第二章 第七十話:竜虎
神妙な顔をして聞いていた坂城は、仁の話が終わってもしばらくは黙ったままだった。たっぷり、唇がとても重いものであるかのように、時間をかけて開いた口から出たのは存外冷静な声だった。
「……それで彼女が出した交換条件とは?」
「フロイラインの情報提供、及び自身の戦闘協力。まあ寝返ってくれるってことだ…… 本当に履行してくれるなら十分に釣り合うだろうな」
釣り合わなければやらないって意味じゃないけど、と仁が付け足す。隣に座る奈々華が不服そうに下唇を突き出している。あまり仁の周りに女性が増えるのは歓迎しにくいところ。奈々華の事情。
「解呪の方法は?」
ぐいと顎を引いて更に真剣な顔を作った坂城が低い声を出す。仁は目を瞑り、ふうと溜息。
「……何も」
「そうか」
それきり仁は黙考する。方法がわからないのでは手の施しようがない。ミルフィリアも申し訳ないと残したが、黒の魔術師自体が希少極まりないのだから仕方がない。一体どうすれば彼女の両親をその悲しい呪いから解き放つことが出来るのか。
「ダメもとで書庫を洗ってみよう」
そう言った坂城はすくと立ち上がり、自分の部屋に消え、しばらくすると戻ってきた。手に金色の鍵が握られている。ホルダーに通されているわけではなく、それ一つだけ。
「書庫って?」
奈々華が小首を傾げる。坂城はふふと含み笑いを返しただけ。
「ついてきてくれ」
学園の一階部分は、正門から向かって正面に食堂、風呂などの学生用の施設が設けられていて、左手にずっと進むと二階に上がれる階段がある。右手はというと、夜勤に当たる守衛用にあてがわれた小部屋があるくらいしか仁は知らなかった。しばらく歩くと案の定、特に目に付くものもないまま突き当たりにぶつかる。しかし突き当たりに青味がかった大きな門がある。青銅だろうか、それともそれに似せた未知の材質だろうか。こんな厳しい扉があるとは仁も奈々華も知らなかった。
「……これが?」
この先に書庫があるのだろうか。坂城は何も言わず、ただ懐にしまっていた先程の鍵を取り出す。門の左手には虎、右手には龍のレリーフが刻まれていた。その両者の手が相ぶつからんとするあたりに鍵穴がある。坂城が右側に鍵を捻ると、ガチャリと音がした。
「さあ、仁。押してみてくれ」
「力仕事は俺なのな」
まあいいけど、と体重を乗せて仁が扉を押し始める。トラックでも押すように全身を使って…… ゴゴゴと床を擦りながら扉は奥に向かって開いた。
扉の向こうはすぐに地下へと続く階段になっていて、下は二段先も見えるかどうかという暗さだった。ふと仁は右手に温かい感触がして、奈々華が暗がりの中薄く笑んでいるのが見えた。パチリと音がして、部屋がいきなり明るくなる。どうやら階段の天井に所々くっついた蛍光灯のスイッチを坂城が押したようだとわかって、仁は裏切られたような気持ちになった。
「こういうのって真っ暗闇の中を進んで、キャー怖いとかなるもんじゃないの?」
「……そういうのを期待していたのか? 意外にムッツリなんだな。死ねばいいのに」
ちらりと仁と奈々華の繋がれた手を見た坂城はそう言うとさくさく一人で先頭を歩き出す。ヒールの踵が石を打つ音に舌打ちが混じっていた。
「ちょっと言い過ぎだろ」
不意に奈々華が仁に抱きつく。坂城を追いかけようと動き出していた腕に絡みつくようにしていた。仁が何とも言えない苦笑を浮かべて自分の肩の辺りにある妹の頭を見る。
「……何やってるの?」
「キャー怖い」
「……」
坂城が階段を踏み鳴らす音が遠ざかって聞こえなくなる。