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終章 第二百三十四話:不貫徹の愛

ビシャビシャと噴水のように降り注ぐ血流を仁は頭からかぶり、見る間に赤く染まっていった。やがて首を失ったラインハルトの体はゆるやかに傾いでいき、どさりと倒れふした。そんな血塗れた殺人鬼のような風体の仁を見ても、奈々華の足は止まらなかった。どころか、ベンチを立ち上がりパタパタと駆ける足取りは一歩ずつ速さを増すようだった。しかし他ならぬ兄がそれを手で制した。手の平を縦にして奈々華に見せる。従順な妹は急停止。

「首でも盗りに来たんですか?」

仁の冷ややかな声は、芝の切れ目、茂みの奥へとかけられていた。

「おや、気付いていましたか」

落ち着いた女性の声。仁はそれを聞くたび、その姿を見るたび、胸の奥に黒い感情が渦巻くのを感じていた。それは裏切られたことより、彼女が自身の浅慮や無力を象徴する存在だからかもしれない。木々の間を割るようにして現れた木室カエデは最初に仁が見たときと変わらない柔和な笑みを浮かべていた。刀を再度体の正面に構える仁に、木室は頭を横に振ることで答えた。

「私は案内役に過ぎません。最初からそうだったでしょう?」

思えば仁がはじめてこの世界に来て、味方として出会ったのが彼女だった。彼女はそんな笑顔で学園長室まで彼を導いた。仁は湧き上がりかけた感傷を無理矢理に押さえ込むように、小さく顎を引いてやぶ睨んだ。

「ラインハルトは良いのか?」

「言うことを聞かない手駒など捨て駒にもなりません」

手の平を天に向けてお手上げ。

「彼女以外に土をつけられたのが我慢ならなかったのでしょう」

「……彼女」

ええ、と気さくに頷いて。

「待っていますよ。貴方を。自分の居場所を壊してでも……」

そう言うと木室は無警戒に背中を向けて歩き出した。公園の出口を目指している。案内役。仁はしばらく案内するべき人間をほったらかして距離を空けるその背を見つめてから、奈々華に手招きした。


「少し昔話をしましょうか?」

街は小鬼が暴れたときよりも地獄絵図。逃げられる者は全部逃げて、後は死を待つ者が、或いはもう死んだ者が通りを塞いでいるだけだった。その数を数えようとして、仁は脳内だけでは数えきらないことを悟ってやめた。辺りに充満するのは、血の匂い。何かが焼ける匂い。仁はテレビで伝える紛争地域を思った。或いは疫病の流行った中世の京や欧州を思った。シャツの袖口を、迷子のような瞳の奈々華が強く握っていた。もう一度だけ周囲に目を向け、その目を数刻閉じ、開いたときには先を歩く木室の背中だけを見た。

「アンタの武勇伝か?」

丸太鬼を、村雲を侮辱するような内容なら、仁は卑怯も案内も関係なく木室に飛びかかっただろう。だが違った。

「私は国連を退役したのが四十を回った頃でした。その後は若くて有望な魔術師の育成に携わっていました」

それが現職の、もっともフロイラインの幹部としての顔とどちらが本職なのかはわからないが、教員ということになるのだろう。

「そして中谷の街に赴任したのが、丁度五十の頃でした。元々日本の血も混じっていた私はいつか日本でも教鞭を執りたいと思っていたので、話が来た時には渡りに船でした」

おっと余談でしたね、と途中で切る。仁は空気も読まず、この人生の先達の話をもう少し聞いてみたいという頭の隅の願望を黙殺した。

「そこで私は見たこともないような光を放つ原石と出会いました」

「……」

「私は彼女の育成こそが天命だと思いました。それまで積み上げてきた全ては彼女に授けるために神が与えた経験だと。それからは私はその家に住み込み、彼女の生活の全てを管理しました。何が彼女のためになる、彼女の魔術師としての成長に必要なのか、全てを正しく峻別し、育てました」

「……」

「親心のようなものもあったと思います。独り身の私には小さな彼女は可愛らしく、成長は生きがいになり、厳しさと優しさを持って接するのはとても骨が折れて楽しくて……」

破砕音が近い。破壊の中心地点に近づいている。現に三人が歩く前方のビルがだるま落としの要領で沈むように壊れていった。

「そんな彼女に不幸が訪れました。二年前ですかね」

わざとぼかしたような言い方をしたが、木室の声は震えていた。仁たちに見えない瞳には、あるいは涙を溜めているのかもしれない。

「それからの彼女は、人が変わりました。実際変わったんです」

「……」

ちらと奈々華を見ると、仁はまた前を向いた。こういうとき、賢い妹が軽々に口を挟むとも思えなかったけれど、それでも仁は自分を奮い立たせるために見た。奈々華は優しく仁に笑いかけた。

「私は己の醜さを知りました。あの子にとって自分が大切な存在の一つであることを認識できたことが嬉しかったのです。そして一番でないことも知り、亡くなった方々へのどうしようもない嫉妬も持ちました…… いつの間にか彼女を愛していたのです」

「……」

独り語りは続く。

「だけど私が彼女と接しているのは、もう仕事になっているのです。それでも愛しているんです」

段々感情や論理に矛盾が濃くなってきた。

「……貴方は私が憎いかも知れませんが、私も貴方が憎いのですよ?」

強い感情が込められていた。言葉が嘘ではないと。

「再び彼女を目覚めさせた貴方が……」

振り返った木室は唇を強く噛んで瞳を細くしていた。その後ろに二つ、見知った顔があった。


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