第三章 第八十七話:自信
「私はこの数日、君にどう謝ればいいのか、そればかり考えていた」
坂城は独白を始めた。
「勝手に呼び出しておいて、人を殺させ、君を傷つけ……」
ふと仁は寺でする話でもないな、と思った。死者が眠る場所で、殺人について云々かんぬん。しかし場所を変えようにもこの寺は少し辺鄙すぎた。黙って聞きながら、坂城の顔を通り越して卒塔婆の文字を解読しようとしていた。
「挙句君を信じてやることも出来なかった。私の味方だと言ってくれた君を…… 最低だ」
泣き出してしまうんじゃないかと、仁はミミズの這った戒名から目の焦点を坂城の顔に戻した。どうやらあと一歩で泣き出してしまうというところ。仁は既に坂城が存外泣き虫だということは十分に知っていた。だから出来るだけ優しく微笑んだ。
「話しを聞いていなかったんだから無理はないさ。あんなに血相を変えるほど本気に見えたんなら、俺は役者になれるかもしれないなあ」
軽口で締めくくって、仁は坂城の顔を真正面から見つめた。
「……お前がもし自分を許せないと思っているんなら、それでもいい」
「……」
「でも、俺はお前を許すよ。怒ってなんかいない。寧ろ申し訳なく思ってるんだ」
反駁しようと口を開きかけた坂城より早く仁は言葉を繋ぎ続けた。
「こんなにお姉ちゃん思いのいいヤツを困らせたんだからさ」
坂城は遂に唇を震わせながら顔を俯かせた。小康に入った空から小雨が降る中、ポタポタと新たな水滴が土の上に落ちる。
「お前はミルフィリアが本当に大切なんだな」
仁がそれを言い切るが早いか、坂城が仁の胸に飛び込んできた。仁が小さく呻く。しかしやがて、ぐすぐすと鼻を鳴らす少女を緩やかに抱きとめる。後ろ髪を一定の間隔で撫で続けると、坂城はその度仁の背を掴む手を強めた。
「ごめんな」
坂城は鼻をこすりつけるようにして首を振った。
「……結局泣かしちゃったな」
坂城のコサージュがポトリと落ちた。
「ダメです」
反論は許さないと言った強い口調。親の仇でも見つけたように睨みをきかせている。フロイラインと内通していてくれた方が話しが簡単でよかったかもしれない。しかし何れにせよ奈々華の敵であることはこれではっきりしたわけだった。その敵は諦めたように笑っている。
「やっぱり…… 貴方達兄妹は只ならぬ関係なのですか」
「……どういうことですか?」
ミルフィリアも奈々華も驚いた顔をしている。寺の境内で二人の少女がキツネにつままれたような顔をしている。寺なのに稲荷でも祀っているのか。
「おや、てっきり二人は恋仲なのかと……」
「……」
純粋に齟齬が発生しただけなのだが、奈々華には嫌味にも取れなくはない。そしてそうした。これ以上不機嫌になれるものなのかと感心しそうなほど嫌な顔。動物の死体でも見るような目でミルフィリアを見ている。
「貴女の片思いということですか?」
「……悪いですか?」
小降りになった空を見て、奈々華は傘を閉じた。ばさばさと二度、三度それを振って水滴を払う。ミルフィリアは慌てて傘を奈々華に向けて水滴から身を守った。
「失礼ですけど、貴女方のどちらでも、お兄ちゃんを幸せには出来ませんよ?」
今度は挑発的に口の端を歪めている。
「どうしてそう言えるんですか?」
「貴方達は彼の良い所しか見ていません。かっこいい所、強い所。仕方ないんですけどね」
嘲りの色は濃くなる。自分の優位を信じて疑わない顔。
「お兄ちゃんは本当に信用した人にしか弱みを見せませんから」
ミルフィリアが何か言い返そうとした。それを虫の羽音程度に感じている奈々華は、そのまま笑みを消して続けた。カマをかけただけなのかも知れない。だが本音も含まれていたのなら…… 仁に近づく女性はすべからく排除せねばならない。
「お兄ちゃんは私と居るのが幸せなんです」
揺るぎない自信がミルフィリアの口を閉じさせた。