第二章 第七十二話:天才の宿命
「でもでも、こんなに早く見つけられたんだから良いことだよ!」
奈々華は精一杯兄を慰めようとしていた。コタツの上には、ガスコンロとそれに乗った土鍋。二人の今晩の食事はおでんのようだ。こんにゃくを取り皿に放りこみながら、仁はそれに力ない笑みを返した。
「あんなとこで運を使うから、パチンコが全然当たらないんだろうな」
「……それはちょっと違うかと」
意気揚々と本の内容から解法を探っていくうちに、一つ問題にぶち当たった。
「いやあ、きっとそうだよ。俺の日頃の行いを鑑みるとそれ以外当たりを阻害する要素がない」
奈々華はコレは苦し紛れの軽口だとさすがにわかった。シャルロットが呆れたような顔で仁を見上げている。ちなみにアイシアは何故か仁によく懐いていて、今も彼の腹の上に乗って顔だけ布団から出している。
「そっちの事情はよくわからんが、アンタ達は上手くいったようだね?」
うん、ああと煮え切らない声で仁が流そうとする。
「抱っこしてやったのかい?」
「んなわけねえだろ。手を握っただけだよ」
「何の話?」
それだけで勘の良い奈々華が気付かないわけはないだろうに、彼女はにやりと笑って仁の顔を下から覗き込むようにして見つめる。彼女なりに今まで感じていた寂莫感を晴らしているのか、純粋に仁の困った顔が見たいからなのか。はたまた彼にまた降りかかった問題について一時でも忘れて欲しいからか。
「なんでもないよ……」
「お兄ちゃん、私を抱っこしたいの?」
案外どれも違うのかもしれない。
実は簡単な方法だった。黒の魔術に素養がある者が、ただその術の被害者へ、生者なら死に至であろう傷を負わせれば、それで終わり。禁忌はただちに破られ、元の物言わぬ死体となる。
中谷がサウードの軍勢に対してぶつけたのが、大量の死者たちだった。禁忌を繰り、殉職の後眠りにつくはずだった兵士達を人形として蘇らせ、決して斃れることのない最悪の兵団へと仕立てた。休むことを許されなかった彼らは黙々と術者の命令を遂行し、多くの敵を薙ぎ払った。
戦争が佳境を迎えたとき、彼が忠実なる部下達に与えた褒美は、斬り捨てることだった。狂ったように刀を振るい、肉塊へと彼らを戻していく。肉を裂き、骨を絶ち、刀が折れてなお、噛み付いてその首を引き千切った。手で臓物を引きずり出し、心臓を握り潰した。腐敗した肉を撒き散らして、体液を浴び、彼はそれでもやめなかった。生ある者達はそれを見て、皆一様に嘔吐と恐怖を繰り返したとある。彼が後の世<修羅>と呼ばれ、タブーの魔術師として捉えられる所以。彼を肯定的に評価しているのは世界中で日本だけだという。彼はサウードとの戦いの前、こう言い残した。
「もうすぐだ…… 私はやっと罪を終わらせることが出来る」
この言葉の罪とは、サウードを指しているのか、自分自身を指しているのかはわからない。両方かもしれない。誰にもわからない。
誰も彼もが崩れていく世界で、その悲しみを終わらせるには圧倒的な暴力が必要なのだと。彼を生み出したのは抗えぬ時代の潮流と世界の必然。彼は修羅ではない。天の代理人なのだと仁は思った。綺麗事で救えるほど、世界は優しく出来てはいない。彼は本当は誰より優しい人間だったのではないかと仁は思う。罪とはそのまま、彼の不本意なそれでも必要な業の数々。それをこれ以上重ねる日々がようやく終わることを予期して言ったのだ。そう考える。俺と似ている。そうも思った。勿論彼の苦悩にくらぶれば、自分の一人、二人殺したくらいの苦しみは苦痛たりえないのかもしれないけれど……
「……俺もまた罪を重ねなきゃいけないんだろうか」
奈々華の健やかな寝息を耳に入れながら、仁は一人布団を体に巻きつけていた。そうしていないと、人を殺しておいてのうのうと生きている自分の罪が暗がりから足を、手を絡め取るんじゃないかと思った。