第一章 第二十五話:誤解
「あれ? 城山君か?」
背後からの声に、家路へと就いていた兄妹はほぼ同時に振り返った。仁は予想通り、奈々華は誰だ、といった表情。近藤が苦笑を浮かべて立っていた。
「はは、こんにちは。よく会いますね」
奇遇。仁と近藤はよほど縁があるようだ。苦笑を交し合う大人達を、奈々華が不思議そうに見つめた。
「ああ、奈々華ちゃん。この人は近藤さん。数日前に知り合った人だよ」
仁はさも説明しづらそうに、言葉を選んで紹介した。友達と言うには浅く、知り合いと言うには深い。
「こんにちは。しかし、城山君にこんな可愛い彼女さんがいるとは知らなかったな」
「彼女……」
奈々華が近藤の言葉を繰り返す。呆気にとられているようで、よく見ると口元は緩んでいた。
「……妹ですよ」
「そうなのかい。それは失礼しました」
「いえ、お気になさらずに……」
「……」
気まずくなったのか、元々用事があったのか、挨拶を済ますと、近藤は邪魔しちゃ悪いと理由をつけて、足早にもと来た道を引き返していった。
「彼女だって……」
奈々華が仁の顔を見上げる。二人の身長差は二十センチ強。だが難しい顔をしているのは仁のほうだった。
「俺たち兄妹は似てないからね」
無理もない、と仁が溜息を吐く。何が楽しいのか、奈々華はふふふと含み笑いを返した。
「嫌な気持ちにさせちゃったかな?」
仁が恐る恐るといった体で、奈々華の顔を見る。奈々華は笑っていた。いくら自分の知り合いとは言え、近藤が誤解したことについて仁に何ら落ち度はない。
「そんなことないよ! 私は大丈夫」
ほっとしたように仁も笑った。
後から思えば、性急が過ぎたのだろうが、奈々華は今ならいけるかもしれないと思った。
そっと仁の手に、自分の手を絡めようと、左手を伸ばした。
指先が触れ合う。
仁が弾かれたように自分の右手を引っ込めた。
「ゴメン!」
触れてはいけないものに、触れてしまった。奈々華は自分に触られたくないと…… 本気で思っている。
「……」
先程までの和やかな雰囲気は、霧散するように一瞬で跡形もなく消え去った。少し距離を取るように、仁が歩く速度を上げて、奈々華を後方にやる。上着のポケットに突っ込まれた仁の右手を見つめながら、奈々華は自分の軽率を呪った。
同時に仁に対するやり場のない怒りもこみ上げる。
どうしてそうなるの?
私が触られるのを嫌がっているなんて、本気で思ってるの?
私は…… 私は……
いつだって、いくらだって、この人に触れていたい。
この人の手の温もりを、私を包んでくれる優しさを感じていたい。
勉強だってした。お兄ちゃんは頭の悪い人があんまり好きじゃないから。
料理だって頑張った。お兄ちゃんは味付けが下手だから。料理の出来るお嫁さんを貰わなきゃなんて冗談混じりに言ってもいた。
服だって、髪型だって…… 全部お兄ちゃんの好みに合わせてる。
何が足りないの?
何がいけないの?
兄妹だから?
……私がお兄ちゃんを拒絶してしまったから?
手を繋いで欲しい。抱きしめて欲しい。キスして欲しい。
それは全部かなわないのかなあ?
固く引き結んだ唇。必死に堪えても、奈々華の目からは涙が一筋頬を伝った。