第一章 第四十一話:終焉のとき
花火のように、しかしそれは雨だった。炎の雨。仁は知る由もないが、熟練の赤の魔術師が、一晩中詠唱して発動させられるかどうかという最高難度の術式。しかもこれほど大規模なものを放てる者が世界中に一体彼の他に何人いるだろうか。
仁は瞬時に危機を察し、足に全力を込めて走り出した。走り出して、近藤の体が安全圏にないことを思った。敵。炎の加護を失った、生身の人間。友と成り得たかもしれない人間。
すぐさま近藤の傍に駆け寄ると、焦土の中に倒れ伏すその身を抱えて、一気にトップスピードに乗った。
世界の終焉のような光景。
炎の雨が木々に降り注ぎ、雨粒に触れた瞬間に木はガソリンでもかぶっていたかのように、一瞬でその全身を燃やし尽くされていた。そんなことがそこかしこで起こって、木立はその体を成さなくなる。
灰と残り火の世界。
集中豪雨地帯からゆうに三百メートルは離れた、アスファルトの上に、仁は近藤の体をそっと下ろした。虫の息とはこのことか。弱弱しく呼吸を繰り返すお腹が起伏していることだけが、彼の最後のバイタルサイン。時々、思い出したように苦痛に顔を歪めるが、暴れるような力も残っていない。
助けてくれとも、楽にしてくれとも言わなかった。
「近藤さん……」
哀れむような響きがあった。それは彼の壮絶な覚悟に対する冒涜とは分かっていても、仁は同情を禁じえないでいた。誰もが一歩間違えば、なりうる姿。ただ彼は妻をとても愛していただけ。ただ彼は妻が味わった苦しみの重さを推し量っただけ。誰よりも深く、誰よりも重く……
近藤がゆっくりと右手を懐に入れた。
また取り出したとき、その手には白い便箋のようなものが握られていた。それを上がらない手で、震える手で、仁のほうに差し向ける。仁はわけもわからず、それを縋るように握った。指先が冷えていて、仁は喉が震えるのを感じた。
「君は…… 甘いな……」
近藤の顔に顔を近づけ、やっと聞き取った。
「もう喋らないで……」
むせるように、近藤が大きく咳をした。仁の顔にビシャリと生暖かい血が吹きかかる。
もう視力を失ってしまったのだろうか、焦点の合わない目。それでも激痛だけは感じてしまうのか、歪む顔。
仁は刀を鞘から抜いた。キンと冷たい金属音に、近藤がわずかに顔を仁のほうに向けたような気がした。
冷たい目。だけどさっきまでの戦闘のときとは違って、無理矢理に感情を押し殺しているような目で、仁は大きく刀を持ち上げた。人の肉を絶ち、骨を通して、心臓を突き破る。その膂力を使って、勢いをつけて……
ブシュ
小さな音。刀の切っ先が皮膚を破り、骨を砕き、心臓を破壊する音。命を奪う音。
引き抜くと、一瞬傷口から血が噴出し、ドクドクと生命の泉のように、乾いたアスファルトを潤していく。近藤の体は二、三度痙攣して、それから動かなくなった。
最期の刹那
「…ありがとう」
確かに近藤はそう言った。