第一章 第四十三話:さまよう労い
社が大きく目を見開き、見つけたと叫ぶ前に、坂城と木室は森の異常に気付いていた。
丘の天辺に位置する学園からは、特に学園の三階部分からは、丘の全貌を鳥瞰することが出来る。恐ろしく大きな炎が浮かび上がる場所へと、坂城はすぐさま走り出した。その後を木室が追いかける。二人ともアレが何なのかを知っている。<竜傑の涙>と呼ばれる、赤の最上級精霊魔法。通常大掛かりな術式と何人もの熟練の魔術師を要して、初めて発現を見る。仁が煉獄のヒューイットと一戦交えていることの、何よりの証拠だった。そしてあんなものを食らったら……
奈々華は校門から風のような速さで、いや文字通り風の魔法を受けているのだが、飛び出してくる坂城と木室とすれ違った。坂城は目もくれず、木室は首だけ振り返った。
「奈々華さん! 仁さんが危険です! アナタもお早く」
声だけを残して、二人の姿は一瞬で見えなくなった。奈々華は校門を抜け、校舎へと足を運ぶ。
「……行かないでいいのかい?」
胸に抱かれるシャルロットの疑問は当然。
「あの人が危険? 冗談…… 仁君は二人が着く時にはもうあそこにはいないよ」
シャルロットには何のことかわからない。奈々華の顔は妄信と確信に満ちていた。
「お兄ちゃんは嫌なことからは全力で逃げるから…… あの場所にはいない。それにもっと言うとあの令嬢に従うほど私は馬鹿じゃない」
「何の話をしているんだい?」
「わからないか…… まあ当然。私が出来るのは、お兄ちゃんが帰って来たときに、部屋にいてあげること。それしか出来ないから」
奈々華の雰囲気は、まるで別人。何か別のものに憑かれたような……
「さあ、部屋に戻ろう。食べないかもしれないけど、ご飯作っててあげないと!」
いつもの奈々華。明るく前向きで、少々のことではへこたれない優しい少女。シャルロットは勘違いかと首を傾げた。
道の端に横たわっている死体は仁のものではなかった。
初めて見る男。坂城も木室も、そのことに心の端で安堵し、次いでこの男がJ・J・ヒューイットだと推定した。乾き始めた血溜りの中で、眠るように死ぬ男の体。胸のあたりには、服の裂け目。素人目にも見事だとわかるほどに、一突きで心臓を貫かれている。刀傷。傍には仁の愛刀、村雲守兼家 細の太刀。
「仁がやったのか……」
「……そうでしょうね」
二人とも二の句が継げない。どうしようもなくダメな人間ではあるけれど、人を簡単に殺すような男だとは思ってはいないけれど……
「戦いでは仕方ないことです」
先に冷静さを取り戻したのは、木室のほうだった。ゆっくりと吐き出すようにそれだけを言葉にした。
「……そうだな」
「この死体は、煉獄のヒューイットで間違いなさそうですか?」
木室の言葉に、坂城はあらためて死体を見た。水色のシャツは見る影もなく、えんじ色に染まり、口の周りには自らが吐き出した血糊が固まっている。歳は三十代前後か。もう少しいっているかもしれない。死体からは壮絶な力の痕跡が窺えた。青の魔術師は魔法の匂いには敏感。繊細で緻密な彼、彼女等は死体に残存する魔力を見分けることも出来る。
「……最高クラスの赤の魔術師だ。そう見て間違いないだろう」
それだけを機械的に答えた坂城は、周囲を見回して仁の姿を探した。いくらか離れた場所の木々は、無残に燃えカスとなっている。
「まさか相打ったとは……」
「大丈夫でしょう。この場所で敵が死んでいるということは彼もまたこの場所まで来たということ」
一瞬坂城の頭を過ぎった最悪のシナリオは、冷静な木室によって否定される。
「……では仁は?」
その質問にはさすがの木室も答えを持ち合わせない。首を傾げて、私に聞くなといった風。学園の当面の危機は去ったと言うのに、二人は英雄の姿を木立の間に探し続けた。