序章 第五話:精霊
木室の話では、素養のある者が岩に触れて念じると、その人間の本質に合った精霊がこちらの世界に顕現すると言うことだった。岩については様々な研究が行われているが、未だ万人を納得させられるような説明を得るには至っていないらしい。
奈々華が最初にやってみることになった。二人は素養があるとの、木室の弁ではあったが、奈々華はかなり緊張した面持ちで、言われた通り、大岩に向かい合った。
岩の表面に手を置く。
岩がぼんやりと白く光りだして……
やがて大きく光ったかと思うと、次の瞬間には岩は何事もなかったかのように、再び元のようになった。
「あれ…… 終わり?」
もっと何か、と言いかけて奈々華は口を開いたまま固まってしまった。
奈々華の傍に見たこともない生物が座っていた。
一見すると、白い猫。しかしどうしようもなく、仁や奈々華の知る猫とはかけ離れていた。
背中に体長ほどある、黄金の翼が二枚生えている。眩しいばかりに輝く翼をはためかせ、猫は優雅に毛繕いを始める。
「ゴールドシャムですね。素晴らしい」
木室だけが状況を冷静に捉えている。ゴールドシャムというのが、この猫、もとい精霊の名前らしかった。
「カワイイ……」
鳥のように、体毛の生えた翼を有する猫に奈々華はそっと近づく。
「かわいいのか、それ?」
小声で呟く兄の声が聞こえないのか、無視しているのか、奈々華はそっとその猫を抱き上げた。
「はじめまして。あんたがあたしのご主人様だね?」
その声は仁のものでも、奈々華のものでも、木室のものでもない。
キャーと大きな悲鳴を上げて、奈々華が猫を放り出した。猫は空中で一回転すると、華麗に芝生の上に着地する。
「やれやれ…… 随分手荒じゃないか」
最早仁と奈々華の勘違いではない。やはり、口を動かして喋っているのは猫だった。
「最近の猫は喋るのか?」
この状況で軽口を叩けるほどに、冷静なのは仁。
「ゴールドシャムほどの精霊なら人語を解しますよ。知能の発達した精霊は人の言葉を理解するものもいるのです」
へえ、と感心したように頷く仁をよそ目に、奈々華はぺたんとその場にお尻をついた。
「意外に簡単なんだな」
仁はそんな感想を、独り言のように漏らした。岩に手を置いただけで、精霊が向こうからやってくる。
もっと儀式めいたものを想像していた仁は少し肩透かしを食らったようだった。
「簡単じゃないよ…… びっくりして死ぬかと思った」
まだ奈々華は自分の精霊と少し距離を置いて立っている。
「仁さん」
木室が目で合図する。次は仁の番だ。
奈々華がしたのと同じように、仁もおもむろに岩に手を当てた。
「俺もカワイイのが出てくるんだろうか……」
「仁さん、集中して下さい」
木室の注意が飛んで、仁はバツが悪そうに顔を顰めて、それから目を閉じて岩に向かって念じた。
「俺の代わりに馬車馬のように働いてくれるヤツ出て来い!」
岩が黒く、大きな光を帯び始める。光と言う表現より闇が広がっていくような……
一際大きく輝いた後、光は立ち消えた。その後に残されていたモノに三人の目は釘付けになった。
赤い巨大な体躯。身の丈は三メートルはあるんじゃないだろうか。筋骨隆々の体に、太い丸太のような手足。体の作り自体は人と同じ二本の手と二本の足。三人が仰ぎ見るように首を空に向けた先に顔がある。鋭い牙が覗く口は血を吐くように赤い。憤怒のまま固まったような双眸は恐ろしいの一言。
仁と奈々華が知る語彙を用いて、一言で表すと……鬼。
「なんか俺のだけ違うな……」