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第二章 第八十二話:愛憎と偽善

お互いの顔がよく見えるように、対面のソファーに泣きつかれたミルフィリアを寝かせた。苦悶の表情のまま、涙の跡が残る頬。赤くなった目、鼻の下。あどけなくも、誘惑しているように見えた。

その姿に急に劣情を催した。次いで黒い感情が自分の胸の内を支配していくのを、仁は感じていた。自分がこれほどに虚しさを抱えているのに、あいつはカタルシスでも終わったように安らかに眠っている。何だって俺が、俺だけがこんなやりきれなさを胸に一人夜を明かさねばならないんだ。ミルフィリアの起伏する胸を見た。坂城よりも幾分小さいが、それでもそれは確かに女を感じさせた。そうさ、今なら寝ている。仮に起きたとしても、彼女は俺に借りを感じている。きっと抵抗はしないだろう。抵抗された所で、大声を出された所で、こんな打ち捨てられた廃墟の中で誰が助けに来ると言うんだ。滅茶苦茶にしてやる。両親が安らかな天への旅路を辿る日に、その亡骸の前でお前は痴態を、背徳を晒すんだ。息が詰まるほどの情欲は、仁の呼吸を荒くさせ、視界を熱病のように鮮明にした。ただ女の胸と下半身を見つめて、前戯のように視姦する。指先が眠る少女の無垢な胸に触れた。柔らかい、男には、俺にはない温もり。むせ返りそうに喉が、胸が焼けた。


奈々華の顔が脳裏に浮かんだ。


急速に黒い感情が、下衆な本能が、胸から立ち消えるのを感じた。腕をすっと引くと、仁は村雲をもう一度抜き放ち、部屋を早足で歩いて、壁に左手をつけ狂ったように勢いをつけた右手でその甲を刺した。刀の切っ先が骨を抉り、神経に到達したとき、初めて仁は顔を引き攣らせ、呻き声を上げた。左の手首を押さえ、取り落とした村雲がフローリングの上を滑っていく。

俺は取り返しのつかないことをしようとしていた。彼女の両親の前で、彼女の弱みにつけこんで。虚ろな目のまま寄り添う二人に、どうしようもなく罪悪感が湧いた。

「俺は…… 俺は……」

ふらふらと体が揺れる度、左手から垂れる血が床板を濡らした。

奈々華をも裏切ろうとした。彼女を信じると決めた、彼女のために剣を振るうと決めた自分自身さえ裏切ろうとした。彼女が守ってくれるのは、汚れても、壊れても、直そうとする俺。癒して欲しいと思ったのは、見返りを求めず、傷を負ってでも、それでも優しくあろうと、正しくあろうと決めた自分。村雲を探した。こんな背信しか浮かばない両手なら、いっそ斬り落とさなければ…… 足がもつれたのを感じて、次いで横顔に強烈な衝撃を受けた。こけたんだ、と安心した自分。怖いんだ。人をいくらも殺めた自分は両腕を斬りおとすことさえ。そう思った時、仁は声にならない声を漏らし、床に横顔をつけたままむせび泣いた。



ミルフィリアの体を背負い、上着を取り忘れたのに気付いた。さっき触った胸の感触をなるべく思い起こさないように、上着を探した。居間の入り口近くに無造作に投げられている。それを掴んで、ミルフィリアを置いて、羽織ろうとして…… 二つの寄り添う死体を見た。


そっと着古したオーバーオールを、二人の間にかけた。許されない慈悲だと、あざとく醜い罪滅ぼしだと、心のどこかが呟いた。

「それでも……」

この屋敷は寒い。二人で夜を明かすには、彼と彼女は薄着過ぎた。さらに二人はここから黄泉の国に旅立つんだ。あちらも寒いかもしれない。川べりを吹く冷たい向かい風をせめて少しでも切ってくれたら…… 暖かいなら打ち捨ててくれればいい。そして最後には……

「俺なんかが着た、薄汚れたそれでも……」

六文くらいの価値があればいい。


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