第二章 第四十八話:欠陥品
奈々華は客人に対して、あまりいい顔をしなかった。
坂城遊庵。仁に会いに来た彼女は、特段の用もないらしく、ただ世間話に花を咲かせているばかりだった。仁も仁で楽しそうに相槌を打ったりしている。それが奈々華は気に食わない。猫舌の仁には、少し温度の低い湯で入れたお茶を、坂城には沸騰して十分ほど経った湯で入れた茶を出す。
「お仕事しなくていいんですか?」
テーブルの上に湯飲みを置きながら、流し目に坂城を睨む。
「ああ。今日の分はほとんど終わった。どこかの馬鹿と違って、私はやるべきことはキチンとやってから遊ぶ主義なんだ」
坂城が悪戯っぽく笑うと、仁は不満げに眉根を寄せた。遠まわしな物言いは、二人の会話の潤滑油になるだけだった。
「何で俺を引き合いに出すんだよ」
「おや? 私は君のことだとは一言も言っていないが?」
閉口する仁を楽しげに見つめる坂城。してやったりといった風。
「だからって、こんなところで油を売っているのは良くないんじゃないですか?」
今度はもう少しストレートに。
「まあそう言ってくれるな。私は案外暇なんだよ」
ものともせず笑う坂城を見て、奈々華はきっと彼女の誕生日には、ボトルシップか千ピースはあるジグソーパズルを贈ろうと心に決めた。
「それにしてもこの部屋は寒いな」
坂城が不意に文句を言い出し、すぐさま立ち上がって暖房のリモコンを取り上げた。ピッと短い電子音がして、部屋の壁に設置されたエアコンが作動する。ブオーンと大きな音を立てて…… すぐにエアコンは再び沈黙した。坂城が幾度となく電源ボタンを押すが、その繰り返し。仁たちが来て、エアコンを作動させるのは今回が初めてだった。
「多分雑魚が押しても反応しないようになってんだな…… 貸してみろ、駄馬」
仁がひったくるようにして、坂城の手からリモコンを奪うと、本体に向けてボタンを押した。
ピッ。ブオーン。シューン。
結果は同じだった。
「君もゴミ虫と言うことだな?」
「壊れてんな、コレ。新しいの買いに行こう」
坂城の逆襲を完全に無視し、仁は奈々華に顔を向けた。
「お前はついて来るなよ? 壊しやがって」
「私が壊したんじゃない!!」
涼しい顔した仁がハンガーにかかったダッフルコートを引っ掴んだ。
ついでにソファーやコタツ布団も買おうという話になった。久々に、と言っても前回から四日も経っていないが奈々華にすれば十分久々だった、仁と二人で街に買い物に出れるということで奈々華は浮かれていた。モコモコしたダウンの上着を身につけて、嬉しそうに両手を広げて回る。
「あんまりはしゃいでると、転ぶよ?」
その後をのんびりと着いていく仁は寒そうに身を縮こまらせていた。こんなに早く落ち切るものなのか、とガードレールの向こうに広がる幹だけの木立を感嘆したような目で見ている。
「だってえ」
「だって、何だよ?」
「秘密」
奈々華の頭だけは春だった。
「……」
急に黙り込んだ仁を見て、やりすぎたかと奈々華が焦る。弁解を用意した頭は、仁の視線の先を追った視覚情報によってそれを忘れた。山火事にでも遭ったように、草一つ生えない焦土。幹の途中まで、或いはその全部を焼け焦がした黒い幹。自然のものとは明らかに違う終わり方をした、心が痛むような風景だった。
「お兄ちゃん……」
奈々華はその場に立ち尽くして、仁の横顔をひたすら見つめた。
「……」
痛みを堪えるようにして歪められた顔は、やがてぎこちなく引き攣った。子供でもわかるような作り笑い。
「大丈夫だよ。さあ、行こうか?」
ゆっくりと顔を正面に向け、再び歩き出す。
「私の前ではそんな顔しないでいいんだよ?」
風に消え入りそうな奈々華の声は本当に、突然吹いた木枯らしにさらわれていった。