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第二章 第六十一話:自己犠牲

また元通りにしなければならない。俺はヒョウキン者でピエロじゃないともたないんだ。

帰ったときに、奈々華に、周囲の人間に心配させてはいけないんだ。

誰かに甘えられる歳じゃない。甘えられる環境じゃない。あの子にはこれ以上迷惑をかけてはいけないんだ。俺はもうあの子にあんな顔をさせたくないんだ。

欺瞞。

俺はもうあの子のあんな顔を見たくないんだ。

怖いんだ。



学園に帰り着いた仁は、自分の部屋の前で、よく知る顔が二つ口論しているのを見つけた。奈々華と行方。珍しく奈々華が興奮をあらわにして、行方が冷静に何か諭している。

「どうしたんだ? 二人して、好きな男でも取り合ってんのか?」

へらへらと軽薄な笑みを浮かべて、二人に近づいていく。確かめるように、一瞬自分の顔を触った。当てずっぽうに言った言葉は、しかし少なくとも片方の心を揺さぶるには十分だった。

「お、お兄ちゃん。早かったね」

奈々華はそこまで言って、しまったという表情をした。彼女としては仁が今日学校をサボったこと自体、触れるつもりはなかったようだ。仁は透徹するような目でそれを見ていた。

「アンタのことで、この子が突っかかってくるのよ」

行方が参ったと諸手を天に向けて、奈々華を顎で指す。ふむと頬の辺りを掻きながら、仁は両者の顔を順に見つめた。奈々華は後ろ暗いようで、僅かにその視線から目を逸らした。

「……新聞のことか?」

お見合いしていても埒があかない。核心をずばり突く。奈々華が行方に物申すとなると、やはりそれが妥当。

「アンタも批判の口?」

自嘲気味に笑う行方の目は挑戦的だった。

「いや…… 君なりに俺のことを考えてやってくれたんだろう?」

「別に。記事になるから書いただけよ」

「そうか、ならいい」

部屋に入ろうと奈々華の隣を通り、一瞬目を配り、奈々華が意を決したように仁と顔を合わせた。

「お兄ちゃんは腹が立たないの? いきなり手の平返したみたいに」

「……」

「今まで散々、化け物でも見るみたいに……」

言いよどんだ。少し涙ぐんでいる。声も怒りなのか悔しさなのか震えている。

「奈々華」

「それがちょっと自分達に有利だと分かると……」

「奈々華」

「お兄ちゃんがどんな気持ちで近藤さんを殺したかも知らないで!」

「奈々華」

感情が爆発したような奈々華の声に自分自身への憤りが、忸怩たる思いがある。十年以上兄をやっていた仁には分からないはずもなかった。だから優しく、子供に物語を聞かせるような声。

「奈々華。よく聞いて? 俺は気にしちゃいない。近藤さんが最後にくれた手紙にね、こう書かれてたんだ。君は守るべき者、大切な者のために立ち上がったんだろう……って」

「……」

唇を固く引き結び、それすらもプルプル震えているが、必死に涙が目から零れるのを耐えている奈々華は黙って聞いていた。

「俺が守りたかったのは、あいつ等じゃない。お前なんだよ?」

例えもう道を違えてしまった、抱き締めることも撫でてやることも出来なくなった彼女でも、自分の妹なのだ。奈々華を守ることは、贖罪でもあり、義務でもあり、望みでもある。

「だから俺は、お前さえそうして俺を案じてくれるならいくらでも我慢できるんだ。頑張れるんだ」

その気持ちだけで十分なんだ、と。奈々華はそこまでを聞いて、辛抱きかなくなった。兄の体に飛びつくように抱きついた。鼻水も涙も擦り付けるように、深く仁の胸に顔を沈める。

「うぐ…… え…… ごめんなさい、ごめんなさい」

仁の両手はだらしなく体の横に垂れているだけだった。今なら抱きしめてやれるかも知れない。そう思って三年前に見た奈々華の顔を思い返した。触らないでと叫んだあの顔。憎しみと悲しみを交差させた顔。初めて見た顔…… 仁は小さくかぶりを振って口元を諦念に緩めた。


例え進む道が違えども、この子の幸せを願ってやまない。

例え自分の手がどんなに汚れようとも、この子だけは守り通したい。

例え自分が嫌われようと拒絶されようと、この子の願うことは全て叶えてやりたい。


そのためなら俺は悪魔にでも魂を売ろう。


不意に仁の顔に浮かんだ諦めと覚悟。凄絶な暴力への傾倒。

行方は怖気に体中の肌が総毛立つのを感じて、遅れて手足が震えているのに気付いた。

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