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終章 第二百二十九話:葬式

定期的に打ち鳴らされる木魚の音が眠気を誘うのは、ひょっとすると死者の安らかな眠りを誘導しているのかもしれない。そんな風に仁は願っていた。祐の葬儀にも同じことを思った。

寺の中は張り替えられたばかりの畳がイ草の香りを放っていた。そこに焼香の匂いが混じり、仁の好きな野焼のような雰囲気があったが、仁は仏頂面を崩すことはなかった。薄っぺらい冊子には、坊主の読経が載っていて、それを胸の前に掲げ、小さく復唱していた。彼の隣の奈々華は時折もぞもぞと膝を崩したが、仁は一度も音を上げることもなく、まるで神木のようにそのままだった。

「ミルフィリアさんもちょっと冷たいね」

葬儀が始まる前に、奈々華が仁に言った。仁はただ曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。生前多少なりとも関わりのあった彼女が、この場に参列できなかったのは、仁によるところが大きかった。



最後のページを読み上げたお坊さんは、その場から立ち上がることなく、後ろの私たちに向き直った。剃髪しておらず、黒い髪を耳にかからない程度の長さで保っている。葬儀が始まる前に、ちょこっと話した時には妻子があると言っていた。ここらへんは、私も詳しくは知らないけど、宗派によってまちまちなんだろう。

「……それでは仏様の方に、ご焼香よかですか?」

お坊さんは訛りがあった。元は関東の人間ではないのかもしれない。私は横に座って微動だにせず読経していたお兄ちゃんを見る。私より先に行くべきだろう。そう思った。お兄ちゃんは仏前に相応しく重々しく頷くと、すっくと立ち上がる。黒のスーツが長身に映える。カッコイイ、なんて不謹慎だけど私は思っていた。確かに考えるところがないわけでもないけど、以前スーパーで出会ったことのある男性がもうこの世には居なくて、二度と声が聞けなくて、二度と笑いかけることはなくて、でもやっぱりお兄ちゃんほど身に詰まらされるものがないのも事実。子供の頃、親戚の葬式に参列したときは、子供ながらに悲しんでいない自分が酷く場違いで人でなしで、申し訳ない気持ちを感じたことがある。思えば中途半端に成熟した子供だったのだろう。今は違う。当然のことなんだと思う。よく知らない人間のことで涙を流せない代わりに、愛する人のことでは号泣できるんだ。

お坊さんが退いた座布団の上に、お兄ちゃんが座る。焼香を一つまみ、眉間の辺りまで持っていく。きっときつく瞳を閉じてお別れか謝罪か、いや祈っているのかも知れない。それはそんな神聖ささえ感じさせた。敬虔な教徒が、身勝手を知りながら自らの神に、どうしても叶えたい願いを祈念する様に見えた。傍観者であった私にも、手に取るようにわかった。「祐君や奥さんとまた逢えますように」私もそう祈ろう。届くといい。叶うといい。お兄ちゃんが手をそっと下げる。

「仏様に……」

お堂の端に安置されていた。棺おけの蓋は外され、生気を持たない白い顔が見えるようになっている。お兄ちゃんはしっかりした足運びで、そこまで行く。しばらくその棺おけを見つめ、その場に正座する。「対峙するは常に自分自身」「親父が俺に剣を教えるにあたって言った言葉だ」お兄ちゃんはお父さんをあまり好いていないけど、その言葉だけは肝に銘じてるらしかった。ならお兄ちゃんは今、言い方は悪いけど、意思をなくしてただの屍、物となった近藤さんに、何を重ね見ているんだろう。自分の罪、自分の弱さ。それ以上憶測すら出ない自分が歯がゆい。

お兄ちゃんの肩は小さく、本当に小さく震えていた。抱き締めて慰めたい衝動が、胸を狭くするような感覚を伴って、御しがたくなる。「克己。結局自分で乗り越えなきゃいけないんだ」今はそうだね…… 三年前に出来なかった克己を果たそうとするお兄ちゃんの傍に寄り添うだけで……


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