終章 第二百三十話:終わりの美学
焼却炉から出てきた近藤は、既にもう近藤正輝を思い起こさせるものは何もなく、ただの白い粉だった。そして所々白い塊。坊主の車に乗せてもらい、中谷の街外れの火葬場まで霊柩車を追ってやってきた兄妹は会話もなく、ただ黙ってそのお骨を見つめた。
「随分鍛えていたみたいだけど、やっぱり最近の若い人は骨の方が弱くてね……」
と、火葬場の人間。悪意ある言葉ではなかったが、どちらかというと骨があまり残らなかったことについて申し訳なさそうに言ったのだが、仁は黙殺した。奈々華が取り繕うように笑う。道中の坊主の世間話も奈々華がいなし続けた。
火葬場を出ると、打ちっぱなしのコンクリートの外装の上に突き出た煙突から黒ずんだ煙がもうもうと上がっていた。祐が居る場所まで届けばいい。奈々華は小さく瞳を閉じ、拳を握った。
「納骨は一週間後、お墓が出来上がった後ということで」
感傷もそこそこに、坊主が事務的な話を始めた。奈々華は敏感で、この坊主が仁たち兄妹と近藤との繋がりを訝っている節があることを感じ取っていた。仁は立ち昇る煙を見ていた。
「はい。お願いします」
奈々華が受ける。
「お帰りは?」
ここで奈々華が仁を見る。仁はその視線を迎えるように、煙から目を切っていた。アイコンタクトなんて高尚なものでもなく、今の仁の瞳を見て何も察せない人間がいたらそれは相当鈍いだろう、兄妹は数瞬見つめあって、奈々華が坊主に振り返ったときには首を横に振る準備が出来ていた。
「……お気遣いありがとうございます」
坊主は奈々華の言葉を受け、丁寧に会釈を返すと、骨壷を抱いて車に乗り込んだ。
「……大丈夫?」
二人寄り添い歩く、道の端で奈々華は聞かずにはいられなかった。
「何が?」
「何がって……」
ひょっとすると返ってこないことも想定に入れていた奈々華は仁の反応が予想外に早くて、言葉に詰まった。仁はその間に言葉をさがしていた。
「言ったろう? もう俺に出来ることはないよ」
「……」
「でも」
思い出したように仁は逆接を繋いだ。
「近藤さんが奥さんの敵討ちを願っているとも思えないけれど、見極めようと思うよ」
「見極める?」
「ああ。自分の目でね」
奈々華が「何を?」と聞くのと仁の答えはかぶさった。
「平内涼子が本当に討つに値しないかどうか」
「討つに値しないと判断したら?」
「……」
「お兄ちゃん!」
「……本当にお前は鋭いな」
仁はそれだけ言っておいて、周囲を見回した。以前野焼をしていたような畑には既に土しかなく、朝下りた霜が溶け、太陽が弱くて黒く湿ったままだった。仁はこの間が何なのか、正しく理解している。睨むような懇願するような瞳を向ける妹は、こういうとき言葉を尽くさない。その潤んだ綺麗な瞳が口よりも雄弁であることを知っている。仁が折れるのを待っている。
「本当に賢い子だ。わかってるよ。死ぬのはなしだ」
まだ足りない。奈々華の目は力を込め、熱を込めたままだった。
「お前を一人にするわけにはいかないもんな」
討たれるべきは自分であると、その考えは今も変わらないだろう。それでもその言葉を放ったのは、どんなに罪を重ねても、彼の目の前の少女が幸せを掴むその時を見届ける義務も確かに感じているから。義務は願いと書き換えてもいい。奈々華はようやく笑んだ。邪気も猜疑もないその笑みに、仁は常に癒されてきた。
しばらく歩いていると、仁が携帯電話の電源を入れるのを見計らっていたようなタイミングで、それが鳴った。虚しい、最後の戦いの始まりを告げるものだった。