第三章 第八十六話:それぞれの思惑
ミルフィリアが奈々華と話がしたいと言うので、仁は逃げるように墓場から先程の石段へと戻った。霊園の周りはブロック塀で囲まれており、その内側に飾りのように立ち並ぶ卒塔婆を視界の端に捉えていると、石段を上ってくる人物があった。坂城遊庵。やはり黒っぽい服装をしており、黒いコサージュを胸の辺りにつけていた。二人が会うのは、ミルフィリアと対峙した夜以来だ。一週間近く話をしていないことになる。坂城の方が逃げるようにして仁を避けていた。
「……墓参りか?」
仁にも心当たりはなくはなかった。俺が信じられないのか? 今思えばかなり突き放した言葉。石段を上りきり、少し息の上がった坂城はその場で立ち止まり、息を整えて頷いた。
「それじゃあな」
横をすり抜けようとした仁は、坂城に呼びとめられる。
「待ってくれ、仁。話をしないか?」
すぐ横で反転させた仁の顔が思いのほか近くて、坂城はすっと視線を下げた。仁はそれを不思議そうに見つめている。しばらく二人はそうしていた。やがて仁のほうから口を開いた。
「……悪かったよ」
「え?」
「お前が怒ってるのは、俺が冷たいこと言ったからだろ?」
坂城はぽかんと口を開けて仁の目を見た。しかしやがて話がわかったようで首を大きく横に振った。
「君が謝ることじゃない。私のほうこそ…… 君の言うとおりだった」
どうやら話しかけたはいいが、その先までは考えていなかったらしい。一度、二度唇を舐めて口を開くが言葉が出てこない、或いは引っ込めるを繰り返している。仁は辛抱強く続きを待った。
「私は君を信じ切れなかったんだ。本当に姉様を殺してしまうんじゃないかと……」
「仕方ないさ」
遮るように紡がれた仁の言葉は冷たくも温かくもなかった。ただ知っているのだ。諦めているのだ。人に過ぎた力を持つ者の宿命を。それが他人の目にどう映るかを。
霊園を奥へ進んだところに寺がある。殺風景な木造建築。瓦屋根の所々が欠けていたりして、相応の年季を感じさせる。寺としては大きくも小さくもない。少し大きい一軒家と言われれば頷いてしまうかもしれない。本殿への扉は固く閉じられており、周りも雨戸で覆われていて、中に人がいるのかさえわからなかった。二人は境内の横側、柿の木がいくつか植えられている庭にいた。勝手に入っていいのかもやはりわからない。
「こんなところまでつれて来て何ですか?」
奈々華は不機嫌を隠そうともせず、ミルフィリアの背中にぶつけた。その質問には答えず、やがてミルフィリアは歩を止め、くるりと向き直った。その顔に表情はなく、奈々華には彼女が何を考えているのか見当もつかなかった。しかしはたと思い直した。今自分は一人だ。ミルフィリアが本当はフロイラインと通じていて、自分を人質に取って仁に危害を加えようとしていたとしたら、今は絶好のチャンスだ。奈々華は体を強張らせ、じっとミルフィリアの無表情を見返していた。
「そう警戒せずに…… 貴女にお願いがあるんですよ」
そう言うとミルフィリアは愛想笑いをした。その気遣いは無駄に終わり、奈々華は相変わらず彼女から相応の距離を取って、何かあればすぐに大声を出して仁に助けを求めれるように心構えたまま。
「お願い?」
「ええ」
もったいつける。焦らして体から緊張がなくなった頃に襲うつもりかもしれない。
「仁さんを私か、遊庵にくれませんか?」
「……は?」
奈々華は下らない杞憂など吹っ飛んで、頭の中が真っ白になっていくのを感じていた。