第一章 第四十話:悲壮なる者
彼の絶望はいかほどのものだったのか、仁には思いを馳せることは出来ても、理解することは出来ない。突然愛する者を奪われる。ありきたり、という言葉が浮かんで一、二度かぶりを振った。
当事者にとって、ありきたりだろうが、一億人に一人の災難だろうが、どうでもいいことなのだ。問題はいつも支えてくれた人が、いつも優しい笑顔を見せてくれた人が、大切な人がいないということ。天寿を全うすることなく、無念のうちに殺されてしまったということ。
仮に自分が将来、愛する者を、生涯の伴侶を殺されたとき、一体どうするだろうか?
きっと近藤と同じ、復讐に心を支配されるのではないか?
「どうした? 本気を出さないと死んでしまうぞ!?」
聞いてくれてありがとう。その言葉を合図に再び、近藤は炎の修羅へと戻った。まるで彼の命を、魂を燃やすような煉獄の炎は一層力強く……
「……」
近藤が再び拳を、蹴りを間断なく仁に打ち込む。しかし明らかにさっきまでよりも近藤自体の動きは鈍くなっていた。魔霊合撃。そのおぞましい禁忌は徐々に、けれど確実に近藤の体に何らかの負荷を与え始めているのだ。それでも唸りを上げるようにして向かってくる右の拳を、仁は渾身の力をもってかわすだけ。気を抜けば一撃で灰になることは必死だった。
「遠慮をしているのか? 君にも守るべきものがあるんだろう? こんなところで朽ちたくはないんだろう?」
風切り音もなく、洗練された蹴りが仁の頭上を通過していく。ちりっとまた仁の髪の毛を燃やす音がした。近藤を突き動かすのは、本当にただ復讐の念か。恐らく今すぐ精霊との融合を解かなければ手遅れになってしまう。それでも持てる力の全てを、目の前の敵、城山仁に向ける。
「……」
「優しさだけでは誰も救えないんだぞ? 俺は君を殺したら今度は君の妹を殺す」
仁の顔つきが変わった。大きく見開いた血走るような眼。固く引き結ばれた唇。近藤が見たこともないような顔。仁の左目が、左目だけがグリンと白目をむく。左半身だけ癲癇を起こしたように。白目の中に何か浮かんでいる。まるで白目を二つに割るような…… 瞼? 近藤が驚く暇も、確認する暇もない。
仁の体がその場から消えた。
直後、近藤は背中にトラックにでもぶつかられたような衝撃を受け、成す術もなく落ち葉の上に転がった。何が起きたのかもわからないまま、それでも仁の姿を視界に収めようと、すぐさまに顔を上げるのは流石。
だがそこに仁はもういない。
再び背中に衝撃が走り、今度はさっきまで自分が居た場所にもんどり打って戻ることになる。蹴られているのだ。まただ。近藤ほどの実力者にも捉えられない人智を超えた動き。
「一体何が?」
顔を上げた近藤を、仁が真正面から見下ろしていた。先程のは見間違いか、仁の目には特に異常はない。ただ背筋も凍るような冷たい目をしているだけ。落ち葉の上を這いずり回る微生物を見ているのだ。
「もうやめましょう。近藤さん、投降してください」
恐ろしいほどに無機質な声。機械の音声を再生しているよう。
「……やはり君は強いな。だけど……」
左足に力を込め、立ち上がる反動を利用して大きな右フックを繰り出す。その途端、近藤の口から赤い、炎とは違う液体が零れた。力を込めたはずの左の膝は笑い、右の膝もまた地面についた。彼が吐いたものは、炎のように猛々しいものではなく、生命の終わりを露呈する弱弱しい血。
「俺も退けないんだ!」
直後、近藤の体を覆っていた炎が、体の前で組んだ両手の前に集結を始める。
体からあらん限りの力を込めた炎がまた生み出され、集まっていく。巨大な炎の玉。
「一世一代の魔法だ。死んでくれ、城山君」
近藤はそれを天に向かって放り投げた。ガードを失った捨て身の、まさに一世一代の魔法。仁はがらあきの近藤の腹に拳を叩きこんで、その動きを止めた。ゴフっと口から吐しゃ物でも吐くように、大量の血液が焦げ付いた土の上に広がった。
息つく暇もなく上空からの光に、弾かれたように視線を上げる。
炎の玉が、打ち上げ花火のように空中で爆裂していた。