第一章 第二十八話:キンモクセイ
仁がこの世界に来て、一週間が経過した。
徐々に学園生活や、自分の腰についた相棒、坂城や行方のあしらい方、様々なことに慣れてきていた。相変わらず同級生達との関係は良好とはいえず、奈々華ともあまり話が弾むようなこともなかったが、それでも仁はある程度この世界でやっていく自信を手に入れていた。
いくつか分かったことがある。
焦土と化した世界を仁の知るような文明水準まで差し戻したのは、他でもなくその元凶となった精霊魔術による。特に半永久的に発電し続ける装置としての黄の精霊魔術師の貢献は特筆すべきものがある。リニアカーの導入や、製鉄業においての電力炉の台頭は、製鉄や発電の際の二酸化炭素排出をゼロにし、温暖化対策もバッチリだ。
授業が終わり、何の気なしに裏庭のほうへ足を伸ばした仁は、その黄魔術師に出くわした。彼女は何をするでもなく、一人外の空気を満喫しているようだった。
「目覚しい活躍ですね」
相変わらずの穏やかな笑みは、仁の心までも和ませた。謙遜を述べると、木室はまた笑みを深くする。
「学園長もお喜びですよ。最近は、仁がどうした、仁がこうしたと貴方の話ばかりです」
「……そうですか。気に入ってもらえて良かったです」
近くに植えられているのか、キンモクセイの芳香が風に乗って、二人の鼻を楽しませた。
「やっぱり女の子は、窮地に駆けつける勇者様がいいんですかね?」
まだその話、と仁は口を挟みかけたが、木室は悪戯っぽく笑っていた。彼女でも軽口を叩いたりするんだな、と仁もまた嬉しそうに微笑む。
「僕が外出するときに限って、精霊が襲ってくるもんですから、ああいう構図になるんです」
二人が話しているのは、先日学園を襲った炎の巨人を迎撃した件だ。
「……本当に間が悪い」
「……そうですね」
二人の表情は先程までの柔らかいものではなかった。間が悪い。本当にそんな偶然が重なるものか……
「また会いに行ってるのかな?」
授業を終えて先に自室に戻った奈々華は、テーブルに着くなり浮かない表情で言った。自分の精霊に向けて言ったのか、それとも自分自身に向けて言ったのか、判断がつかなかった。シャルロットは自分に向けられた言葉だと思ったようで、テーブルの下から這い出て、奈々華を見上げた。
「……学園長のところにかい?」
仁は件の巨人の迎撃以降、坂城との関係を良好にしており、特に用がなくても世間話をしに学園長室に行くこともあった。お詫びに持っていった洋菓子を大いに喜んで食べてもらえた、と嬉しそうに話す仁と坂城の仲直りについての首尾も奈々華は顔で笑って、心で泣いて…… 聞き及んでいた。
「嫉妬……」
文章でなく単語が返ってくる。うわ言のようでもあった。
「あれだけ豪快に助けてやりゃ、誰も悪い気はしないしね」
坂城の仁に対する態度も、軟化の一途を辿っているのを奈々華は感じている。その精霊であるシャルロットも然り。
「……それにしてもアイツもてるんだね」
ひょいっと窓枠の桟に飛び乗ったシャルロットが、窓の外に顔を向けた。秋空に薄く垂れ込んだ雲が夕陽を取り込んで鈍いオレンジ色をしているのが見える。遠くの方で、死に場所を探すツクツクボウシが鳴いていた。奈々華が徐に口を開いた。
「欠点は数え切れないほどあるけど…… それを補って余りあるほど、優しくて強い人だから」
シャルロットが首を回して見た奈々華の表情は、どこか晴れやかで、手前味噌でも並べるように誇らしげだった。見ていて胸が苦しくなった。