺の突きに、逃げずに踏み込んできた。用心たれを貫いて、相手の喉も潰した」
「それで?」
「俺の周りからは誰もいなくなった…… 奈々華も含めてね」
それだけだよ、と呟いて仁は膝についた土を手で払う。
立ち上がった仁は、もう今までの会話など忘れたように、丘の下へと続くアスファルトの車道に向かって真っ直ぐに歩き出していた。