第一章 第三十四話:今夜は肉じゃが
「言われれば買い物くらい俺一人でしてくるよ?」
苦笑混じりに、奈々華に苦言を漏らした仁は、それでも奈々華の歩幅に合わせながら歩いていた。
「一緒に行く約束だよ?」
それを言われれば、仁は黙るしかないのだが、仁の気持ちもわかる。大学生の兄と高校生の妹が仲良く夕飯の買い物を連れ立ってするというのは、あまり一般的ではない。頼めば買ってくるし、自分で行くにしても一人で事足りる。都会らしいお洒落な雰囲気の食料品の店内を同棲カップルよろしく、仲睦まじくねり歩く。高級食材や、どんな風味を付け足すのかも分からない横文字の香辛料も並んでいる。
「何が食べたい?」
そういう台詞もカップルのそれみたいだと意識すると、自然と奈々華は頬が緩むのだった。
「……なんでも」
不思議な形をした野菜を手に取りながら、やっつけな返事。
「何でもは困るよ」
これはお母さんみたい。
「……じゃあ肉じゃが、かな」
その野菜を棚に戻して、今度は慣れ親しんだジャガイモを見つけた仁が答えた。
「そういえば…… 坂城が褒めてたよ。君も優秀だって」
間のつなぎに選んだ話題は、大して仁が話したいわけでもないのに、地雷を踏むことになった。
「……昨日、タバコ吸いに行くって言って、学園長さんのとこ行ってたの?」
まるで憎き親の仇でも見るように、奈々華は顎を引いて、仁を睨みつけた。
「いや、その。プラプラしてたら、捕まったんだよ」
「……」
「本題はそこじゃなくて…… 治癒は、白の魔術師の基本魔法らしいけどさ、その詠唱で君の体が光に包まれただろ? アレは魔術師としての才覚が優れているってことで……」
「……」
「……まあ、何と言うかこれからは君に迷惑かけないように、なるだけ怪我しないようにするよ」
奈々華の聞きたい言葉ではなかった。
「あれは……」
この場所に似つかわしくないと言ったら失礼か。仁が果物が置いてあるコーナーに差し掛かったあたり、見知った背中を見つけた。マンゴーを手に取りにらめっこしている。渡りに船。
「近藤さん!」
振り返った男は、仁を見つけると何日かぶり、とよくわからない挨拶を返した。
「やあ。今日も兄妹でお出かけかい? 仲がいいんだね」
仁が答えるのを遮るように、奈々華がはいと大きな声で答えた。
「二人とも学校の帰りかい?」
柔和な笑みを浮かべて、奈々華と仁の顔を交互に見る。仁は難しい顔をしていた。何か気の利いたことを言おうとしているのかもしれない。
「……ええ。近藤さんは今日はお休みですか?」
仁の口からは結局月並みな言葉しか出ない。近藤は、休み休みと子供のように繰り返した。
「近藤さん、番号交換しませんか?」
仁がポケットから乱暴に携帯電話を引っぱり出した。買った当初のまま、ストラップも傷の一つもついていない黒いフォルム。快諾した近藤がさっそく自分のものを取り出して、仁の携帯と赤外線通信しだす。
「買ったの?」
「……ええ」
無事に両者の携帯の画面に登録確認が映し出された。
「ええっと」
近藤の視線の先には奈々華。大の男二人がスーパーの中でアドレス交換をするという物悲しい光景を目の当たりにしていた奈々華は、先程の不機嫌がまだ直っていないらしい。
「私はお気遣いなく。兄に男性と番号を交換してはいけないと言われてますので」
それだけを言うとプイと仁の視線から顔を逸らした。
「ええ?」
とんだ仕返しだ。
「そうか…… 仲が良いんだね」
案の定仁を変態認定したように、近藤が気まずげに二人から距離を取る。またも都合の良い言葉、邪魔しちゃ悪い、を連呼しながら、誤解を解こうとする仁を振りほどき、近藤は店を後にした。