終章 第二百三十一話:プライドの行方
知らない番号だった。しかし仁は迷うことなく通話ボタンを押した。奈々華が呑気に「だれ?」と尋ねる。
「……城山仁だな?」
流暢な日本語。しかしその主は金髪碧眼の白人至上主義者。「ああ」と短く太い声で仁は答えた。
「用件はわかっているな?」
「……解せんな。わからないか? 何度やっても俺には勝てんぞ?」
「黙れ」
静かな声に、多分な怒りが聞いてとれた。生まれてこれまで土をつけられたことなどなかった彼が、完膚なきまでに叩きのめされたまでか、勝てないと認めろと言う。長い年月をかけて膨らませてきた彼の自尊心は、そんな侮辱を看過するはずがなかった。
「折角守ってもらってるんだろう? 大人しく隠れていたらどうだ?」
奈々華も既に兄の電話の相手が誰なのか察しがついているようで、ただ仁の口が動くのを黙ってみていた。
「黙れと言っている」
「ああ、それとも頼もしい涼子ちゃんの影に隠れながら闘う……」
「黙れ!」
仁は顔をしかめて電話を遠ざける。奈々華にも聞こえるほどの強烈な憤怒。息を整えたラインハルトが次に喋るのと、仁が頃合を見計らって嫌そうに電話を耳に当てなおすのはほとんど同時だった。
「街に出てみろ。お前みたいな下らない芥子粒には勿体無い舞台が出来上がっている」
「……みたいね」
「三十分以内に中谷記念碑公園に来い。遅れたり来なかった場合は…… 貴様に縁のある者を血祭りにあげてやる」
「ほいほい、了解」
電話は切れた。仁は隣で言葉を待つ奈々華に言う。
「死にたがりが一人居る。お前も見に来るか?」
奈々華は頷いた。
中谷記念碑公園は、都会の数少ない緑を保つ。常緑樹が外周を覆い、森のような外観を作り出していた。中谷本人が眠るわけではなく、そもそも彼の遺体は数百年経った今でも見つかっていないそうだ、この場所でサウードの軍勢と激戦を繰り広げ、見事それを退けたという話が残っていることから。彼自身の代わりに、中谷の精霊が眠っているそうだ。
普段は散歩をする人や近道に使う人、何だかんだそれなりに人通りのあるこの公園だが今は人っ子一人見当たらず、ダンボールやブルーシートで作られたホームレスの寝床ももぬけの空だった。ラインハルトが何かしたというよりも、もしかするとそれどころではないのかもしれない。二人は、逃げ惑う人々が渋滞を作る合間を縫うようにしてここまで来た。今も物が破砕する音や、甲高い悲鳴が遠く聞こえる。
「来たか」
相変わらず不遜な顔。しかしそれが虚勢であることが、直接対峙しない奈々華にもわかった。
「蟻を踏み潰しに来いと言われて面倒くさささえあっても、逃げることはないよ」
仁は破顔してみせる。本当に面白い冗談を聞いたという風に、いつまでもニヤニヤと笑いが尾を引く。仁はそのままの顔で余裕綽々、周囲の状況を見回す。公園の内部は土のグラウンドとそれを囲う芝を植えたエリアの二分。芝のエンドに藤の木が四本、結ぶと丁度長方形になるように植わっている。その上に目の荒い鉄格子の天蓋があって、枝が絡みついている。その下、季節がよければ木漏れ日が注ぐようにベンチが置かれている。仁はそれを顎でしゃくって、
「あっこで待っててよ。すぐ終わるから」
「うん。気をつけてね」
仁は心配性な妹に苦笑を禁じえない。蟻を踏み潰すのに、気をつけるも何もない。
ラインハルトはそれら全てを見ているだけで、それら全ては彼の高いプライドを悉くコケにするものだったが、それでも口を挟むことはなかった。兄妹の馴れ合いが終わり、すうっと息を大きく吸い込んだ。
「……貴様の強さは認めなければならない。境遇次第で王として君臨できたかもしれない」
「そいつはどうも」
興味なさそうに。
「私が前回貴様に負けたのは、それを認識していなかったからだ」
「まあ、一端くらいはあるかもね」
「……だから今度は最初から全力でいかせてもらう」
言うが早いか、ラインハルトの体が雷光に包まれる。