第二章 第六十八話:求められている者
「たっだいも」
もうすっかり慣れてきた奈々華との共同生活の間、自分の部屋に帰って来た仁はもう一人の部屋の主が見当たらないことに気付いた。コタツ、箪笥、冷蔵庫、ベッド…… 意外に広いんだな、なんてつまらない感想が仁の頭の端に浮かぶ。するとコタツの中から主なき羽根の生えた猫が這い出てくる。
「奈々華は?」
「……」
シャルロットの目には明らかな非難の色がある。やぶ睨むようにして仁の顔を見上げている。
「な、何だよ?」
「アンタ…… 奈々華を置いていったろ?」
仁はその言葉を受けて、先程まで街に行っていたことを責められているのだとすぐに分かった。というのもミルフィリアの電話の後、自分も連れて行ってと言った奈々華に事情を説明して学園に残って欲しいと言ったのだった。
「事情は説明したし、あいつもわかってくれたぞ?」
一応は敵対する人物と会いに行くのに奈々華を連れて行くわけにはいかないと。奈々華も力なく頷いたが、理解はしてくれたはずだ。決して仁が自分との約束を反故にして遊びに行っているなどとは思っていないはずだ。
「それにしても、もうちょっと言い方ってもんがあるだろ?」
シャルロットは納得がいっていないようだ。言い方? と、仁は何かまずかったかと思い返すが心当たりがないようで顎に手を当てたきり、難しい顔をしている。
「もうちょっと優しくしてやれって言ってんだよ。このろくでなし!」
そんな様子に苛立ったシャルロットが怒声を吐く。
「優しくしてんだろ? 今日だってあの子を危険に遭わせない最善策だ」
「女と会うのがか?」
何をそんなに怒られなきゃいけないのか、仁は意味がわからない。良かれと思ってやったことが裏目に出ることなどよくあることではあるが…… どう裏目に出たのかわからない。
「あの子は今、大好きなお兄ちゃんと一緒に居られるのが嬉しくてたまらないんだ。アンタの一挙手一投足に一喜一憂するんだ。わからないのかい?」
「だから! 了承は得たって言ってんだろ?」
仁もよくわからないことで怒られているもんだから、徐々に沸点に近づきつつある。
「誰も彼もアンタみたく単純に生きてないってことさ。口で言うことだけが全てなんて本気で思ってるのかい?」
「……」
奈々華の表情を思い出していた。言われずとも快く送り出したとは言いがたいことはとうに理解してはいる。だけど、じゃあどうしろってんだ? そんな顔をしている。
「わっかんないヤツだね。とにかく! 優しくしておやりって言ってんだよ! このろくでなしの甲斐性なしのごく潰しが!」
「俺のことを悪く言うのはやめろ」
コタツの前に座る猫と口論する男。喜劇のような風景ではあったが、両人ともそんなことに気を取られている場合ではないようで、ただ怒りのこもった目をぶつけ合っている。先にそれを逸らしたのは仁のほうだった。
「……これ以上どうしろってんだよ? 抱っこして頬ずりでもしろってのか?」
ふんと鼻から息を漏らし、ニヒルに笑う。ふざけてんじゃないよ、と罵声が飛んでくると思っていた仁はいつまで経っても何も言わないシャルロットを訝しむ。
「方向としてはそういうことだよ」
終いにはそんなことを言い出すものだから、仁は声を出して笑ってしまった。笑い終わるとそれこそふざけるなと言った表情でシャルロットを睨む。
「アイツは七歳じゃないんだぞ? 十七だ」
下らないと吐き捨てようとして……
「やってみたのかよ?」
「あ?」
「やってみたのか、って聞いてんだよ!!」
この日一番の怒声。仁は思わず怯んでしまって一歩、二歩たたらを踏んだ。玄関の石畳がコツコツと鳴った。
「中庭にいるはずだ…… そんな度胸がないなら、手を握ってやるくらいでもいい。とにかくやってみな。自分がいかに馬鹿だったかわかるはずだから」
「……」
「行けって言ってんだろ!」
声だけで追い払われるように、仁は部屋の中に入ることなく、再び玄関の戸を開けて出て行った。