第一章 第三十話:食い違う意図
いくらなんでも夜の十時に就寝しているというのは、仁への当てつけの意味が強かった。仁が部屋に帰りついた時には、奈々華は電気を消して二段ベッドの上でわざとらしく寝息を立てていた。電気を点けても一向に動く気配を見せない。
「……ただいま」
返事はやはりない。
「携帯を買っていたんだ。それで遅くなった……」
テーブルの上には、仁の分の夕食がキレイにラップをかけられた状態であった。親子丼のようだ。
「君の分も勝手だけど用意した…… 無いと何かと不便かと思って」
起きているんだろう? とは言わない。ただ壁に向かって独り言を言うように仁は話し続けた。
「……誰と?」
すると返事が返ってきた。眠たげな、不満げな声。いつもとは逆の構図。
「行方だ。二年の……」
「知ってる。私のとこにも来たよ」
相変わらず、ベッドの上から。顔も壁に向けたまま。
「アイツ、君のことまで嗅ぎ回ってるのか……」
或いは奈々華個人ではなく、仁の妹だからか。不機嫌そうに顔を顰めた仁は、そのまま手に持った携帯電話が入った紙袋をテーブルの上に置いた。
「……節操なし」
ぽつりと呟いた言葉は、仁の耳にもきちんと聞こえていた。
「そういうんじゃないんだが」
携帯に詳しそうだから呼んだんだと、言い訳を並べる仁をやっと奈々華がベッドの上から見下ろした。てっきり怒り心頭といった顔をしていると思った仁は泡を食った。今にも泣きそうな顔。苦痛に耐える顔。
またやってしまったと思った。
仁がほったらかしている間、彼女は一人だったのだ。友達も家族もいない新しい世界で、奈々華の味方は仁だけなのだ。いくら疎遠になったとは言ってもたった一人の家族なのだ。それが、肝心の味方は新しく出来た友人と遊び回っている。
「……ゴメン」
仁はただ謝るしかなかった。ただもう、奈々華のそんな表情を見たくなかったのだ。
「……」
「これからは気を付けるよ。なるだけ君を一人にしないようにする。この学園にいる限り安全ってわけでもないのにな…… 軽率だったよ」
「……本当?」
きつく結ばれた奈々華の唇がほんの少し緩んだ。それでもまだ仁の言葉を信用しきれずにいる。
「本当だ」
「じゃあ、明日から街に行くときは必ず連れて行って?」
半身を起こして、奈々華が真っ直ぐな目を仁に向ける。彼女の望みは仁の予想していなかったものだった。気圧されたように、ああと頷く。
「約束だよ!」
そんなことで君の気持ちが晴れるなら…… 仁は黙って首を縦に振った。
「携帯見せて! 私のもあるんでしょう?」
さっきまでの陰鬱な雰囲気は秋の夜空に吸い込まれてしまったようだ。ベッドから飛び降りんばかりの勢いでテーブルに着いた奈々華が袋をガサガサと漁る。黒い携帯とピンクの携帯。後者を手にとって、輝くような笑顔を仁に向ける。
「ありがとう!」
「……ああ」
街に連れて行ってやると言えば喜び、携帯電話を新しいオモチャでも見るように撫でまわす。
まだまだ子供だな、と頬を緩めた仁はあまり深く考えていなかった。
街に行く時間まで奈々華と一緒にいるということは、ほぼ二十四時間、風呂とトイレ以外は常に一緒にいることになるのだと……